長すぎたキャプション

私はまだ修士課程在籍中で、秋から博士課程に行く予定なのですが、ここ1年くらいアルバイトで食いつないでいて、非正規雇用歴はたった1年ですけど、既に経済的な理由で疲弊しています。

でも、私はまだマシです。これまで利子付き奨学金だって借りてないし、自分の尊厳を犠牲にして頭下げれば金を貸してくれる実家もあります(諸事情で下げるわけにいかないけど)。アルバイトだって、研究のアルバイトです。飲食店とか塾とかコンビニみたいな実働があって研究が出来ない、というわけではありません。しかも、そのアルバイトの職につけたのも、自分の現状を訴えたら有難くも理解してくれた人がいて、そこにたまたま財源があって、その人が何とかして雇ってくれたから出来ているだけであって、まったく一般的じゃありません。

利子付き奨学金という借金返済のストレスと不安を抱える若い人たちが大勢いるという社会において、また、生活費や奨学金のために長時間アルバイトしないといけなくてゆとりある人生が送れない大学生(労働時間以外の空白=勉強時間だと思っている、勉強をしたことのない人間か人権という概念を知らない人間がたくさんいますが、その認識は誤っています。)がたくさんいるという社会において、あるいは、博士号を持っていても、修士号をまだ持っていない今の私よりもずっと酷い条件で雇用されている(というか、それでも雇用されているだけマシというほうが表現のほうが正確かもしれない)若手研究者がたくさんいるという社会において、私は本当に苦労知らずです。

ですが、その私ですら、いま目の前の生活が苦しいです。
「海外出張に行ったら手当てが少なくてその月から3カ月くらい生活が苦しくなった」と言っている博士の友達もいるし、「ホテル代とか飛行機代とか前払いしてもらえないから正直出張は行きたくない。分割払いがいつまでも消えない」と言っている人もいますが、本当によく分かります。

私は、学部のときも、修士のときも就活をしました。
子どもの頃から研究者志望で、もともと博士号を取る気満々で大学に入学したけれど、経済的自立の必要に迫られていたことと、女性であることが大きなハンデになると認めざるを得ない諸々の経験を苦に、研究者を目指すことを躊躇っていたからです。

「女性というハンデ」が何か分からない人のために少しだけ具体的に言うとすれば、
「女性差別の存在すら認められていない男世界(酷いことを言われたりリスペクトされてない優秀な女性研究者を沢山知っている、たくさんというか例外なく全員。でもそれを「個人の問題」とされてしまう。「人格に問題がある」とか、「あなたの態度がいけなかった/運が悪かったというだけで女性だからではない」とか、「〇〇という分野だから(あの人でも)研究者になれた」とか、「女性枠で採用されたから研究者になれた」とか、男女問わない一般枠で採用されても「女で優遇されたから採用された」「男と女がいたら女が採られる」と言われるとか。「大学側も女性を採用すると大学ランキングのポイントが上がるから女性を採用しているだけだ」とか。端から客観的に評価しようと試みたり努力したりすることすら放棄しているくせに「女性だったから採用された」に無意識にすり替わる人々。業績を上げれば「女性は結果の出やすい研究を選びがち」と言われ、賞を取れば「女性優遇の時代だから」と言われる。もう何をやっても「女性優遇」と叩かれる。実際のところは、レベルが高くないとされている女性よりもずっと大したことない男性は沢山いて、でも同じように「あの人はレベルは高くないけど〇〇だから仕事に就けた」など女性が陰口叩かれてるのと同じように言われているかというと、全然言われてない。男というだけでリスペクトの下駄を履かせてもらえている。本当に高い。何もやってなくても男ってだけで敬意を払ってもらえる。人々はその無意識な"男性が偉く見えるバイアス"に気づいていません。でも、その中で女性は存在させられています(しかも、いまの時点で数学分野の女性割合は1割にも満たない、集団に一人とか二人とかの単位で)。
だから、「男性優位社会における人間の行動原理」を知識として知らない私たち、とくに意思決定の場にいる"えらい"男性達は、自分らの中にあるその性差別的バイアスに気づく機会もなく、「その女性の能力が低いから」採用者の自分の中での印象が盛り上がらないのだ、と捉えます。それか「女性は優遇しないといけない時代だからな」という動機付けで、つまり女性差別についての正しい理解なしに、女性を"過剰評価しようと努力"しているのでしょう。だから、「あの人は女性だから研究者になれた」という言葉が出てくるし、そのような男性の総意(男性しかいない世界なので)が生まれ、女性研究者はその汚名に付きまとわれることなしではアカデミアに存在できなくなっているのです。

