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誰よりも私たちはただ甘いんだね、

今年の夏はこの2年間を取り戻すようにたくさんの人と遊ぼうと決めたのと同時に少し嬉しいお話もあって三連休は東京に行こうと決めるまでに時間はかからなかった。


いつも一つだけ足りない、あと一つ支えがあれば立ってられるのに、ってそんな感覚でずっとずっと生きている気がしていることだけは確かで、どうして人は生きるためだけに、誰かを必要としてしまうんだろう。どうして自分一人で怪獣や恐竜のように力強く生きていくことができないのだろうと自問自答する。そしてそれを堂々巡りしたところでいつも腑に落ちる解決策には至らず、ただただ自分の情けなさが露呈されるような、そうまさにゴシック体より明朝体が似合うようなそんな生き方をしてきた。



五反田で周子姉さんと飲んで4時間語ったこと、わたしの人生の中の「飲みベスト10」に入る。そして、これから先もなんだかずっと忘れない気がする。
わたしと真反対みたいな世界で生きている周子姉さんに改めて、毎日同じ場所に出社できることや、もう12年以上同じ仕事を続けていることについて「誰でもできることではないよ」と自分は当然だと思って過ごしていることを賞賛されるとむず痒いけど嬉しくて仕方ない感情になった。

お互いの生い立ちを始めて語って、わたしはこの年齢になってやっと自分が得意なもの、苦手なものの輪郭がはっきり分かる気がした。
わたしはもっぱら、自由が苦手。
自由にどうぞ、お好きなように、と言われるとやったー!という気持ちよりもどうしたらいいんだろう?の思考に洗脳されて結果、どっと疲れる。
でも、カッチリ決められたものを与えられるとその中での効率性や自分のポジションを見つけること、そういうことに関しては比較的得意だと思う。だから、リーマンショックでどうしようもなく選んだ今の会社や今の業界は自分に合うことをなんとなく知っていたのかもしれない。自由を謳歌することが下手なわたしが、わたしとして生きていける世界だったんだろうなとなんだか今の仕事をいつもより好きになれた。周子姉さん、ありがとう。

だけど、わたしには今の仕事以外に以前から少しやりたいことがあって。それはそれとして諦めずにこれからも向き合っていこうと気が引き締まった。
60歳になっていきなり蕎麦打ちしたいとかカフェしたいとか畑したいとか言い出さないように、自分の時間を大切にして前を向いて生きていけたらいいなあと。
(蕎麦打ちしたい、畑したいのくだりは本当にめちゃくちゃ笑ったし、でも周子姉さんの言うこと正しくてすごく印象的でした)

あと、周子姉さんがわたしにくれた言葉で最近のわたしのトピックを話したときに、
「大丈夫、全部過去問になるから。色んな経験をできたKちゃんはすごいよ、素晴らしい」と言ってもらって、「全部過去問になるから」って言葉のチョイスすごい素敵だなあと思ったことも多分忘れないだろうな。
わたしは、きっと側から見ると“ちゃんとしてる人間”のカテゴリーだろうけど、“ちゃんとしてるけどクレバーな人間”が実際のわたしであるから、そんなことを分かりながら接してくれた周子姉さんに感謝。

頑張ったな、と心から思える日なんて一年で数えるほどしかなくて、それ以外の350日ほどは気づいたら時間が過ぎていて、こんなことで大丈夫だろうかと思ったりすることも少なくない。
もっともっとストイックにあれもこれもしたいのに、と考えるという行為だけはベテラン並みであるのに、人間は甘い生き物なんだと再認識する。だからこそ、「それでも。」と思考を続けることをやめずに、「それでもね、」と言って訴え続けることこそが大切なんだろう。思考だけは断絶することのないように、時々訪れるするどい孤独や誰かからもらう愛をちゃんと受け取ると同時に忘れないようにするためにはやはり生き続けるしかないのだと知る。


類似性の感性や経験はあったとしても誰一人として全く同じ出来事を体験することはできないからこそ面白いのかもしれない。

わたしは営業なんてしたくなかったし、できる自信もなかった。当時は先輩をすっ飛ばしてわたしが営業に出された経緯も納得いかずにモヤモヤしていたけれど、それでもたくさんの人と話したり経験を分かち合ったり、そういうことは人生を深めているんだろうなあと思う。誰かとお酒を交わして飲む時にたくさんの経験量があると深みが出ることはきっと美しい出来事なんだろう。

今回、東京で4人のお友達にあった。
全員出会いはバラバラで、ジャンルもバラバラのお友達。仕事も生き方も違って、たくさんの学びを得た。
中には15年ぶりに再会したお友達もいて、この15年間の出来事を分け合って話をするだけでもなんだか映画に出来そうだな、なんてことを思っていた。彼女と高校生の頃、文系の授業を一緒に受けており、発表準備のためにスタバで用意したことはわたしも記憶の片隅にあって、それを覚えていてくれたことはなんとも不思議な運命ってやつで、わたしと彼女との見えないなにかの等価交換のようだった。

胸が痛くて仕方ない夜がある人生は、たったの一度も胸が傷まない人生よりもずっと幸福なんだろうと思う。こんなに痛いからこそ確信する。わたしのことを、本当に傷つけることができるのは、愛だけ、だと。それ以外の愛みたいなものではわたしの心に傷を残し切ることはできやしないと。


思いつくことさえ幼すぎて、何一つ差し出すことすらできないけれど、それでもわたしはこれからも文字にしたり表現したりしながら、今の仕事を続けながら軌道修正をして生きていきたい。
もう、〇〇しなければならないという考えはある程度手放せたからこそ、自省はするけど自尊心はある程度保てるように、分かりあえる人とはこれからも変わらず分かり合って冗談を言いながら日々を進めていけたらいいなと思う。

 

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