六昆王

「市場で象が暴れています」
 ネオアユタヤシティ知事シーは、秘書が差し出した携帯電話からの声、県警視監の報告にため息をついた。昼食のパッタイを取り上げられたこと、警視監の掠れ声に食欲を削がれたこと、孫娘が出稼ぎの象使いに熱を上げていること……。それは万感の思いが込められたため息だった。
「……そうですか。では対応をお願いします」
「すでに市民の避難誘導、交通統制、象使いの手配は進めています。事後報告となり申し訳ありませんが、死傷者が出ているため即応させました」
 死傷者。その言葉が減退していたシーの意識を叩き起こした。なにが孫娘だ。クソ田舎で糞にまみれたいなら勝手にすればいい。
「死者の数は?」
「少なくとも10名。象使いと居合わせた市民のほかに、観光客らしき白人もいるようです。……どうされますか?」
 警視監の曖昧な質問をシーは正しく理解した。
 象をどうするか。異教の広がる周辺国と争うように加熱し続ける国教の象徴が、人に危害を加えた今、どう対処するべきか。どのような指示を出せば、市民の誹りを避け、警察に軽んじられず、国軍を増長させず、中央から睨まれずに済むか。どうすれば、自分の命を守れるのか。
 なぜ俺の任期に、ブッダよ。
「……腕の立つ象使いを集めましょう。……最悪の場合は、麻酔銃を」
「了解しました」
 シーが言葉を絞り出すと、警視監は苦々しげに同意した。象に手を出したくない、手を出せと部下に命じたくないという点は彼も同じだった。

 同時刻。ネオアユタヤシティ南端の小さな食堂で、二人の男がカオソーイを食らっていた。
「見ろ山田。おっかねー」
 男の一人が天井のテレビを仰ぎ、箸を振った。もう一人は器から顔も上げなかった。
「津田さん唐辛子取ってください」
「聞けよ。でけえ象が暴れてんの。もう怪獣だなありゃ」
「津田右門1佐、唐辛子」
「持ち上げつつこき使うな」
 津田はテレビから目を切り、隣卓の唐辛子瓶に手を伸ばした。 【ウォーミングアップなので続かない】

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