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Measuring an Acoustical Impulse Response

この文書はSmaart v.8.5 User Guide Chapter10の一部の和訳を基本としていますが,途中から筆者の思想を書き連ねているだけになりました。ご容赦ください。


はじめに

Smaartではボタン1つでインパルス応答測定ができます。その測定で有用な情報が得られるかは,事前に設定したパラメータによって決まります。
インパルス応答を測定するプロセスは、次のようにまとめることができます:

  • 信号の種類による測定方法の決定

  • 測定する音源と音源位置の決定

  • 測定点の決定

  • 残響時間と背景雑音の推定

  • 測定に関するパラメータ決定(測定時間,音源レベルなど)

  • システム測定,結果の保存,解釈

何を測るのか,なぜ測るのか

インパルス応答測定を行う前に常に目的を明確に定めておきましょう。
その結果現場でやるべきことを減らすことができます。
System Under Test(SUT)でインパルス応答を測定したいのは明らかですが、そもそも「システム」とは一体何でしょうか?
室でしょうか?
音響システムでしょうか?
音響システムと音響環境の組み合わせでしょうか?
システムについて何を知りたいのでしょうか?
必要な情報を得るためにはどのような機器や測定が必要でしょうか?

スピーカシステムを設置した室の残響時間を測定したい場合,室とスピーカシステムのどちらにより関心がありますか?
測定音源として指向性のあるスピーカを使用する場合,スピーカの軸上の測定点では残響時間に影響がある可能性があることを考慮してください。
また異なるスピーカーを使って室の異なる測定点で測定する場合,スピーカー間の有意な差が測定結果に現れることも考慮してください。

例えば使用するスピーカシステムとは関係なく室そのものが研究対象である場合,音響測定用に特別に設計された全指向性スピーカーを持ち込むのが最も抵抗の少ない方法かもしれません。
一方スピーカシステムの性能を測定することが目的であれば,スピーカシステムとはあまり関係ない室の残響時間よりも,初期-後期エネルギー比や音声明瞭度の測定基準の方が重要かもしれません。

ここまでマニュアルの訳です。以降は筆者の持論をだらだらと書きました。

測りたいものと測れたもの

何を測るのか,目的を明確にしようということです。さらに進んで言えば,何が測れて何が測れていないのかを把握したいところです。
インパルス応答測定では測定対象を明確に定め,不要な要因は可能な限り排除する必要があります。これは一般室で計測する場合に限らず,無響室など計測室で測定する場合も同じです。例えば無響室で測定する場合でも,システムの非線形誤差や時変性,機器設置に伴う誤差,測定機器に潜在的に存在する雑音による誤差,測定手法に依存するデータの変形可能性など様々な要因を通過して測定結果を得ることになります。これらの誤差要因を全て十分な精度で(妥協可能なラインまで落とし込んで)制御できて初めて測りたいものが測れると言えるでしょう。当然人間が測定パラメータや分析パラメータを設定するため,測定したい対象を測定できる設定が必要となります。
測定対象のシステムは当然のことながら,測定手法に関する知識は必須となります。そしてこれらの誤差要因を乗り越えるために合理的な設定を行えるよう,総合的な知識で武装をする覚悟が必要です。

Rational acousticsが公式に配布しているIR: theater.wav
どのような見方をすれば問題に気づけるか,何を見るべきかを判断し,
可視化したデータから何が問題の原因かを推定するための知識が必要です。

使えるデータか判断するのは現状人間の役目になることが多いので,正確な知識で客観的に判断できることが重要です。
例えば上のスペクトログラムでは,インパルス応答後期部分に高周波数から下っている斜線が入っています。測定時の詳細を知らないので断定はできませんが,スイープ信号を用いたのであれば,非線形誤差や突発的な雑音が原因として考えられます。(なぜそのような誤差,雑音がインパルス応答のスペクトログラム上で斜線で出てくるかは,SweptSine信号と呼ばれる正弦波スイープ信号と逆フィルタを用いたインパルス応答測定法特有のものと考えられます。実際にこのような雑音が出ているわけではないです。詳細は別記事で。)
このような問題は波形のみからは判断が難しいため,インパルス応答を判断する際はスペクトログラムを必ず見るようにします。(スペクトログラムも万能ではない点に注意が必要です)

