ギフトと呪縛

自分は神山まるごと高専を志望していた中3です。春からごくごく普通の高一です。
陰湿な雰囲気がするかもしれないですけど読んでもらえたら嬉しいです。暗い人間だから、それが文章にも表れてしまいます。それも人の文章の醍醐味だと思います。

出会いは中2の夏終わり頃だった気がする。
父親に神山まるごと高専のパンフレットをもらった。クレジットカードの広告みたいなものだった。後々話を聞くと、父親からすれば別に行ってほしいとは思ってなかったみたいで、興味示すかなあ程度のものだったらしい。
でも、これの出会いで人間として大きく変わった。

校則は生徒たちでつくるもの。だったり、田舎にあるというのが魅力的だった。他にもあるが、惹かれた主な理由は本当に単純なものだった。起業なんて興味も全く無いし、モノづくりなんてもってのほか。だけど、自分はここに行くしかないと思っていたし、ここに行かなければ人生が終わるような気さえした。だからこそ頑張った。神山まるごと高専にいけば人生が変わると思っていた。未来が良くなると思っていた。

入学するためにしたことがない勉強もし始めた。
したことがないとは?と思ったかもしれない。だけど、本当に勉強というものをしたことがなかった。定期テストだって300点すら超えたことがなかった。テスト勉強も一回すらしたことがなかった。
テストの点数が低いことにもなんの危機感も無かった。人生どうにかなると思っていたし、そこそこの高校に行けるとさえ勘違いしていた。
出会いの影響で勉強もするようになった。本当に感謝している。

担任に神山まるごと高専のことを相談すると真摯に向き合ってくれた。
この担任の先生は私の恩人。中学の三年間同じ担任である。
神山まるごと高専の冬休み課題なども一緒に考えたりしたし、入学するために手を尽くしてくれた。担任の先生にも期待されているし合格するしかないと思った。

そしてサマースクール。
絶対に受かると思っていた。自分が落ちるわけない。落ちる方がおかしい。そんな気さえして、堂々と挑んだ。
だって、自分に似合う学校だと思っていたから。
課題だって完璧なものを作った、これ以上無いものだと。製作には時間もかかったし大変だったけど、楽しかったし、今まで1番輝いていた気さえする。
担任の先生にも『期待していたもの以上のもの』とも言われてあとは合格通知を待つだけ、だと思った。
だけど、結果は不合格。見間違いだと思って二度も三度も見直した。何度見ても赤色の文字で不合格。あり得ないと思った。
学校で結果を見たから、その日は家に帰りづらかった。
その時は本番で合格すれば問題ないと思っていた。だけどかなり落ち込んだ。自分の全てが否定されたみたいでたまらなく悔しかった。
Twitter(X)で同志の合否確認を見て、落ちている人を見て安心する自分が情けなく惨めで恥ずかしかった。合格した人に嫉妬もした。
神山まるごと高専は、課題に解は無いと言うが、自分からすれば合格が正解だった。不合格の課題はゴミ当然と思った。自分の課題はゴミなんだと思った。
だけど、落ちても熱意は変わらなかった。本番は合格する‼️と切り替えることができた。

だけど、その後、急激に熱意が無くなる出来事があった。
サマースクール課題振り返り回、で合格した人の課題を見る、みたいなやつで格の差を見せつけられた。越えられない壁。生まれ持った違いを感じた。自分の課題のクオリティの低さを思い知って恥ずかしくなった。
合格した人の課題はとてつもなく凄かった。
絶対にあのレベルには追いつけない。どんなことをして無理なんだ。あんな人たちが行く学校なんだと、絶望した。
この時は熱意があったかのすら覚えていない。
まだあったような気がするし、もう半ば諦めたような気がする。

そこから徐々に熱意が無くなっていき、どんどん月日が経っていった。大人たちと神山まるごと高専の話をするのが億劫だった。
自分はもう目指していない。だけどずっと応援してくれている大人たちの期待を裏切りたくなかった。諦めていることは誰にもいえなかった。
そして、神山まるごと高専の入試が始まった頃、担任に話をした。
自分の人生なんだから気にすることはない。自分が決めた選択なんだから先生に気遣うな、と言われ泣きかけた。
親にも話をした。思ってもいない返事が返ってきた。別に受かってほしいとかも思っていない。興味示すかなと思って紹介しただけ。だと。でも、受けてみたら?と言われた。もちろん記念受験で受かるようなところじゃないのはよく理解していたから、受けなかった。今は後悔している。もしかしたら、人生が変わったのかもと。

それから、後悔はしてない。自分がした選択と言い聞かせていた。
だけど、本当は後悔していた。後悔するたびに死にたくなる。に近い、消えたくなるような感情に襲われる。同い年の子はあんなに頑張っているのに自分はこんなに舐めきった人生でいいのか、俺の人生ショボすぎるだろ。だったり、そんな言葉が脳内にずっと響いてしまう。
だけど、受けなかったやつが後悔する権利があるのか、なんで受けなかった俺が後悔していいんだ、と思ってしまって負の感情の連鎖に陥って苦しくなる時がある。
今でもなってしまう。もちろん自分が選んだことなのは理解している。
どうにもできない。仕方ない。

だけど人生は好転した。人間として大きく成長できた。
神山まるごと高専を目指していた自分はすごくカッコよかったし、落ちた人も全員頑張ったから、すごくかっこいいと思う。
15年間で1番輝いていた。

自分で決めたことです。普通の男子校に進学します。2年生の途中まで勉強していなかったので偏差値的には納得していないですけど自分なりに頑張った結果だと思います。
自分の人生には納得がいっています。自分がしてきた行動がついてきているし、自業自得な部分もあるから納得はしています。
神山まるごと高専に落ちても人生は終わりじゃない。1年前の自分に聞かせてあげたい。
来年度受けるかどうかは、わかりませんが0ではないのかなと思ってます。自分に素直に生きていきたいものですね。
よく言いますが、自分がどう行動するかってのが大事。その選んだ道を最善するってのが大切なんだと思います。

これから、普通の高校に通いますが、良い大学を目指します。神山まるごと高専の生徒に負けないぐらい頑張って同じぐらい成功できるような大学を目指そうかなって思います。
15歳なんて若すぎる。人生はこれからなんだなって毎日感じてます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
文章めちゃくちゃだったらごめんなさい。
書いていくうちに、自分の思っていることや蟠りが抜けていくような感覚です。
読んでいただき本当に感謝です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?