いぬのきまり 1
犬を飼っている。8月で11歳になるオスのコーギーだ。
名前は「ふく」。
普段「ふくちゃん」と呼んでいるので、彼のことはここでも「ふくちゃん」と呼ぶことにする。
ふくちゃんと11年間一緒に暮らしていて、彼にはいろんな「きまり」があることを知った。
まず朝起きるとすぐにごはん。
空になった皿と近くにいる人の顔を交互に見て
「分かっておろう」
みたいな顔をする。
皆、朝は慌ただしいので、すぐに構ってあげられないときには
「ア゛ッ・・・ア゛ッ・・・(重低音)」
で訴えてくる。
それでもダメならごはんをくれそうな人の真ん前まで行って、皿を鼻で指し示しながら、さっきの重低音を鳴らし、
「早くカリカリをぼくの皿に入れぬか」
と言ってくる。
ごはんを食べることが1日のうちで一番大事なイベントなので、その時の表情は真剣そのものだ。
その間、誰かが起きてくるとお尻をプリプリさせながら
「おはよっ!おはよおはよ!おはようっ!ねえ!ぼくの高さまで下りてきて!ねえねえ!鼻の頭舐めるから下りてきてよ!ねえ!」
という歓迎の儀を執り行う。
歓迎の儀が滞りなく執り行われたところで、ごはんアピールの真剣な表情に変わる。
「ごはん」のときの表情はものすごくシブい。
普段「ふにゃあ」という顔をしているのに、「ごはん」になるとデューク東郷みたいな顔になる。
すごく不思議だ。
しかし、「ごはんアピール」を行うことよりも「おはよう」を優先させるところに彼のペットとしてのプロ意識が垣間見られる。
ちなみに父が起きて来ても「おはようの儀」はしない。
ごはんをもらえればすぐに散歩だ。
散歩は父が行っている。
父がごはんを食べていようがテレビを見ていようが関係ない。
「早く散歩に行かぬか」
と重低音で訴える。
父がカーペット上で新聞を広げればふくちゃんは必ずその上で寝そべる。
二足歩行の父は食後にすぐ動くと良くないので、少し時間を置いてから散歩に行きたいのだが、四足歩行のふくちゃんはそれを許さない。
「お前は自分勝手だ」
と父はふくちゃんによく言うが、犬とは自分勝手な生き物なので、
「トマトは赤い」
と言うことと、さほど差がない。
つまり、意味のないことである。
ちなみにふくちゃんは必ず「お父さん」と散歩に行くことにしている。
私や母が散歩に行っても、帰宅後に父を見つけたら、父とも散歩に行きたがる。
そして父と散歩に行って必ずうんこをする。
「ぼく、おとうさんにうんこ、とっといたよ!」
と言わんばかりにニパァと口角を上げて喜んで父と散歩に行く。
父も求められて満更でもなく、両者の間ではwin- winの関係が成り立っているため、私は敢えて何も言うまい。
散歩からかえってくると、必ずみんなに「ただいま」を言って回る。
テレビを見ている人、洗面所で顔を洗っている人、台所で料理をしている人、全員を探し当てて、鼻でスタンプを押して「ただいま」と言う。
「ぼくの留守の間に誰かが消えていないか」
という確認作業かもしれない。
確認が終わるとようやく水を飲む。
喉が渇いているはずなのに、水よりも「ただいま」を優先させることは彼のプロとしての心意気だ。
水の後はささみか胸肉の要求だ。
歳をとって足腰が弱くなって来たので、最近では茹でたささみか胸肉をあげている。
お肉の要求は「お肉おばさん」の母に向けられる。
「お肉おばさん」は悪口ではない。
ふくちゃんから見た母は紛れもなく「お肉おばさん」なのだから仕方がない。
重低音とスナイパーの視線で肉をゲットした後は眠くなる。
みんなが1人ずつ出かけて行くのを見送って、ようやく縁側で眠りにつく。
(いぬのきまり 2 へつづく)