見出し画像

実質休み0日理論

「おれはまだまだ休めるぜ」

それは2019年、10連休となったゴールデンウィーク明けに吐いた私のセリフである。あまりに長い連休、実際どんな風に充実して過ごそうか不安がまったくなかったわけではなかったが、杞憂にすぎなかった。

休みが長すぎるなどということはない。

まず第一に、人が朗らかに休日を過ごすためには、1日の休息が必要だ。そして休日のフィナーレには、やはり充実した休日を過ごした体を癒すためにも、1日の休息が必要不可欠。つまり10連休というのは、はじめと最後の2日を除いた、実質8日間の休みなのである。

私は普段土日が休みであるが、先ほどの理論から行くと、実質休みは0日だ。

飛翔するための踏み込みが土曜日なのであり、呪うべき平日への決死の不時着を覚悟するのが日曜日だ。つまり我々は踏み込んで着地するだけ、踏み台昇降のようなウィークエンドで毎度毎度お茶を濁しているわけだ。このことに無自覚でいられるような我々ではあるまい。

大学入学した頃、法に則っていそうなぐらいしっかりとした動画サイトで観賞した「涼宮ハルヒの憂鬱」が、超優良有料サービスNetflixで配信されていたのに気付いたので、ギターを抱えて“ながら見”していた(前回note参照)。

放送当時話題になった「エンドレスエイト」という回がある。

8月。夏休みもあと2週間というところで、「夏は夏らしく、夏じみたことをしないといけないの!」という“涼宮ハルヒ”の思いつきで、周囲のものを巻き込み、花火やお祭り市民プールやカラオケなどなど、力の限りの夏休みの最後を満喫していた。最終日前日、全てをやりきったかのように思われたが、実は“涼宮ハルヒ”は夏休みの過ごし方に満足していなかった。その不満がトリガーとなって、世界は夏休み「最後の2週間」をはじめからやりなおすという無限のループに突入してしまう。

当時「エンドレスエイト」は8週にわたって放送された。

8週…?

実はその内容は、夏休み「最後の2週間」が延々と繰り替えされるというもので、カットや描写が毎回微妙に違うものの(ということは毎度新しく結構な割合のカットを描いている)、セリフや展開などはほぼ一緒という、かなり責めちらかしている内容で、制作側もごたついたのだとか(wiki参照)。

登場人物たちはそのループを1万回以上繰り返しているとのことであったが、「最後の2週間」がリセットされるたび、彼らの記憶はほぼリセットされるため、途中でなんとかループしているという事実には気付くものの、それを止める手立てが見つからず、毎回エンディングとなってしまう。

登場人物たちの記憶はリセットされるが、当然視聴者の記憶はリセットされない。“ながら見”で挑んだ私であっても、実際にループに巻き込まれたかのような不思議感覚を楽しんではいたが、まあまあわけのわからない時間を過ごしていた。当時毎週アニメを楽しみに見ていた者たちの気持ちはどのようだっただろうか。その場に居合わせてみたいような気もするが、気の毒でもある。

実は、アニメ内でも長門(物静かな美少女だが宇宙人)というキャラクターだけはそのほぼ永遠ともいえるループのすべてを記憶を保ったまま過ごしているというクレイジーな立場であった。当時の視聴者は長門の立場に妙な共感の熱視線を送っていたのかもしれない。

それはさておき、第8週目ではついに夏休みのループが解かれることとなる。

ループから脱出する鍵は、友達と夏休みの宿題をすることだった。才色兼備だがとんでもない変わり者の“涼宮ハルヒ”は、友達がほとんどいなかったのか、夏休みの最終日に友達と宿題をするという行為が新鮮だったらしく、「夏らしく、夏じみたこと」という願望を刺激的に満たしてくれたようだった。

休みと言うのは有限である。

大学生活という人生の夏休みを、“進学”と言う、見方によってはある種真っ当にも見えるデンジャーな方法で、無限ループさせていただいた私であったが、そのループを脱した最後の鍵は時間であった。

結局、休暇と言うのは限られている。だが、そこでループから脱出してもいいと思えるような、“友達との宿題”が見つかるかどうか。それが問題なのである。

だから私は、実質0日のウィークエンドに、ギターを担いでせっせとスタジオへと向かうのであろう。やれやれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?