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男はクジラと話そうとした。


 クリスチャン・ボルタンスキーが死んだ。

 実在した人物の訃報から文章を書く。私は当該人物と会ったことがない。死者について語ることが禁忌だとは思わないが、赤の他人がやるとなれば話は別だろう。必ず悪趣味を含むことになる。それでも書く。感情を残しておくために。

クリスチャン・ボルタンスキー?
 クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)は現代アーティストです。1944年のパリに生まれ、2021年7月にがんで死去しました。享年76歳。「死」と「生」を端的かつ柔らかく扱う作品は国際的に評価され、また日本国内での活動も多かったため、それこそ私のような浅瀬から美術を眺める輩でも覚えてしまえた人物です。名前は知らない方でも、作品の映像などを見ればピンと来るかも知れません。来ないかも。分からん。
 以下で触れる作品は全てボルタンスキーの手による物です。名前だけでも覚えて帰ってくださいね。


 2015年8月、大地の芸術祭で『最後の教室』を見た。

 大地の芸術祭は、新潟県十日町市、越後妻有地域で三年に一度開かれる芸術祭だ。
 芸術祭は文字通り芸術を主眼とするお祭りで、企画によって規模は変わるが、美術館だけでなく街中に芸術作品が点在・展示されるものが多い。路上の屋外にぽつんと現れる期間限定のパブリックアートもあれば、建物自体を改築あるいは建築、そして期間外にも展示が続くような作品もあり、それらが大小一斉に稼働する様は、まさしくハレの日、祭りである。首都圏や都市近郊で開かれるものもあるが、まあ、地方が圧倒的に面白い。こちらに旅行気分があることは否定できないが、やはり地域との繋がりの濃度がまるで違う。その点も祭りの特性だと思う。
 大地の芸術祭の始まりは2000年7月。二十年を経た今や開催規模と累計1000点を超える作品数において、世界でも最大と言われる、大祭である。
 クリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマン(舞台美術家・照明デザイナー)による『最後の教室』は、それら1000点の内の一作品だった。

 廃校となった旧東川小学校を改装した作品。芸術祭向けに調整された既存の美術館にも匹敵する、最大規模の展示である。制作は2006年。

 もちろん芸術祭は競技大会ではないので、規模の大小は表現手法の範疇ということになる。実際、見上げるほど壮大な作品を素通りすることもあれば、掌に乗るような作品に目を奪われることもあった。とはいえ素材のスケールと作者の背景を切り離すこともできない。実績がある=集客が見込めるから手間の掛かる素材を与えられた、という線はありえるだろう。デカいものはデカい時点ですごいのだ。
 2015年8月の私がそのようなことを考えたわけではなかったが、感想は大体同じだった。
 うわー、スケールがデカい。すごい。え、ヤバ。ホラーゲームじゃん。こんなんやって良いんだ。これが芸術祭ってやつか~……言っていることは大体同じ。これが初めての芸術祭、初めてのボルタンスキーだったので、勘弁してほしい。

『最後の教室』は「人間の不在」を表現している、と手元のガイドブックにある。ずいぶん親切な設計だと思う。
 山間に立つ廃校の窓を全て塞ぎ、照明を落とす。廊下には揺れる豆電球の明かりと強烈な逆光、正体の分からない轟音(写真では伝わらないが、校内には巨大な鼓動のような音が絶えず鳴っている)だけがある。階段を上った先の教室には、棺桶のような透明の筺が並んでいる……。「不在」の強調はテーマを明かすまでもなく伝わる。そのように作りながらさらに主題を説明してくれるのだから、やはり親切だと思う。大きく、恐ろしく、しかし難しいことはない。

 2016年7月、瀬戸内国際芸術祭で『心臓音のアーカイブ』を見た。

 芸術祭について……はもう良いとして。瀬戸内国際芸術祭も日本を代表する芸術祭の一つで、時刻表を睨みながらフェリーで巡る特大のスケールが特色。これはマジでチョー楽しい。生活するとなれば感想は変わるだろうが、気楽な観光の身では祭りというより冒険である。
『心臓音のアーカイブ』は、島々の一つ豊島(てしま)の北東部、唐櫃浜の、砂に呑まれそうな小屋に存在する。その内部、豆電球が点滅する空間で、世界中の人々の心臓音が録音・再生される。そこにはボルタンスキー自身の音も収められている。制作は2010年。

 心臓音だけがあり、心臓の持ち主は誰もいない。広い空間ではない。息苦しく、ほとんど歩く余地もなく、寸前まで視界にあった瀬戸内の海と空が恋しくなる。『最後の教室』と重なる感覚はあるが、より外の世界を重視する作りだと感じる。