― たぶんこの現象は、男女の数が同数になってもしばらくは続くのでしょう。女性が過半数を占めても根強く残る気がします。想像の範囲ですが。ただ、思うのは、何%解決しているかというのは、その問題が完全に解決されてからでないと評価できないのに、少しでも変化が起こるとそれでお腹いっぱいになってしまい「もう100%解決しただろう」と思ってしまうところがあります。そして「前はひどかった」と言って現状に満足し、新しい変化を抑制しまう傾向があります。私は「女性差別は幻想ではなかったのだ」と、こんなにも色々経験してやっと、認識し始め、分析して客観的に理解するよう努め、声をあげ始めていますが、私の中にさえまだ多くの女性蔑視的価値観が息を潜めているくらいです。後世の人が全会一致で即座に女性差別だと言えることも、今も気付かずにやってしまっているのでしょう。 ―

このような状況下ですらなお「女性は差別されていない、むしろ優遇されていてズルいんだ」と、圧倒的マジョリティである男性が口を揃えて言うし本当にそう思っているような社会)
において、不遇は回避できない。変な蔑視もされるし、産休育休を食い逃げだと思っている男性教授がいて、飲み会で陰口を叩かれる。
同年代も全然油断できない。ストーカーとか、男女同権感覚の著しく欠如した男(女を人間として対等に見られない男)(日本文化で生まれ育ってしまった大多数の男)に遭う確率が、あまりにも高すぎる。数理は特にそうらしい。
そんなことがまた起きれば、すぐに研究集会なんか出られなくなるし、名簿に自分の氏名が載るのも、将来就職先の大学のHPに自分の氏名が載るのも怖い。でもみんなが肩を持つのはいつも男側(ひとは強者側のプライドを真っ先に守ります)。勝ち目ない。それなら、まだフェアに生きていける社会で働きたい」
ということです。他にも書ききれない程ある。

修士での就活はすごくいい会社に内定して本当に嬉しくて、給料もよく、「これで苦しい生活や、男尊女卑の理不尽から解放される」という気持ちでいました。
4月から就職する予定でしたが、内定後しばらく後になって「結構研究したい」と思えるテーマに出会って、本当に本当に本当に悩みましたが、泣く泣く辞退することにしました。
内定を辞退して博士に進学するという選択に後悔はないけれど、就職していても全く後悔はなかったと思います。社会に出るという選択は、貧乏と性差別というアカデミアの二重苦からの解放を意味するからです。

貧乏からくる辛さについてですが、「どのくらいお金ないの?」というと、留学前と帰国後の通算一年くらいは、クレジットカードの分割払いでなんとか凌いでいます。その前は、一括払いで引き落としの数日前に入る給料で間に合っていましたが、それはもうできません。病院に行くのも、いくらかかるのかと思うと怖いです。持病の通院という固定費も払うたび「またお金なくなった」と悲しくなります。

お金の使いすぎだという人もいますが、そもそも収入が少ないので、そんなに使えません。
それに、精力的に節約に取り組めるのは、いつもお金に余裕のあるときです。軍資金があるから、オトクなまとめ買いが出来たし、節約を頑張っている自分に満足できました。
今は、自分には余分なお金がそんなにないと分かっていてもカフェに行ってしまったりして、後で翌月のクレジットカードの支払い額を見て、給料日の確認をしたり、どの支払いを分割払いにするか、何回分割にするかを考えます。オトクなまとめ買いも出来ないし、高品質で長持ちするものも生活費を考えると高くて控えてしまうので、いつも「安物買いの銭失い」です。それでも、お弁当を作って持参したり、コーヒーは家で飲むようにしたりして、頑張っています。

