基本的にSNSのコメ欄を閉鎖している理由
たまに
「どうしてコメント欄が閉鎖されているの」
という素朴な疑問をいただきます。
一度もお答えしたことはなかったのですが、
一応自分なりの理由あるので書いてみようと思います。
YouTube、SNSは投稿と同時にコメント欄を見るのが癖になっている方も多いと思います。
私もそうで、面白いコメントを見つけるとちょっとアガったりするんですよね(笑)
コメント欄の持つ魅力も理解しているつもりです。
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私の活動の理想系は、
「ファン(多数):私」
ではなくて、
「ファン(あなた):私」
の形をキープすることです。
分かりやすく書いてみます。
まず「ファン」というコミュニティを作ると、
共通の趣味を持った人たちが自然と繋がりを持つので絆が生まれたりすると思います。
それもそれで楽しいと思うのですが、
次第に
「自分はあのイベントに参加できなかった」
「自分よりもあの人の方が優遇されている気がする」
「あのファンと自分の相性が合わない」
などのマイペースに応援できなくなる歪みが生まれるものだと感じています。
またファンの中でも上下関係が少なからず生まれるような気がしています。
(自分がオタクの世界にいてそう思った)
私は自分のファンの心の居場所を作るのも、
自分の仕事だと思っています。
できるだけマイペースに、
居心地よく、
一度離れてもまた戻ってこれるくらいの心の場所をきちんと作れたらいいなとずっと思っています。
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一方でコメント欄はある種のコミュニティ化しているように感じます。
それらの言葉は良くも悪くも、
ものすごい影響があるものです。
これはいい作用をもたらすこともあれば、
全然関係ない人の心を傷付けたりすることも非常に多いなと感じます。
これは自分の経験から感じたことで、
実際に私が漫画アニメ
「幽☆遊☆白書」
を10年近く好きでいれたのは、
“マイペースに応援できたから”という大きな理由があります。
コミュニティに属さず、
自分なりの「好き」を謳歌したからこそ
長い時間心地よく真っ直ぐに応援させていただけていると感じています。
できれば、
他の人が私に対してなんと言っているか、
何を賞賛しているか、何を中傷しているか、
そんなことを1mmも気にせず、
あなたの心の目でクリアに私のことを見てもらいたいな
と密かに望んでいます。
なので最もフォロワーの数が多いInstagramにおいては基本的にコメント欄を閉鎖しております。
投稿の頻度も最も高く、
「これを見ているあなたへ」という感覚で文章を綴ることが多いです。
DMに必ず[いいね]をするのもその気持ちから派生する私の行動です。
私のことを好きになってくれたり、
気になってくれたり、
好きでも嫌いでもなくても興味に近い得体の知れない感情を抱いてくださっているのであれば、
私はその気持ちを自分なりの方法で大切にしたいです。
と、いう感じです!
後々youtubeだったり他のコンテンツも開始するかも知れません。
そうなるとまたコメント欄のスタイルが変わるかもしれないけれど、
(あなた:私)でありたいという気持ちは、
何があっても揺るがない私の信念のようなものです。
拙い文章でしたが、
少しでも気持ちが伝わっていたら嬉しいです!
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