このデータが実用に足るかはもちろん人間の判断次第です。ある程度誤差を許容した残響時間などが分かれば良く,これ以上周辺の音環境が静寂にならない場合,このデータで妥協するということも考えられます。
一方精密な室内音響測定であったり,可聴化(FIRフィルタとして音源へ畳み込んで聴く)に適用するのであればこのデータでは問題になる可能性があります。(そもそも周波数特性の評価や可聴化に使用する場合,このインパルス応答は長すぎます。インパルス応答を適切な長さに切るべきです。どこで切るべきかなどもノウハウ化しがちです。)

測るだけで満足しない

非常に残酷かつ棘のある言い方ですが,インパルス応答を測るだけで賢くなることはありません。Smaart,Systune,REWなどの測定ソフトを使えば機器を繋いでボタンを押すだけでインパルス応答測定はできますが,それができることは音響理論に詳しくなることでもミックスが上手くなることでもないです。
さらにいえば,インパルス応答やそれに関連した指標(残響時間,周波数特性)はあくまで分析ツールであり,物理現象をある一面で(しかも1地点の測定データのみで)観測しているだけです。そのデータには多かれ少なかれ局所的な要素が入っており,場合によっては許容し難い誤差によってデータが汚染されている可能性もあり,データの活用には科学リテラシーが求められます。

工学的な視点を養う

大気中の音の振る舞いを理解するためには物理の素養が必須であり,電気音響機器の振る舞いを理解するためにも物理の素養が必須です。
インパルス応答や周波数特性がこの形になるのはなぜか,残響時間がこの長さになるのはなぜかというのには,測定対象の機構によって発生している物理現象が背景にあることを忘れてはいけないのです。
室内で測定されたインパルス応答を見て判断するなら室内音響の理論を知っている方が話は早いですし,電気音響機器のインパルス応答を見て判断するなら信号処理や等価回路,制御理論などの話を知っていた方が話は早いです。

マニュアルには往々にして重要なことが書いてある

とはいえ専門的な音響教育を受けている人も多くはないため,まずは扱う機器や技術のマニュアルから読むというのが一つのスタートではないかと思います。専門書が読み進められればなお良いと思いますが,まず文字や動画などなんでも良いので,情報に触れることがスタートでしょう。おすすめ度の高さ順に資料を箇条書きしておきます。

  1. 取扱説明書: 読むべき。

  2. メーカーのホワイトペーパーやセミナー: 可能であれば読むべき。技術解説入門としておすすめです。

  3. 個人ブログや動画: 気軽に見られますがリテラシーを忘れずに。有益で分かりやすいものも多いですが,悪意のあるなしに関わらず不正確な情報も山ほどあります。

  4. 専門書: 可能であれば読みたい。書籍には比較的成熟して安定した技術や学問が記述されている傾向です。学問として理論体系を学びたければこれでしょう。

  5. 規格: 無理して読まなくても良い。まず規格の中には閲覧,購入に異常な費用がかかる場合があります。規格は共通スタートラインのようなものなので,紙数枚に少なくないお金を投資しても費用対効果の点でユーザ側に有益かは微妙です。

  6. 論文: 読む必要はないことが多い。最新技術が載っていますが,ユーザ側に有益な情報は少ないです。ただし実装検証系の論文は面白いかもしれません。

読んでるから偉いというわけではなく,理解できているかが重要です。


参考となる書籍,資料など

インパルス応答計測の基礎

インパルス応答計測の話題はほとんどここに記されています。
インパルス応答研究の第一人者の方の講習会資料です。
https://www.kanedayyy.jp/asp/

室内音響におけるインパルス応答測定と評価

インパルス応答について基本的な事項がわかりやすく書いてあります。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasj/76/3/76_156/_pdf

Acoustics of Small Rooms

室内音響の理論のみならず聴覚の話題などもあります。
https://www.routledge.com/Acoustics-of-Small-Rooms/Kleiner-Tichy/p/book/9781138072831

自作スタジオのための音響理論入門

日本のスタジオ設計第一人者の方によるプレゼン資料です。
インパルス応答というよりは室内音響理論中心です。
http://www.aes-japan.org/special/aes2009/tutorial/AESTC09_TS2_RoomAcoustics.pdf

ISO3382-1

ホール音響測定についてよくリファレンスとされている規格です。ライブサウンド測定向けではないですが,JND(丁度可知差異)や音響指標は参考になるかもしれません。
https://www.iso.org/standard/40979.html

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