今回フランスに行く直前、まだ当面(滞在3ヶ月分)の生活費のがあった頃はもう少し前向きで心に余裕もあったし、今後に対する意欲も溢れていました。この前の3月末に帰国するとき、日本での生活費のために、去年から残っていたフランスの銀行口座の残高320€を下ろしてきました。それを大黒屋で日本円に両替して、生活に使い切ってしまった今は、「やっぱり博士課程を修了したら就職するかもしれない」と、ずっと弱気になりました。

繰り返しになりますが、私には利子付き奨学金の返済という将来への大きな借金がありません。それでも、自分で生計を立てようとしたらこんなに生活が苦しくて、「いつになったら安定した将来を見通せるのか分からない」という状況が続いていると、何を目指してたんだっけ、今すぐにお金の心配から解放されたい、安定が欲しい、という気持ちになります。途中で辞めるとか全然アリです、生活が楽になるのなら。幸せな事じゃないですか。

言いたいのは、若手研究者のおかれている現在のこの処遇で平気な人達(たとえばDC1とかで十分な人達)は、たまたま親がお金持ちか、実家暮らしなだけだということです。
それか、たまたま、数少ない返済不要奨学金に当たったとか(数が多く用意されてるならいいんですよ。全然ないじゃないですか)、今までも大学の学費は親が払ってくれたりとか、親の扶養に入っていて自分で国民健康保険を払わなくていいとか、食材を自分で買わなくていいどころかお家に帰ったらご飯が出来てたりとか。
(それか、「お金は全然ないけど、頑張るんだ」と思っている人は、貧乏が過ぎて分からなくなっているだけです。憲法25条を思い出してください。)

それで何とかなっているにも関わらず、
「現制度に問題はない。金がないなら学生支援機構で有利子奨学金を借りればいいだろう。嫌なら就職すればいいじゃないか。」
という態度の取れる人、特に大きい大人の研究者とか(ああきっと経済的に苦労してこなかったんだろうなみたいな人達)は、本当に不誠実だと思います。
「俺はこんなに苦労した、だからお前も苦労しろ」よりも全然酷いじゃないですか。たまたま自分は恵まれていただけなんだという事が認識できていない、というだけでもない。最悪だ。まさに上野東大祝辞で危惧されている通りの人間じゃないですか。

『がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。』

そもそも、いまの研究者の集合というのが、不平等を内在した研究者育成の仕組み(実家が金持ちじゃないとそもそも研究者を目指せない)を通過してきた人たちの集まりだから、その属性が高学歴富裕層の男性という社会的強者の塊になっている。そのほぼ全てが、みんなしてこの問題(「親の経済力を仮定しないと回るはずのない研究者育成の仕組み」という非富裕層差別、そして(アカデミアで特に酷い)女性差別)を理解できていない、
或いは気づいたとしても見て見ぬ振りか、現状維持ありきの言い訳をして、今まさに苦しんでいる若者を余計追い詰めるかのように諭してくる。改善に取り組もうという気などサラサラない人達ばかりなのは、ある意味当然の帰結なんでしょうね。

そういうわけで、正規雇用にありつけた研究者の大多数は「柔軟な思考ができる」感を醸した、現状肯定主義者(リベラル面したバリバリの保守)なので、若手研究者達(ここも男性集団だが)が窮状におかれていてももちろん他人事を貫いて闘わない。自分たちが研究費を減らされても、金がもらえる分野への僻みばかり言って(闘うべきは金の配分をしてる国家側であって、金貰ってる分野の研究者側じゃない。そっちに目くじら立ててる場合じゃない。「役に立たない研究をやってる俺ら」と感傷に浸ったり、"役に立つ研究"をやってる人達をけなしたりして辛うじて自尊心を保ってる場合じゃない。筋が違うと気付け。ていうかそれじゃ"役に立つ立たない論争"やってる人と同じじゃないか。問題を見誤るな。)根本的な解決のために努力しない。

