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降幡 愛スペシャルライブ「Ai Furihata "Trip to STAR"」から『Memories of Romance in Summer』へ

 降幡 愛さん初のカバーアルバム『Memories of Romance in Summer』が2022年4月27日に発売されます。

 本稿はアルバム発売が告知されたライブ「Ai Furihata "Trip to STAR"」の感想記事ですが、終盤はアルバムの宣伝に帰着する感じでやります。よろしくお願いします。


 アイドル/アーティスト/役者/芸能/作家、エトセトラエトセトラ……切り取る分類は何でも良いのですが、創作活動、ことにそれを生業とする(しようとする)人による活動は、ゴールの見えない戦いとそのための工夫の記録に他なりません。

 表現形式はどうあれ観客に公開された作品は常に成果・完成形と言えますが、その提示は必ずしも創作活動自体の完成・停止を意味せず、あくまでも、その瞬間の一作品でしかないわけです。創作は、その過程でどれほどの成功を収め、あるいは見向きもされない失敗を犯したとしても、作者本人が「終わった」「もう作らない」「螺旋を降りる」と決め、その誓いを遂行しなければ止められない。自分で自分を納得させるしかない。擬似的な永続性は呪いとも祝福とも言われます。

 そうして生まれる、つまり観客が見ることのできる作品は当然、作者の活動の過程の、さらに一つの断片でしかない。観客は作者の内心を知りえず、作品の制作過程を知りえず、活動の始点と終点を知ることも絶対にありえない。たとえ作者が表舞台に立つ人間であっても、他人が他人の人生を物語や記事のように読むことは出来ません。

 しかし観客は断片から間隙を感じることができる。観客は、断片でしかない作品を前にして、見えざる過程を反射的に想像し、ときに圧倒される。そうすることが可能であり、他に振る舞いようのない場合すらある。その見えざるものが心を打つ。

 となれば、観客は能動的に想像するべきだ、とも思います。記録に応じたければ記録するべきでしょう。少なくとも良い作品と出会えたときには。たとえば、降幡 愛さんのライブとか。


 2022年2月19日、Billboard Live TOKYOで降幡 愛スペシャルライブ「Ai Furihata "Trip to STAR"」を見た。

 声優である降幡 愛さんは2020年6月にアーティストデビュー。以来発表された全曲を自身が作詞するなど作家性を存分に発揮しつつ、ライブイベントもコンスタントに開催されています(これまでにスペシャルライブと称した単独公演「Trip to ORIGIN」「Trip to BIRTH」、二度のライブツアー「1st Live Tour APOLLO」「2nd Live Tour "ATTENTION PLEASE!"」がある)。
 今回は「Trip to~」を冠する三度目のスペシャルライブとなり、またご自身の誕生日当日と前日の開催というバースデーライブでもありました。


 間違いなく、掛け値無しに、良いライブだった。期待を優に満たす音楽とパフォーマンスがあり、心から楽しく酔いしれてしまった。

 降幡愛の歌声にはCD以上の技術と熱量があり、その歌う姿は格好良く、身振り手振りは可愛らしく、素敵。三千世界の讃辞を全て彼女一人に捧げたい。

 熟練のバンドメンバーによる演奏はそれだけでも上質な音楽体験で、六本木を見下ろすビルボードライブ東京は場の力が抜群に強く、ドレスコードの敷かれた客席も心地良い環境だった。演者・舞台・客席を釣り合わせる、行き届いた調和の演出。それが一時的な、格好だけの状況に過ぎないとしても問題ではない。スペシャルライブは「Trip」なのだ。ここには非日常の響きがある。

 では、と「to STAR」の意味を考えたくなる。タイトルは重要だ。「Trip to」から始まるスペシャルライブシリーズにおいて、「Trip to ORIGIN」はソロとして初めてのライブであり、Aqoursとして最初のナンバリングライブを行った横浜の地で開催された。「Trip to BIRTH」は2021年2月19日の開催、つまり前回のバースデーライブであった。

 一方で今回、再び誕生日に開催されたスペシャルライブは「Trip to STAR」と冠された。では「STAR」とは一体何か。

star
━━[名]((複)~s) 
1 (一般に)星;[天]恒星《運命・希望・理想などの象徴》
2 (芸能界などの傑出した)スター, 花形;(映画・演劇などの)主役, 主演俳優;(芸術・学問などの分野の)大家, 大立て者
3 星形(のもの);星章, 星形の勲章
4 星印《*☆》;(等級を示す)星印《ホテルなどでは通例5段階がある》
5 [通例~s] (運勢を左右するとみなされる)星, 星回り;運勢, 運命
6 《米》州を表す星
7 《略式》[通例単数形で]親切で頼れる人

大修館書店 ジーニアス英和辞典MX

 と、ある。ここで道理に沿うのは1と2だろう。

STARは星

「STAR」は星、天体だ。確かに、即物的に、天に光る物体を指すと捉えることは出来る。

 降幡愛は自身のアーティストイメージを「月」であるとし、デビューミニアルバムには「Moonrise」と名付けた。「STAR」=天体=降幡愛とし、会いに行く「Trip」であるという理解に違和感はない。

 演出への含みとも取れる。ビルボードライブ東京の舞台は背面に幕があり、公演中に開閉する。その先はガラス張り。観客は東京のビル街を背景としたパフォーマンスを見ることになる。「Trip to STAR」は昼夜公演があり、夜公演では文字通り夜景となった。

終演後の写真。画質も終わっている!

