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モノにこだわるとは、生き方にこだわるということなのかもしれない

大学生くらいまで、基本的にモノに対してのこだわりはかなり弱いタイプの人間だった。

もちろん、以前書いたように小学生のときには文房具や無印良品にハマったりしたこともあったが、それはかなり例外的な話。音楽や本、映画など、どちらかといえばソフト寄りの趣味が多かったため、自分の内面世界を豊かにすることこそが至高だと思っていた節があるし、むしろモノにこだわるのなんて表面的でダサい、くらいに思っていたかもしれない

でも三十路も近づいたいま、完全に転向しつつある。別に安物や大量生産品でもいいから、食器から家具まで、できるだけ思い入れやときめき(とか言うとこんまりみたいだけれど)を感じるもので揃えたほうが、圧倒的に気持ちいい。今でも有名大企業で働く古い友人たちが当たり前のように2桁〜3桁万の時計を定期的に買っているのを見ると、その価値観の違いに愕然としたりはするのだけれど。


(※)本ブログは、株式会社PLANETSが発行する雑誌『モノノメ 創刊号』について、そのいち編集部員である僕が、個人的な所感を綴ったものです。このブログを通じて、より多くの方に『モノノメ 創刊号』を手に取ってもらい、既に購入いただいた方にはより多角的に雑誌を読む一助としてもらいたいという目的で書いています。

改めて思い返すと、モノにこだわりがなかった頃も、テニスに熱中していた小中学生のときはラケットやグリップ、バッグまで関連する道具については常に自分なりのこだわりや情報収集をしていたし、ギターを弾いていた中高大の頃も同様だった。

結局、人はなにかに興味を持つとき、ソフトやハードの区別はそこまで明瞭になされているわけではなく、それに関する物語やモノを引っくるめた一つの世界観のようなものに没入しているのかもしれない。

モノにこだわるということは、モノそれ自体ではなく、それに付随する物語や世界観を引っくるめてこだわりを持つということであり、すなわち生き方そのものなのだろう。


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PLANETSの新雑誌『モノノメ 創刊号』に収録されている、[連載]沖本ゆか×丸若裕俊「もののものがたり #1 九谷焼の箸置き/朝日焼の湯吞」では、まさにモノから始まる世界観を愛することの魅力が、ハイレベルな"数寄者"二人によってふんだんに語られている(僕は構成をつとめました)。骨董の域に到達しそうな工芸品からジャンクな日用品まで、丸若裕俊さん(EN TEA代表)と沖本ゆかさんのコンビで、古今東西の「もの」の魅力を語り尽くす対談連載だ。

丸若 ……「◯◯がいいと言ったから」とかは関係なく、みんながもっと自分の目線で選ぶようになれば、楽しくなるのではないでしょうか。そのぐらいの楽しみ方や引き感で、みんなが接したらいいのになって、いつも思っているんですよ。そうなったら、自ずとこういうものは残るし、精度を保つための適切な自然淘汰もなされていくはず。

沖本 ものを通して、もの以上のコトを見ているということが広まればいいなと思います。わたしは朝日焼の湯呑みを通して宇治川も見えるし、宇治に行くまでのわくわくした気持ち、綺麗さびなど丁寧に歴史や特徴を教えてくれた窯元の方々を思い出します。ものには、とても多くのコトが詰まっている。(p272)

九谷焼や朝日焼にまつわる、二人の思い出や歴史について読んでいるだけでも、とても勉強になる。何より、ただ高いブランド物やトレンドアイテムを集めるのではない、ものを愛する暮らしとはこういうものなのかと、達人たちの世界を垣間見てみたい人は、ぜひ読んでいただけると嬉しい。


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