顎に対しての今の気持ち
今年、NetflixでDEATHNOTEを観ていた夜、
時間は既に3:00を回って眠気が強くなって来た頃でした。
とてつもなく大きなあくびと一緒に、
その瞬間「バキバキバキッっっっっっっ⋯」という〝何か〟が崩れていくおぞましい音が脳内に響き渡りました。
顎が外れたと一瞬で理解しました。
まぁ今の時間は病院もやっていない、どうしようもないなと思い、冷静になって一晩眠ることにしました。
あれから数ヶ月が経った今、定期的に私の顎は外れています。
「いいよ。外れたいならしばらく外れておいで⋯」という顎に対しての寛容さ、優しさ、
自分の犬が外で走り回っているのを眺めているような、心のゆとり、色々なものを顎の痛みを通して学びました。
顎が「外れてしまう」のではなく「外れたがっている」と思うことによって、
顎の関節にも意思や願望があり、時として解放してあげる必要があるのだと解釈するようにしています。
偉いなと思うのは、
外れても絶対に戻ってくることです。
必ず戻ってくる姿は、ボールを咥えてご主人のところに戻ってくるポメラニアンによく似ています。
これまでは顎の関節にはなんの感情もありませんでしたが、
最近は、ワンちゃんみたいだなと思っています。
終わり
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