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サブカル大蔵経55永江朗『インタビュー術!』(講談社現代新書)

 「実はインタビューって、毎日自分や家族や仲間にしていること」という提示になるほど。具体的な仕事として、見えづらい部分まで丁寧に伝えてくれる。

 世界はインタビューでできている。歴史はインタビューによって作られた。新約聖書はイエス・キリストへのインタビュー集で、仏典はブッダのインタビュー集だ。プラトンはソクラテスへのインタビューとして自分の本を書いた。p.3

 経典もバイブルも哲学も、対話だ。ある意味。インタビューだ。会話のやりとりに何かが育まれ、インタビューという編集が施され、人口に膾炙する。

 現代のテレビ番組や新聞や雑誌も多くはインタビューによってできている。考えると言う行為だって、自分で自分の声を聞く自分自身へのインタビューだと言えないこともない。p.3

 そう考えると、日常もインタビューなんだなぁ。読書も、読者が著者にインタビューしているのかな。

 しかしインタビューは危ない。要注意だ。インタビューには裏がある。p.3

 はい、少し立ち止まります。情報を受け取る場合も編集されているし、自分が発信する場合も自分が編集しているということですよね。自分もその危険を犯すかもしれないです。

 報道と言うものが「誰が何をしたか」を伝えるものだとすれば、インタビューは「誰が」のほうに比重がかかっている。つまり「何を」語るかよりも、「誰が」語るかが注目される。ならばその「誰が」の部分がうまく表現できていないインタビューは失敗だ。p.8

 たしかに、この人だから読む、という感じではある。それを大事にする。内容を凝りすぎたり、聞き手が目立つとダメだ。

 インタビューとは虚構である。変換はどこまで許されるだろうか。インタビューは事実をありのままに提示しない。しかし虚構の方がより真実に近い場合もある。いや虚構の方が真実に近いことの方が多い。インタビューにおける編集や構成は事実から目くらましの部分を剥ぎ取り、真実に一歩近づくことだとも言える。p.26

 真実とは何か?この辺り、経典やネットに毎日触れている自分には刺さる文章です。

 私はインタビュー中できるだけよく笑う。p.56

 相手は安心しますよね。

 メディア異人列伝の文字数は2400字弱1つのパートはプロフィール、もう一つがその人が注目されている理由p.73

 噂の真相、懐かしい。。

 テープを止めた後、こちらも質問を確認したり、緊張が解けて連帯感が芽生えていて、本音を打ち明けれるp.76

 たしかに何かの縛りが解けてからはずむ話。まず緊張感があったからこその話か。

 文字を一字一句、正確に文字に起こすデータ原稿作りと、それをもとに原稿を作ると言う2段階方式。結果的にはこれが1番早い。p.106

 自分がいまnoteで書いているものも、抜き書きをためてから、それをもとに書いています。

 オウム真理教を見出したのがサブカルチャーである。村上春樹は社会のサブカルチャー化に棹差した責任を感じてるのないか、と大塚英志は吉本隆明との対談で言っているが、それもよくわからない。p.187

 村上春樹のアンダーグラウンドについて

 あるポルノ誌のライターは、永沢さんは僕らにとって中田英寿みたいな存在ですから、と言っていた。永沢光雄は徹底的にAV女優たちの側に立っている。彼女たちの存在を丸ごと肯定している。p.197

 永沢本の出現は衝撃的でした。

 吉田豪『男気万地固め』。山城新伍、ガッツ石松、張本勲、小林亜星、さいとう・たかを。この人選からして不気味である。p.226

 一回り年下の同業者・吉田豪への評価。

 いわば、仮説の提出と検証と言う作業を吉田をやっているわけで、考えてみるとこれは、ジャーナリズムやアカデミズムでは最も基本的なことである。その意味でタレントインタビューという吉田のフィールドはときには外道のように見えるかもしれないが、吉田の方法論は極めて基本に忠実なのである。p.229

 この辺りの論評、嬉しい。

 インタビューを読んだり見たり聞いたりするのが楽しいのは多分それが複数の人によって作られているからだp.241

 こういう裏方さんへの目配りが優しい。

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本を買って読みます。