僕の人生には軸がない

僕の人生には事件が起きないと言っていた、ハライチ岩井が結婚した。現在ターン生物の僕にとってはなかなか大事件だ。なんか外野が騒がしいが、とりあえず岩井がハライチのターンで何を喋るのかを期待しながら待っている。

僕の人生には軸がない。これが今の僕の悩みだ。目標に向かうという軸、一つのものを大事にして生きていくという軸。人はそれぞれの軸を貫いて、人生を歩んでいる。僕はもう、軸がグラグラでふやけた紙ストローみたいな軸だ。

大学に入って人の話を聞きたいと思って、いろんな人の生き方を聞いている。サークルに入ってそのことを極めたり、将来の目標に向けての行動をしたり、彼女を第一にしたり。そんな軸がないから、僕は生活がうまく回っていないのだ。

地球だって、地軸があるから回転しているというのに。一体僕は軸がない状態でどうやって生きようとしているのか。地軸みたいに多少傾いていてもいいから、一つ人生を貫く何かが欲しい。

理科はそれなりに理解できた僕だが、地軸が傾いているという事象だけは一向に理解できない。傾いているというのは人間の見方の問題じゃないか。地軸自身は傾いてるなんて思ってないのに、人間が穿った見方をするから、傾いてるなんて言われて、かわいそうに。そうやって決まった一辺倒の見方しか見ねえから社会は悪くなっていくんだよ。

失礼。つい人間に対する悪口が。いつだって俺は地軸の味方さ。

軸というのは、生きる上での助けとなる。特に弱った時に軸の存在は救世主だ。

彼女を軸にしている人は弱った時折れない。彼女という軸が断固としたx軸とy軸として存在している。強すぎる。なんなら目盛りまであるから、グラフを書くのが容易だ。間違いがない。強すぎる。タフだ。

夢を軸にしている人はまた違った強さがある。折れそうな時はあっても、そこでなかなか折れないしなやかさがある。強い。羨ましい。跳び箱の踏み切り板みたいに踏まれることで逆にエネルギーを生み出すこともある。なんだよそのエネルギーの生み出し方。発電所にTwitterを見せて、発電所がひどい言葉を見ることでそれに対する発電所の怒りとか嫌になる気持ちとかで発電できるようになればいいのにね。そんな発電所の寿命は短いだろうな。夢という軸さえあれば、逆境は苦でもそれを燃料にできる。化石となってるその燃料を掘り出す作業が嫌すぎるけど。

一方、ふやけた紙ストローの武器一本で戦っている僕はすぐやられる。すぐ折れる。ちぎろうと思えばちぎれる。そんでみんな紙ストローの貧弱性にばっか文句を言う。紙ストローの開発者のことなんか誰も考えない。なんとかいろんなものと板挟みになってるなか、生み出した紙ストローという軸だと言うのに。

とは言っても、紙ストローは流石に酷すぎるから早く撤退して欲しいけどね。


追記:心が弱ってる状態でTwitterでいろんなものが叩かれている世の中を見て、まいっている時に書いた文章です。今日もこんな文章を書いては寂しさに震えながら眠ります。

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