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人代の午後

「ペットボトル! うわ、久しぶりに見ました」
青すぎる常夏空の下、崩れかけた廃墟に私の声が響いた。街を彷徨っていた私に声をかけ、隣に座らせた老人は、手に持つそれを軽く振って笑った。
「もちろん未開封、混ぜ物無しのストレートティーだ。なんと……十年物だな」
「賞味期限やばいっすね」
細い目をさらに細めて印字を読む老人に、私も笑った。
「ま、何喰っても死ななきゃ上等ですけど」
「その通り。どうだ、世界最後の紅茶、一緒にやらんか。一人じゃもったいない」
老人の申し出に再び驚き、私はあたりを見回した。人の気配はない。この街に入ってから――いや、この60日で初めて見た人間がこの老人だった。
「いいですね。いっそ混ぜ物もどうです?」
私は鞄から小さな瓶を取り出し、蓋を開けた。老人は紅茶に似た液体が立てる幽玄な香りを胸いっぱいに吸い込み、惜しみながら吐き出した。もちろん私も同じようにした。
「すばらしい。すばらしい午後だ」

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