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不登校の母親も学校に行けなかった

私は50代、中学生のこどもがいる母親です。

こどもは中学2年になりましたが、学校には行けてません。先生方が必死になられ対応していただいております。

記事にはできておりませんが精神科にも通院しています。ご心配おかけして申し訳ありません。


ここからは私のお話です。

私は中学1年の2学期から学校に行けなくなりました。
おっちょこちょいだけど、自分で言うのもなんですが、意外と勉強は理解でき運動神経もまあよいほうでした。

自宅から中学校まで片道4キロ程あり、自転車通学をしておりました。

小学4年から剣道を習っていたので、中学校でも女子剣道部に入りました。
部活の男性の先生は、とても熱心で厳しい方でした。同級生の女の子は私を含めて3人だったんですが、ビンタ(ほっぺたを平手打ち)されたことがあります。どうしてビンタされたのかは、すっかり忘れてしまいましたが、1人の子の耳の鼓膜に穴があいてしまいました。

今だったらその先生は即処分されますが、当時は先生から生徒への暴力、体罰は当たり前で、保護者は「先生、うちの子が悪かったら、たたいてください」と言う人がいるくらいでした。先生がおっしゃることは正しく絶対的なものでした。

私が中学生の頃は、部活で熱心な先生は、たたいて指導するのが一般的でした。先生が生徒をたたいて、一生懸命その想いを伝え指導すれば、生徒にも伝わる、わかってもらえる、というような世の中でした。

小学校は1年から6年まで1クラスのみでした。中学校は3つの小学校が一緒になりました。環境の変化もあり、不器用なので慣れるのも時間が掛かったと思います。

中学1年の1学期の終わりぐらいから、仲良くしてくれていた友達から無視されたり、部活がきつかったりして限界がきて、2学期の始めから学校に行けなくなりました。

今思い返すと、私はがんばり過ぎて疲れたんだと思います。電池切れ、エネルギー切れでした。

おとなしく、友達に嫌なことは言えないし、外では感情を表に出すこともできなかったんです。友達に無視されても自分に原因があるんだと思っていました。


自分の話って疲れますね 笑
次回があるかどうか、自分でもわかりませんが、今回はこの辺で終わらせていただきます。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
みなさまの毎日が幸せでありますように🍀