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君にはずっと笑っていて欲しいよ、

丸山くん、そして関ジャニ∞様へ


お手紙を書いてみたいと思います。

丸山くん、わたし達だいぶともうお互いに年を重ねたけれど、改めてわたしから見てあなたはいつまでも太陽みたいな存在だと思いました。
それはあなたが40歳になろうとする今も変わらずにそこにある事実であって、少し遠くから贈るわたしの愛みたいものがこの20年の間に少しだけでも届いていたら嬉しいです。

あなたを好きだと認識すると同時にあなたのようになりたいと願った中学生のあの頃から、わたしは多分人より格段に感受性が豊かで世界の解像度が異常に高くてあれもこれも、それも感じとっていく中で、ずっとあなたへの憧れや人間として好きだと感じる気持ちだけはブレることなく存在し続けたものです。

数えきれないほど難しい決断をして、紆余曲折すぎる出来事を乗り越えてここまで関ジャニ∞として歩んできてくれたこと、松竹座から始まったあなたたちの旅の行き先にはこんな素敵な未来があるよと導いて教えてくれたこと、どんな時も前を向いて笑っていてくれたこと、全てがわたしの生きる糧でした。
誰よりも強くてそして誰よりも弱くて、感受性が豊かだけど滅多に涙を見せないそんなあなたが本当に大好きでした。
いつしかのインタビューで「僕が泣くと、泣いてる僕が印象に残るし、ファンの人にそんな悲しい思いをしてほしくないから泣かないようにしている」と答えていたことが本当に印象的でずっとずっと心に残っていて、わたしも基本的には人前で涙を流すことは絶対しないようにしているけれど、あなたには想像するだけで泣きたいようなことが立て続けに起こった時期もあったのに、いつも変わらずに元気に笑っていたことは尊敬と賞賛を贈ると共に少しだけ胸が痛くなりました。

約20年間、振り返ってどうでしたか?
もしかしたら得たものよりも失ったものの方が多かったですか?
わたしもこの20年間は色々な感情と戦って漂ってきた日々でした。
泣いたり笑ったり、言葉に出来ない思いも含めて本当にたくさんのことがありました。
友達の付き添いとしてはじめてあなたたちを松竹座で見てファンになった中学生だったわたしはもう30代半ばになりました。
途中、あなたたちから離れたこともあったし、自分のプライベートを充実させようとあなたたちを遠ざけたこともありましたが、心の底にはいつもあなたたちが歌う素敵な歌が変わらず在りました。

「誰かを推す、誰かを応援する」ということ自体が昔に比べると当たり前の世界になってきたことが嬉しいです。
ジャニーズが好きなの?だから彼氏できないんだよ、と少し見下されることもあったわたしたちの若かりし頃と違い、今は誰かが好きだと声に出しやすい時代になったなあと思います。
推しグッズが当たり前のように販売されるようになったのを見ると優しい気持ちになります。


誰にも信じてもらえないかもしれないけれど、本当にただ単に昔から丸山くんが関ジャニ∞が大好きでした。むしろ、それで見下されるくらいで良かったわたしの感覚はなんだかちょっとへんてこりんで、そんなことでみんなから気軽に見下されてもなぜかそこに対してはどうしようもないくらいの自信があって怖いほど真っ直ぐに関ジャニ∞が大好きでした。
誰かにとってはガラクタだっとしても、わたしにとってはとてもとても大切なものだったし、丸山くんや関ジャニ∞、そしてそれを通して出会えた大切なお友達には改めて感謝の言葉を贈りたいです。
丸山くんが好きなKちゃんが好きだよ、とそう言ってもらえたあの日の嬉しさをわたしは今でもひっそりと心に燈のように抱いて生きています。

もうすぐ20周年、本当におめでとう。
関ジャニ∞、成人おめでとう。
何かを長年継続することの難しさはわたし自身も感じていることで、ましてや会社員みたいに昇格があって分かりやすく役職が上がるわけでもないから、常に自分たちで目標を決めて突き進んでいくというそんなことをずっと繰り返していることさえ尊敬で拍手を送りたいです。
「関ジャニ∞って知ってる?」という問いかけが、いつからか「関ジャニ∞のコンサートに行くんです」で通じるようになったのはただただあなたたちの努力の積み重ねであり、いつの日も前を向いて歩いてきたからなんだろうなとそんなことを思うとちょっぴり涙しそうです。

デビュー当時はきっと、CDの売上枚数やテレビの視聴率の増加、関ジャニ∞として知ってもらうためにドラマ出演やバラエティ出演の獲得、ドームでのコンサート開催、野外コンサートの開催とわかりやすくて目指すべき色んな目標があったと思うけれど、仕事に慣れてくると自分で探さなければモチベーションを保つことが本当に難しいからこそ、ここまで丸山隆平として、関ジャニ∞として頑張ってきてくれて、光になってくれてありがとう。
多分きっと思うほど真っ直ぐに歩いて来れなかったかもしれないけれど、逸れた何かにはいつかまた会えると信じてます。
関ジャニ∞として継続する道を選んでくれたこと、心から感謝します。

関ジャニ∞20周年前夜祭@富士急ハイランド・コニファーフォレスト、とっても楽しかったです。
関西から富士急へは行き方が大変で、もうわたしも若くないので野外で体力が持つかどうかとても不安だったけど、一緒に行こうと言ってくれるお友達がいてくれて、とても素敵な思い出になりました。
後輩にお願いして有休の日にちを譲ってもらいました。始めて会社の同じ部署の人に「関ジャニ∞のライブに行くから休みが欲しい」と関ジャニ∞が好きだということを伝えました。たまたま後輩もバンドが大好きで「関ジャニ∞かっこいいですよね。楽しんできてください。」と譲ってくれた有休だってことも忘れません。

