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区の保健センターの坐禅会に行ってきた話

こんにちは。坐禅体験会に行ってきましたよ。


1ヶ月くらい前、近所の区の掲示板に貼ってあった「坐禅体験会」開催のお知らせをふと見つけました。

世田谷区の保険センターが、区民の心の健康のために無料で開催してくれるとのことです。
もちろん、行くしかないですね。
一応抽選とのことですが、心が不健康な僕が落選するわけないです。

早速ネットから申し込むと、数日後に当選ハガキが来ました。
何のために申込フォームにメールアドレス入れたんでしょうか。


noteの記事でも何度か禅の思想を取り上げてはいますが、
実は、福井の曹洞宗大本山永平寺で一度だけ簡易的な坐禅体験をしたことがあるだけで、今回が人生で2度目の坐禅体験になります。


さて、今回の坐禅は、保健センターの広間で駒澤大学仏教学部の教授をお招きしての講習会です。
禅宗にもいくつかの宗派がありますが、駒澤大学は永平寺と同じ曹洞宗だそうです。

まずはじめに、坐禅についてのお話を聞きました。
ちょっと長いですが、思い出せる範囲でまとめておきますね。

「禅」の意味について

そもそも「禅」という字は、本来どういう意味なのか。

「禅」の語源は、インド発祥である仏教で「心が一定の落ち着いた状態」を意味する「ジャーナ」という言葉に、「禅那」という漢字を当てたものだそうです。
教授曰く、「暴走族が『夜死露苦』と書くのと同じです。ただの当て字ですから、漢字自体にあまり深い意味はありません」とのこと。

マジかよ。


正法眼蔵

次に、道元禅師の『正法眼蔵』坐禅儀の巻から、一部抜粋して紹介していただきました。

坐禅は情処よろし。

「情処(じょうしょ)」とは、文字通り「静かなところ」ですね。
坐禅は静かなところでやりなさいと。
確かに、坐禅はあまりうるさいところで行うべきではないですが、そもそも「うるさい」と感じるのはどういうときでしょうか?
例えば、友達の話を聞こうとしているのに、他の人の喋り声が邪魔で「うるさい」と感じます。
つまり、聞きたい音と聞きたくない音を選んでいるから、「うるさい」と感じるわけです。

坐禅をするときも、やはり完全なる無音というのはありません。
いろんな音が耳に入ってきますが、その音に対して何かを考えたり想像したりすることがなければ、ただ音がそこにあるだけで、「うるさい」とはならないということでもあります。

坐蓐あつくしくべし。

「坐蓐(ざにく)」は、坐禅の時に下に敷くものです。
今回は、座布団を2つ折りにして座りましたが、本来は、坐布という丸いクッションを使います。
坐蓐をしっかりと敷くことで、脚の負担を軽くしながら、安定した姿勢を保ちやすくなります。

ちなみに、「坐禅」の坐の字ですが、もともとは、「座」は座布団や座敷のように「すわる場所」を指し、「坐」が「すわる」という動作を意味していたそうです。
もちろん、「座禅」と書いても間違いではありませんが、今回あえて「坐禅」と書いているのはそういうことらしいです。

風煙をいらしむることなかれ、雨露をもらしむることなかれ。(中略)
容身あきらかなるべし、昼夜くらからざれ。冬暖夏涼をその術とせり。

要するに、屋内で、適度な明るさで、冬なら暖かく、夏なら涼しいところでやりなさいということです。
これは少し意外に思われるかもしれません。
しかし、(宗派にもよるかとは思いますが)坐禅とは決して過酷な状況で自分を痛めつけたり耐え抜いたりする修行などではなく、ましてや「罰」として行うものでもありません。
むしろ、こういう自然体でいられる環境だからこそ意味があるのかもしれません。


すでに坐禅は始まっていた

ということで、実際に坐禅を組んでみます。

目指すのは無の境地です。
仏教では、「無」とはすなわち「縁起」であるということになるのですが、今回はこの話は割愛するとして、
やはり坐禅ですから、「非思慮」、つまり「考えない」ことを心掛けます。

ここで問題発生です。
何も「考えない」ようにすると、「考えない」ということを考えてしまうのです。
まさに、禅問答。

例えば、雨の音が聞こえても、「雨結構強いな」とか「明日も雨なのかな、洗濯物干せるかな」などと、そこから何か考えを広げることなく、
音を聞いても、そこから何も考えないということです。
坐禅中に何かがふと頭に浮かんでも、それ以上何も考えないようにするのです。

鏡のように静かな水面に石を落とすと波紋が広がりますが、またすぐに収まって滑らかな水面に戻るかの如く、
決して、自分の五感を完全にシャットアウトしてしまうわけではありません。

なかなか難しいです。
考えないようにと意識しすぎれば考えてしまいますし、何も考えないと眠くなってしまいます。

今回は、15分と20分の2回行いました。
終わってみると、もうそんなに時間が経ったのかと、不思議な感覚ではありましたが、
無の境地なるものは体感できませんでした。

いや、何度か「これが無の境地か!」と思ったのですが、「これが無の境地か!」などと考えている時点で「無」ではないのです……


体験会の前日、明日は坐禅だから眠くならないようにと、早めに布団に入りました。
当日のお昼ご飯も、少し軽めに済ませました。

そう、坐禅はすでに始まっていたのです。

坐禅を生活に取り入れるということは、そういうことなのでしょう。

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