そんな人たちの中の誰が、ましてや女性差別のために闘うと思いますか?笑
女性差別なんかそりゃなくす気もないです。

だから、若手研究者の処遇は依然酷いままだし、女性差別を大前提に世界を回し続けてるんじゃないですか。

私は成人後数年までは実家で暮らしていて、高い大学の学費も全部親が払ってくれました。中学高校も私立で、なぜか異様なほど人脈に恵まれていて、それなりに情報強者で、修士の留学の際は返済不要の給付型奨学金を1年間の生活費には少し十分なくらいの奨学金を貰えました。まさに、情報と人脈とお金のお陰でした。ちょうど留学を考え始めたころ、たまたまフランスに留学していたそれなりに仲の良い知り合いが二人もいて、適切な奨学金情報を教えてくれました。奨学金に応募するためには、語学の資格が必要で、高額な語学試験を受けなければいけません。受験料だけでなく、その勉強のためにも参考書とかお金がかかりましたが、そのお金は親がくれたから、いい給付型奨学金を受ける機会を逃さずに済んだし、好条件で挑めました。
まさに、『がんばったら報われたのは、私の努力の成果ではなく、環境のおかげ』だったんです。

だから、同じような学力で、同じような大学に行って、同じようなことを勉強しているのに、アルバイトを掛け持ちして弟妹の学費を払っている友達や、利子付き奨学金の返済を懸念している友達にすごく申し訳なくて、せめて自分の置かれている環境を誠実に、「どこからが自分の努力の結果なのか」「ここでお金を貰っていなかったらどうだったのか」と正直に認識するべきだと思いました。自分は、たまたまそういう家に生まれたというだけの理由で、経済格差社会における強者であり続けてきたのだと。

窮状に立たされている若手研究者や、そもそも研究者になる前の段階で経済的理由で進学を諦めた、或いは「諦めた」ようには見えなくても、消極的選択として就職を選んだ人々は、現状の研究者育成制度の犠牲者です。その人達がいま幸せそうかとか関係ありません。
「自分は平気」な人々が見て見ぬ振りをし続けたせいで犠牲になった人々なのです。ましてや彼らが能力不足でそうなったわけがないのは自明です。
逆も当然で、研究者として残った人たちが、能力が彼らに比べて高かったから残れた、のではありません(でもそこを勘違いしている人は沢山、沢山、沢山、います)。

現状の研究者育成の仕組みに、「経済的背景という不平なスクリーニングがある」という問題があることは明らかです。その結果として、研究者集団は多様性の真逆をいき、富裕層出身・高学歴という強者男性の集まりになりました。多様性どころか、既得権益層どストライクの集団になってしまった。

だからそもそも、現制度の欠陥(お金がある人しか研究者を目指せない・そうでなければバカみたいな貧乏を我慢しなくてはならない)を察知できる人がいなくて、気づいたとしても変えようと努力する人はもっといません。権力寄りの保守なんですから。もしバカみたいな貧乏を経由して研究者になれたとしても、ようやく人間らしい生活をすることが可能になり苦行から解放された段になって、わざわざ苦しかった過去を掘り起こして闘う気力、なんてなくなっていて当然です。そもそも超マイノリティで立場が弱いし、自己責任論を振りかざす温室育ちのチンピラ集団に向かってそんなことを真面目に訴えても、理解が得られないばかりか自分が不当に傷つけられるだけなのは容易にわかることですから。
というかそもそも、経済背景による差別は、経済的弱者の問題ではありません。黒人差別は白人の問題だし、アジア人差別は非アジア人の問題で、女性差別は男性の問題です。
それと同じです。経済的弱者が差別(生まれによって払えるお金がないという理由で学業の権利を制限されていること、そういう人達が存在していないかのように扱われていること)を受けているのは、経済的強者が起こしている問題です。「自分は学費を払えるから問題ない」「払えない人は来なければいい」という差別的思想を持ち続け、お金を理由に辞めていく人達を何人も見てたのに、制度に疑問を持とうとしてこなかったことが原因です。だから、貧困のハンデを追いながら研究者になれた、薄い層の人達を責めるのは全くの筋違いです。