 2016年10月、東京都庭園美術館で『アニミタス - さざめく亡霊たち』を見た。

後述する回顧展で購入したレプリカ。こういうのがプラプラしていた。これは鳥……だったと思う。

 常に轟音のあった『最後の教室』『心臓音のアーカイブ』とは違う、静かな展示だった。元は宮邸(のちに公邸、迎賓館)という庭園美術館の貧弱な防音設備からすれば当然なのだが、個人的には過去二度の体験との落差からまさしく「さざめく」展示だと感じられ、とても良かった。
 仕切られた部屋のあちこちで、影とその元の紙片が揺れる。人型のものがあり、動物か精霊のようなものある。亡霊の輪郭は少しも精緻ではなく、どころか子どもの工作のように不均衡で、愛らしい。ボルタンスキーはそれらを亡霊と呼んだ。そこには死への親しみがある。

 2018年8月、大地の芸術祭を再訪。『最後の教室』『影の劇場』を見た。

 正直な話、私は二度の鑑賞の記憶を混同している。昨日今日でも怪しいのに三年前と六年前ではどうしようもなくないですか。お手上げ。いざ文字にすると引く時間経過ですね。
 正確に分かる違いもある。一つは写真。2015年時点ではスマホで撮影していたが、2018年は学習して一応デジカメを持ち込むなどした。ともかく画質はマシになった。

 違いはもう一つ。『影の劇場』の展示が追加併設されていた。大地の芸術祭のために制作された、2018年の新作である。

『アニミタス-』と重なる作品であり、『最後の教室』と並ぶことでその差異はより明確になる。『最後の教室』は「不在」だが、『アニミタス-』『影の劇場』には「影が存在する」。そこには「死」の先がある。
 表現の違いから死生観の変化を見るほどには、私はボルタンスキーのことを知らない。確信できるのは、彼の作品が変わらず親切であることだけだ。二つの作品は『最後の教室』を出てから『影の劇場』を見つける順路で展示されている。
 また『アニミタス-』『影の劇場』の不恰好な愛らしさを思うと、『最後の教室』も決して端正な配置ではないように見えてくる。風に揺れ、変わり続ける光源は、影の形もランダムに変化させ続ける。その空間に1ミリ・1度単位で展示を調整するような緊張感はない。だから親しみやすいのかもしれない。
 もちろん製作過程の実態は分からない。全てが計算ということも十分にありうる。そして仮に計算づくではなかったとしても、やむなくこうなったのではなく、こうなったことを良しとする判断は必ず成されている。
 大地の芸術祭は三年に一度開催されるトリエンナーレである。2021年の開催は来夏に延期された。いくつかの展示は「今年の越後妻有」として実施される。


 2019年7月、東京都国立新美術館で『Lifetime』を見た。

『ぼだ山』(2015)

 国内初という大規模回顧展。1969年制作の初期映像作品『咳をする男』(一人の男が苦しそうに咳をし続ける映像、撮影不可)と、笑えるほどビガビガな2018年制作の『白いモニュメント、来世』が同じ会場に並ぶ。サイバーパンク。彼の思う来世がどんなものなのかは分からないが。

 おおむね時代を下っていく展示順路は、柔らかくなる作風の変遷をやはり親切に示す。ただそこに死があることだけが変わらない。

 2021年7月、クリスチャン・ボルタンスキーは死んだ。

 いくつかの記事を読む限り、近年のボルタンスキーは自らの死を意識していたようだ。作品制作においても他者の死ではなく自身の死を思うことがあったらしい。それを聞いてしまえば、一連の作品の作者が故人であることはずいぶん受け入れやすく、自然な状態にすら思える。
 一方、2021年度の大地の芸術祭での展示を検討していたという話もあり、また南三陸町に開館する震災伝承施設での作品制作も発表されていた。おそらくこの先、何らかの形で名を冠した新作が出るのではないかと思う。いずれ回顧展の再演も行われるだろう。

 ボルタンスキーの作品は世界中に点在し、私が見た物は国内においても一部に過ぎない。中には現地に到達すること自体が困難な作品もあり、誰にも見られないとは言わないが、誰もが訪れる状況にはなりえない。他ならぬボルタンスキー自身に、それを肯定する発言もある。

"アタカマ砂漠はとても特別な場所なんです。標高4000メートルで、世界でもっとも乾燥している。星と空をとても強く感じる場所で、天体観測所もあるんですよ。そこはチリの軍事独裁政権による犠牲者が多く埋められており、亡霊がたくさんいる場所でした。そこで、誰も見つけられないような場所に作品をつくったんです。この作品はもう消えてしまいました。"
"《ミステリオス》や「アニミタス」を、私は「神話」と呼んでいます。何年かあとにはその大きな筒は嵐によって破壊されてしまうでしょう。私の名前も消えると思います。しかし、パタゴニアの人々が「ある男が来て、クジラと話そうとした」と語り継ぐかもしれません。そしてそれは「伝説」になるかもしれない。"

 会ったこともない人物である以上、私にとって彼の生死は文字の情報でしかない。そして美術館には故人の作品がいくつも並んでいる。一個人の視点ではまだ見ぬ作品が際限なく存在することも、歴史上の芸術家と変わらない。ボルタンスキーは先達の列に加わった。芸術家の死は奇妙だ。
 作品はまだ残っている。伝説も残るかもしれない。だが豊島の心臓音がループ再生を外れないように、もはや変化は起こらない。親切に作品を作り続けた男は、動じない歴史になった。

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