セクシズム撲滅計画 in Japan

このnoteの筆者はmkepa、神奈川生まれ東京近郊育ちの理系大学院生である。

このnoteは、mkepaがfacebookで女性蔑視的な社会慣習について批判をしていたときに、高校生の頃習っていた予備校講師の先生とやり取りしたことがきっかけで開設された。

その時やりとりした先生(男性)は、某大手大学受験予備校のトップクラスで長年物理を教えていて、東大を目指す高校生、高学歴の女子校・男子校(・共学校)の学生を間近に見ている中で、敏感に女性差別を察知、観察してきた。
大学受験での女子の進路に反映される傾向、高校の先生の出方、親の出方、女子高校生自身の男性優位社会に適応させた価値観、男子高校生に既に身についている女性蔑視的価値観。

mkepaは日本の数学科で学部を卒業した後、フランスの修士課程に入り数学を勉強したり研究したりしている。これからもしばらくはアカデミアに残るつもりだ。
私個人は社会への適応能力は比較的高いほうで、そのせいか、ご多分に漏れず、学部低学年の頃までは、
「数理が男ばかりだからと言って気にすることはない。勉強を妨げられるわけではないし、知識の吸収は自分でもできるから、関係ないはずだ。」
「男社会には慣れているし、自分は苦しいと思わないから、今のところ全然大丈夫。」と思っていた。

しかし、日本の数理科学科という超男性社会で、「自分が平気かどうか」ではなく、様々な非対称性に気づいていくことになる。そこで多くの疑問を抱えたまま、フランスに留学することになった。
ご想像の通り、フランスという国、パリの数学科で生活する中で、日本で経験してきた不満の数々が、男尊女卑由来の理不尽として一気に浮かびあがり、また自分のうちにも内在化していた女性卑下的な感覚と向き合わざるを得なくなった。このnoteは、日本で経験してきた・している女性蔑視の数々と、フランスでヒントを得た男女同権感覚の獲得の記録である。
また日本の性差別撲滅のために私が考えることも書き留めていきたい。

このnoteの読者層としての対象は、既に日本の女性蔑視に薄々気づいている人、または男尊女卑の現状を深く理解し、問題意識を確立している人である。
「女性差別なんて気のせい」とか「むしろ女尊男卑だ」とか気の確かじゃないことを言う人、物分かりの悪い人には興味がない。私の目的は、そういう人々を説得することじゃない。

私のフェミニズムのスタンスの優先順位はこうだ:
一つ目は、これから社会に出てくる小さな女性達 (私は物心ついたときからセクシャルにもその他の精神的な面からも加害されている記憶が星の数ほどあるので、3歳くらいからかな) の受ける被害を最小化すること。

二つ目は、不名誉をかぶり続けてもなお下の世代のために闘い続けている、自分より年上のパイオニアの女性達への敬意と理解、そして増援を示すこと。また社会に対し、彼女たちの汚名返上と名誉回復を求めること。

三つ目は、薄々女性差別に気付いている人々と実際の差別事例を共有し、反論の力を鍛えること。また、性差別主義者からの攻撃に対するシールドを張れる人を増やすこと。男女同権感覚を獲得しつつある人々の、ミソジニストからの攻撃による摩耗を防ぎ、ジェンダーフェアな価値観が侵されずに済むようにすること。

それから、私の中での日本の性差別撲滅の戦略は大体こんな感じだ:
1.まず、性差別主義者を相手に説得する必要はない。簡単なお話が通じない人に、フェミニズム研究で培われてきた高等概念など到底わからないので、こちらの理解を伝えようとするだけエネルギーが無駄である。

2.ただ、性差別的言動を目にしたら傍観はしない。差別者に理由説明をしたりや説得したりはしなくて良いが、その場で「それはおかしい」と批判や違和感を表明することが大事だ。他の傍観者の価値観形成に関係するからである。

3.ジェンダーに関する社会の不公正に、既に薄々気づいている人、つまりこのnoteの対象者、が性差別主義者からのシールドを張れるようにする。またそういう人、男女同権感覚を備えた人を増やす。反性差別主義者が下から半分に近づいていけば、マジョリティになる未来も近い。

これらの考え方を元に、出来るだけ早く男女同権が達成されることを目的とする。

フェミニストの中には、女性の地位向上のために「男性に頼るべきでない」と考える人と、「優位側の男性を動かすほうが効果的だ」と考える人がいる。前者は、「何でも男性に頼らないと達成できない」というこれまでと同様の女性の無力感を助長することになるから、女性の権利は女性達の手で獲得すべきだ、という思想に基づいている。また、男性優位社会で育ってきた女性達はどうしても男性の手前で遠慮してしまう、という現実もある。私はこの考え方はすごく良く理解できる。

だが今は、私は戦略的に後者を選びたい。男女同権の達成までにかかる時間を短くすることが最優先だからだ。最も大きな理由は、私のフェミニズムスタンスの一点目、「小さい女性が被害に遭う程度を可能な限り減らすこと」が最優先であることだ。
だから、手段を選ぶことよりも、結果が早く変わることを選びたい。支配層で優位な側にある男性は、同性に対し、この男性中心社会で疎ましがられている女性よりも訴求しやすい。

男性優位社会で自己を形成してきた男性が、これまで抑圧され発露してこなかった女性のストレートな批判を受け止められない現象は度々目にする。そのようなとき、フェアマン(反性差別主義者)の男性は、女性に「トーンポリシング」ー表現方法を改めるよう、特に受け入れられやすくするように、指摘することーするのではなく、自分が同性としてどう立ち回れるのか、そちらを考えてほしい。女性が声をあげられるようになったのは、本当にようやく、ようやく達成されつつあることなのである。
社会的地位を固めている男性達の敵意を集めることは、依然として危険行為であり、その上で覚悟を決めている人しか発言していない、という現実もきちんと認識してほしい。諫めるべき、向かうべき、語り掛けるべきは私たちではなく、同性である男性であるということだ。

私は日常でセクシズムやミソジニーに遭遇すると、facebookやらTwitterに自分の経験を書き込み、批判する訓練をしている(訓練のつもりはなかったが鍛えられてしまった)。もはや日常茶飯事すぎて習慣化してしまった。そういうネタが無尽蔵にあるので、このnoteにまとめて記録して、共有していきたい。

そのうち、リアルの友人や、noteやTwitterを通じて出会った人々の差別経験も取り込んでいくかもしれない。女性差別はいつも通り魔で、突然女性の人権を脅かし、それはトラウマとなり自尊心を削いでいく。
そんな残酷な経験や深い傷を、言語化し批判し共有することは、せめてものケアになる。免疫作りの場になれば。

改善を求めて諸方面に訴えにいくにあたり、諸経費がなかなかバカになりません。頂いたサポートは、公益貢献費として大切に使います。ご支援感謝します。