間違っているのは、現状の制度と、「自分は払えるお金があったから」研究者になれた、そういう人達がなればいい、と思っている差別主義者達です。
「自分たちみたいな(研究者になるまでの出費をなんとか出来る)人達が、研究はやればいい。お金がない人だって他の仕事がある。20代後半まで学費を払ってまで大学にいるなんていうのはオプションサービスなんだから、それが君には出来ないからといって制度を批判するのは贅沢だ。もしやりたいなら、君が借金をすればいいだけじゃないか。それが嫌なら、君の"熱意"はその程度のものだ。それに、世の中の多くの人はみんな働いてるじゃないか。わざわざ大学に残って研究しようとしてるくせに、払う金はない?そんなのお前のエゴだ。学業を続けるのにはお金が必要なんだ。お金が払えないなら出来なくたって仕方ない。お金持ちじゃなきゃ高級車を買えないのを「ずるい」と言ってるのと同じになってしまうぞ。いいか、社会にはいろんな人がいる。これは"適材適所"だ、"役割分担"だ。」と思ってきた人達がおかしいのです。ていうかそれただの貧困差別です。

女性差別だって同じ理由です。そもそもの欠陥(女性だけが様々な不利益を被る構造になっていること)を理解できる人がほとんどいなくて、気付いたとしても変えようと努力する人なんて、まぁほぼいません。日本文化で育った大人たちのほとんどは、フェミニズムを怪しげな何かだと思っているミソジニスト集団で、特に「強者男性」は言わずもがな、です。
女性にお見舞いを申し上げることが出来たら偏差値80くらいなんじゃないですか。

日本文化で生まれ育った時点で、男も女もかなり強い女性蔑視的な価値観に取り憑かれています。それでも、人権侵害をなくすべく男女同権に向けて歩もうとするならば、唯一羅針盤になるのは女性の感じる違和感です。それに耳を傾け、男も女もみなで反省していくしかないのです。だから、女性が多いほど速いスピードで男女同権的な社会が形成されていくのはごく自然な事です。

それがどうですか。いま私は、数理科学科の女子比率が急激に改善しない事を批判したいのではありません。女性の存在の必要性を否定する男性達が、決定権所持層のほとんどを占めていることが絶望的だと言いたいのです。改善が期待できるわけがない。
私がそういう男性に言いたいのは、分からないのはもう仕方ないとして、「男だろうが女だろうが」とか言って中立ぶって女性を抑圧するのをまずやめろ、ということです。そして、せめて現状認識に努めるべきだ、ということです。
勿論、普通は女性の違和感に耳を傾けるくらいの要求は21世紀の地球では当然のことだし、それを分かって自発的にやっている男性はたくさんいます。
でも私は、日本の研究者男性の薄弱な人権意識や、男女同権リテラシーの著しい欠如を知っていますから、いきなり難しいことを要求するのは無理があるのだろうと思っています。だから、百歩譲って、「現状認識に努める」それくらいはしたらどうだ、と言っています。それでもわからないなら、上野千鶴子氏の祝辞を音読して下さい。『恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるために』使ってんじゃない、ということです。

私はいま、経済的に余裕がなく生活や精神的な安定が保証されていない貧困に直面していて、また他の人(男性)と対等である事が保証されていない女性であり、かつ研究者を目指している身分ですから、しんどいです。でもまだ物を喋る元気はありますから、問題点をちゃんと言語化して、改善が最も早く望まれそうな然るべきところに訴えるべきだと思っています。

だから、その二点の問題に直面している記録を、note等に残していけたらいいなと思っています。

P.S. 一番言おうと思ったことを言い忘れていました。最近色んな人に話してみている通り、とりあえず、博士課程以上の若手研究者は、所属先研究機関か、所属先がなければ国が、社会保険に加入させるべきです。

公的財産を生成する仕事をしている研究者が、こんな超がつく薄給かつ医療保険全額自己負担なのもおかしいのですが、その上、この人達は「ポストが少なすぎる」という国の作った構造的致命傷の上で存在させられているわけです。そのおかげで、研究職というのは、失業保険が最も必要な職種の一つになってしまいました。国家が責任を負うべきだと主張するには十分すぎる理由でしょう。

この話を農学系の友達に話してみたら、「博士課程の学生以上どころか、なんなら大学院生以上(修士課程の学生も含めて)入れるべきでしょ。研究してるんだから。」と言っていました。確かに。そっちのほうが正しい気がします。

改善を求めて諸方面に訴えにいくにあたり、諸経費がなかなかバカになりません。頂いたサポートは、公益貢献費として大切に使います。ご支援感謝します。