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最近よく聞く「好きなことして生きていく」。好きなことを偽っては何も意味がないという話。

フリーランスやyoutuber、Instagramerなど、お金の稼ぎ方が多様化したからか、最近よく「好きなことをして生きていく」というお話を耳にする。

今回の記事とはあまり関係ないけど、最近だとレペゼン地球さんの「好きなことで、生きていく」がすごくよかった。


今回私が発信したいのは、その「好きなことをして生きていく」前提として、自分の好きなことを偽っては意味がないんだという話。


きっとこの「好きなことをして生きていく」って、自分の満たしたい欲求を満たしたいように満たして生きていくってことなんだと思う。

「じゃあその欲求とは何か。」

この問いと向き合う時に、私は「お金持ちになりたい」「誰かから認められたい」といった利己的なものでもいいと思うし、「絵を描きたい」「写真を撮りたい」といった小さな欲求でもいいと思う。

けれど、人はなぜか自分の生き方を考える時に、”一生”という前提条件を加えてしまう。

だから今の自分の欲求を偽って無理に壮大なものを描いたり、自分の夢がないと苦しんでしまうのかもしれない。

「誰かから認められたいだなんて一生をかけてすることじゃない」「絵を描くことが一生やりたいことな気はしないしな」そんなことを思って、人は自分の欲求を叶えるための一歩を閉じてしまうのかもしれない。

本当はその「誰かから認められたい」という欲求を叶えた先にいろんな人を認められる人になりたいと思うかもしれないし、絵を描いてみた時にもっと上手になって誰かに提供できるくらいになりたいという新しい欲求が見えてくるかもしれないのに。

逆に、誰かから認められたいなんてちっぽけだったとか、絵を描いてもそんなに楽しくないなという気づきが生まれて、次に叶えたい欲求はなんだろうと新しい一歩に進めるかもしれないのに。

人はそうやって自分の欲求を一つ一つ叶える先に、次の欲求を見つけて進化していくはずなのに、誰かからバカにされるかもしれない、そんな恐怖から自分の欲求を否定して逃げてしまうのかもしれない。

周りの大人から聞かれる「それって本当に一生かけてやりたいことなの?」「それって自己満じゃん」みたいな意見に耳を貸す必要なんてない。

自分が満たしたいと思っている欲求なのだから。それを満たしてあげないと次に進むことはできないのだから。

どんなに利己的でも、綺麗じゃなくてもちっぽけでもいいから、今持っているありのままの欲求が何かを明確にして叶えてあげること、それがきっと好きなことをして生きていくことへの第一歩なのだと思う。


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