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〈偏読書評〉 『グスコーブドリの太陽系—宮沢賢治リサイタル&リミックス—』(新潮社)

原稿を送って数週間経つのに、いまだ公開される気配がないブックレビュー(追記:と、半ばぼやくように投稿していたのですが、数時間後に記事が公開されました)、紹介する3作品の中で(約300文字という短い原稿とはいえ)特に力を入れて書いたのが、自分が尊敬し、かつ表現者としても人としても最も信頼している(信頼できる存在だと作品や活動を通して感じている)古川日出男さんの最新刊『グスコーブドリの太陽系—宮沢賢治リサイタル&リミックス—』(新潮社)のレビューです。

この『グスコーブドリの太陽系』に収録されているのは、文芸誌『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)にて2013年10月から2018年10月にわたって連載された「宮沢賢治リミックス」の——厳密にいえば『MONKEY』vol.6 2015年夏秋号に掲載された『注釈「やまなし」』以外の——作品です。

単行本化にあたって、著者である古川さんは「単行本化するに当たって、執筆=掲載順でいいとは思えず、私は頭を悩ませた」そうで、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の主人公であるゴーシュにヒントを得て、ある配列の系(システム)を思いつき、太陽系になぞらえる形で9つの宮沢賢治作品を再話=リミックスしたものが配置されています。

「宮沢賢治リミックス」が始まった背景については、単行本の巻頭に収録されている『二つの「はじめに説明したいこと」』や、連載媒体であった『MONKEY』誌の責任編集長をつとめる翻訳家・柴田元幸さんによる書評に詳しく書かれているので、ぜひこちらをお読みいただければと思います。

柴田さんの書評を読んで、正直自分は、“柴田さんによる、こんな素晴らしい書評があるのだから、自分がわざわざ作品を紹介する文章を書く意味なんか無いんじゃないの?”と思いました。

とはいえ、ひとりでも多くの人に『グスコーブドリの太陽系』を読んでもらいたい、もし読んでもらうのが無理でも『グスコーブドリの太陽系』という作品がこの世に存在していることを知ってもらいたい。じゃあ、どう作品を紹介するべきかと考え、作品(単行本)に全く関わりのない”完全なる部外者”だからこそ書けることを書こう、作中でひとつの大きなキーとなっている「森」について、もう少し伝えよう、と決めて書きました。

『グスコーブドリの太陽系』の「太陽 グスコーブドリの伝記 魔の一千枚」章の中で、《福島の子》である古川さんは「私たち(※古川兄妹)が「身近だ」と思っていた森」が人災のせいで消滅してしまったことについて、こう書かれています。

 そして、それすら、私は公に語ったことがない。書いたことがない。私は、実家の悲劇を利用して、自分を「被害者」の側に置いたり、同情されることを、懸命に、懸命に避けた。だから避忌した。し続けていた。

「森」の消滅について、自分は「太陽 グスコーブドリの伝記 魔の一千枚」章の中の「天災論」を読んで初めて知った。でも「森」の存在自体は——そして、それが少年時代の古川さんにとって「ものすごく幸せを感じる場所(*1)」であったことを——以前から知っていた。

なぜ「森」のことを知っていたかというと、毎日新聞夕刊の連載をまとめた『私だけのふるさと——作家たちの原風景』(岩波書店)に収録されている、古川さんの記事「無限を感じる森に育てられた」を読んでいたからだ。

この記事を初めて読んだとき、複雑な家庭環境で育った古川日出男少年にも、幸せを感じられる瞬間が確かにあったということを知り、安堵に近い気持ちを私は抱いた。尚、単行本としての『私だけのふるさと』が刊行されたのは2013年だが、連載そのものは2008年4月から始まっており、古川さんの記事が紙面に掲載されたのは2010年3月18日。「森」を消滅させるきっかけとなった人災の、その引き金となった天災と、「人がいなければ生じなかった災害」が起きる、ほぼ1年前だ。

「森」の消滅に関する記述は、"完全なる部外者"である自分でも悲しさを覚えたし、”完全なる当事者”である古川さんにとっては計り知れない悲しみを、それこそ『グスコーブドリの太陽系』の中で彼が書いていた以上の悲しみをもたらす出来事だったと容易に想像できる。そして今年3月に古川さんへ取材をさせていただいた際——「グスコーブドリの伝記 魔の一千枚」の章は単行本になった時点でまとめて読もうと決めていたため、「森」の消滅について3月の時点では知らなかったとはいえ——この「森」に関する話題を、いとも軽々しくしてしまった無知な自分を激しく恥じ、激しく呪った。尊敬する人に対して、無作法どころか徹底的に思いやりを欠いた、人として最低なことをしてしまった事実に泣きそうになった。泣きながら、古川さんに詫びたくなった。

自分ができる、せめてもの償いとして「森」の消滅がもたらした深い悲しみに寄り添ってくれる人が、一人でも増えるように。あの3月に東北で起きた出来事と、それがもたらしたあらゆる事柄が人々の記憶から消え失せてしまわないように。そんな想いを込めながら書いたのだが、果たしてそれが“償い”となんて呼べるのかは分からないし、むしろ傷口に塩を塗りたくっている行為ではないかと不安でもある。そもそも”補足”としてこの文章を書いていること自体、単なる自己満足や自己憐憫にしか過ぎない気もする。

またこの”補足”を通して、古川さんのことを“震災作家”だとみなすべきだと私が主張しているように感じる人もいるかもしれないが、私は古川さんのことを”震災作家”だと思ったことはこれまで一度もないし、これからも思いたくない。

確かに震災以降、古川さんの小説をはじめとする著作は”作品”としての強度をどんどん増しているし、作者である古川さんの”物語”と向かい合う姿勢もどんどん真摯になっているのを感じる。また私自身、力を入れて古川日出男という小説家に注目するようになったのも、彼のことを”個性的な作品を書く小説家”から”表現者として人として信頼できる存在”として捉えるようになったのも、「その三月に震災が起き、僕はひと月かふた月か、さまざまな文章が読めずにいました(*2)」という古川さんが蜷川幸雄さんから執筆依頼を受けて戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』(新潮社)を書かれてからだ(この蜷川さんとのやりとりや、それによって生じた古川さんの内面的変化については『埼玉シアター通信』vol.81掲載のインタビュー記事に詳しく書かれている)。それでも古川日出男という小説家のことを”震災作家”というひとつの言葉だけで形容したくないし、この考えはずっと変わらないと断言できる。そもそも古川日出男という小説家、表現者を完全に言いあらわせる言葉を見つけること自体が不可能なのだから。

願わくは、ひとりでも多くの人のもとに『グスコーブドリの太陽系』が届きますように。そして未来を生きる子どもたちのため、この国に、この世界にあふれる、あらゆる悲しみの連鎖が断ち切られるように祈ります。

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*1 『私だけのふるさと——作家たちの原風景』 毎日新聞夕刊編集部/編、 須飼秀和/画(岩波書店)
*2 『春の先の春へ 震災への鎮魂歌 古川日出男 宮沢賢治「春と修羅」をよむ』宮沢賢治、古川日出男/著(左右社)  


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