 当然、そこに星は見えない。東京都心の夜空はぼやけた虚無である。それでも、だからこそ、見えないものを思う非日常=「Trip to STAR」とは言える。見えようと見えまいと、星は常にそこにある。

「見えない星」を思うことは「星の見える場所」を思うことでもある。

「Trip to STAR」のセットリストには、スペシャルライブでは恒例のカバー曲があり、そこでは槇原敬之の「遠く遠く」が披露された。歌唱後、降幡愛は楽曲を「長野から上京した頃に聞いていた」と紹介し、「(バックの夜景と併せて)母親に見せたかった」と語った。

STARは運命

 転じて、「STAR」は運命の象徴ともいう。日本語にも「星の下に生まれる」という言い回しはあり、洋の東西を問わない占星術にまつわる概念なのだろう。「Trip to STAR」は運命と向き合う時間だったとも取れる。

 現在活動するアーティストの例に漏れず、降幡愛の活動も多くの障害に見舞われている。公演内容の変更、予定されていたフェスの中止、さらには開催直前での自宅待機による不参加と、いくつものままならない困難に付きまとわれ続けている。二度あったはずが二度とも逃したフェスの話題はライブ中のMCで触れられた。今年こそは、とも。わがままな私に付いてきて欲しい、とも。

STARはスター

 さらに転じて、「STAR」はスター、時代から傑出した人物を指す。

 刹那的、感傷的、気まぐれな言葉ではある。特定人物を認定するアンケートがあるわけではない。誰が決定の責任を取るわけでもない。スターは"世間"の"空気"に起こる現象でしかない。だが確かに、スターは現れる。世界が要請するかのように。

「Trip to STAR」におけるスターは、もちろん降幡愛である。ここに世間の合意は必要無い。主役をスターと見ることは舞台の常だ。観客は彼女をこそ愛している。

 あるいは、舞台に並び立つスターとして、経歴も華やかなバンドメンバーを指すことも可能だろう。様々な、それこそスターたちと共演してきたミュージシャンによる演奏は、取り出しても「Trip to STAR」として成り立つものだった。

 先述したカバー曲が呼び起こすものもまた、スターである。今回を含めて、これまでに竹内まりや(プラスティック・ラブ)、中原めいこ(Dance in the memories)、斉藤由貴(悲しみよこんにちは)、wink(淋しい熱帯魚)、槇原敬之(遠く遠く)、杏里(オリビアを聴きながら)、中山美穂(You're My Only Shinin'Star)のカバーが披露された。いずれもスペシャルライブでのことであり、二度のツアーにカバー曲のコーナーは存在しなかった。比較的小さな会場で演出を作り込むスペシャルライブと、広い会場を使い新曲を軸に構成するツアーライブ、という差別化は回を増すごとに明白になっている。カバー曲というスターの存在は特色の一つでもあった。

『Memories of Romance in Summer』へ

 そして「Trip to STAR」の最終盤、アンコール後のMCで発表されたのが『Memories of Romance in Summer』であった。

 必然の一枚ではある。先述のカバー曲披露は元より、降幡愛はライブ以外の場でもカバー曲への意欲を公言していた。往年のJ-popをカバーする企画は、声優アーティスト界どころか日本国内にも留まらない潮流でもある。現に発表直後には大きな反応があった。これは単純に喜ばしい。サービスと志向が噛み合い、新たな波を掴むかも知れない。そうなって欲しい。そうなるはずだ。彼女の歌声には期待に足る輝きがある。

 半面、正直な感想として、告知を受けた瞬間から若干の切なさを感じてもいる。

 様々な工夫を凝らす制作側の姿勢に「戦い」の果てしなさを勝手に感じているのかも知れないし、当日はカバーアルバム以外の楽曲や次回のライブが発表されなかったからかも知れない。過去のライブは手厚い告知が通例でもあった。それも情勢からすれば贅沢すぎる不満ではあるのだが。

 繰り返すが、名曲のカバーは本人の意向でもある。そしてアプローチが多様であることは絶対に正しい。もちろん制作に至った経緯は分からないが、少なくとも降幡愛と制作チームが、商業的成功と自由な創作の両取りを目指していることは確かに思える。

『Memories of Romance in Summer』の発売は4月。夏というにはかなり前のめりな姿勢もやはり"らしく""、楽しみだという気持ちも間違いなく大きい。

 その点、クオリティへの不安は一切ない。収録曲の編曲はアーティスト活動のパートナーである本間昭光が務める。そこにどんなアレンジが現れるか。企画、作詞、歌唱、ライブを主体的に重ねてきた今の降幡愛が、スターの名曲をどう歌うのか。切なくなっている場合ではない。星への旅は続いている。




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