2週間前からひたすらに持ち物と天気のチェックをして、こんなにワクワクしたのもライブのために遠出するのも久しぶりで生きてるなあと感じていました。

見事に台風は前日に過ぎ去って曇り後晴れで迎えたあの日のあの景色、みんなが笑顔で演奏して歌うあの空気、ヤスのバースデーを祝ったこと、丸山くんの笑顔、忘れないと思います。
Age is just a numberがこれほど似合うグループが他にいるだろうか、とヨコがギターを弾く未来があるなんて、わたしは今のわたしとして関ジャニ∞が大好きなんだと叫びたくなりました。

ヤスがここまで来るのには良かったことだけでなく涙したこともたくさんあると言っていたことも相まって気づいたら久しぶりのLIFEで少しだけ涙が流れました。
それはきっと哀しみや切なさではなくて、なんだろうね、まるで心臓にレモンをぎゅっと絞ったみたいな感覚でわたしもまだまだ生きていかなくちゃって、そう思わせてくれました。

わたしは自分が未だに完全に理解できていない苦しみを抱えながら、こうやって目標にしたい誰かを頼りになんとか前を向いて生きていく、そんな繰り返しの人生なんだろうな、とふと思いました。
生きれば生きるだけどうして自分がこんな生き方しかできなかったのか分かる予感がします。
一度も汚れずに白のTシャツがまっさらなままの人には興味はなくて、ついてしまった汚れを必死にゴシゴシこすって落としている、こんな汚れもあっていいよねって笑うそんな君のことを綺麗だと言うためにわたしはここに存在したいんだ、と。

綺麗に生まれたかった、綺麗なままで生きてみたかった、綺麗だと思って誇れる人生を歩みたかった、とそんなことを少しでも思ったことのある誰かを、あなたを、綺麗だと言い張るためにわたしはこの現実世界を生き抜いていきたい、と。


どんなフィルターや色眼鏡を通しても、わたしにはあなたが希望でした。
この世界が愛すべきものだけか、憎むべきものだけか、寂しさに溢れているのか、美しさにあふれているのか、わかりません。
どのグループにも永遠なんてないから行ける時にコンサートには行っておいて、とそれは昔も今も変わらず思うことです。
でも応援の仕方はたくさんあって、コンサートに行っている回数が多いから愛が強いわけでも、いつも前方の席にいるから愛が強いわけでもなくて、愛なんて誰にも証明しきれないものなんだろうなって。そんなことをここまで過ごしてきてやっとやっと理解した気がしました。
そして、誰も自分の愛の詳細を話して説明する必要もないし、他人の愛も知らない、自分の中で勝手に作り上げてそれは自分史上最大だったとか、最大級だったとか言い放つ、それで良いんだと思います。
でも、だからこそこんな理不尽で不平等で全てを見渡すことができない世の中で、誰かに対する愛が目印になったりするんだろうなと感じました。

くだらないちっぽけな人生の中で、これほどまでに心揺さぶられるものに出会えたこと、わたしの好きという気持ちが迷惑ではなくて応援として届くこと、それをきっかけにお友達が出来てずっと繋がっていられること、そのお友達のおかげで世界が広がったこと(仕事以外の世界に生きられたこと)、そんなことまるっと含めて生きてきて良かった。生きてきたからこそ味わえたんだとそう心から思いました。

高校生のあの夏の日あなたに会いたくて触れてみたくて握手会に並んだこと、松竹座でのコンサートや舞台、内くんの脱退、初めてのアルバムを引っ提げてのアリーナツアー、47都道府県ツアー、24時間テレビ、ルッキズムに悩みすぎて大学辞めたいなあと思いながら行ったワッハッハー春ツアーの帰りはなぜだか新横浜から京都まで新幹線の中で涙が止まらなかったこと、サインを投げてくれたのにキャッチできなかったワッハッハー夏ツアー、野宿になるかと思った時もあったけどたくさん回って楽しかったPUZZLEツアー、はじめてのドームコンサート、はじめての年末カウントダウンコンサート、みんなでカウントダウンのあとに鳥貴族ではしゃいだこと、はじめてのドームツアー、8周年イベント、花火のすすでTシャツが汚れたはじめての野外スタジアムライブ、10周年、15周年、すばるや亮ちゃんの脱退、その他一目見たくて必死にチケットをとった映画の舞台挨拶、番協、何度も通った梅田芸術劇場、あれやこれやと走馬灯のようにあなたと、そしてみんなと過ごした大事な日々を思い出しました。
もう連絡をとっていない友達もいるけれど、幸せにしてくれていたらいいなと思うし、あの頃の思い出がわたしにとってだけではなくふと思い出した時にあなたにとっても素敵で色褪せない思い出ならいいなとそっと願います。
それもこれも、関ジャニ∞含め丸山くんを好きになってできた縁で、そっと大切にしたい思い出です。


悲しみも愛しさも強い想いもmyselfだから、
あなたたちがまだまだ終わらないからと歌うから
、きっと、もっともっとずっと先に答えがあると信じて生きていこうと思います。
ジャニーズがこんなにネガティブな意味で話題になっていてわたしもなんだか苦しい気持ちもありますが、ただ単にこれからも関ジャニ∞をそっと応援できたらと思います。永遠はないけれど、できる限りあなた達にとって素敵な未来があることを願ってます。ひとまず来年20周年の約束をしてくれて本当にありがとう。
いつの日かどこか必要なタイミングで全てを回収出来ると信じています。それまでどうか、丸山くん、あなたも笑っていてね。わたしもできるだけ笑顔で過ごせる日々を頑張ろうと思います。


                  Kより

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