生きていくために。

2017年、1月17日。

僕は、2016年3月に新卒入社した会社を退職した。

今日は4月2日。もうエイプリールフールも終わっている。明日から新たなる一歩を踏むという人もいる中で、ほんとの退職の話である。本人も不甲斐なくて泣いているので許してほしい。

さて、僕は自分らしい人生を送るために会社を退職したのだが、二か月以上が経つ今も、まだ就職はしていない。「考えるモード」に入っていたせいだ。考えすぎることは僕の大きな短所でもある。考えると言えば、オーギュスト・ロダンの代表作「考える人」は、もともと「詩人」という作品だったそうだ。「考える人」という名は、ロダンの没後にこの作品を鋳造した鋳造職人が命名したらしい。ちなみに僕の前職でのあだ名は「ポエマー」だった。同期110人と社長に向けたプレゼンの中で詩を口ずさんだら決定した。社長賞を受賞した。

何はともあれ、僕は「考えるモード」を経て、自分がどんな人間で今後どう生きたいのかの解像度を、ぐっと引き上げることができた。でも、あっという間に4月になってしまっていて、今の僕に必要なのは勇気と行動だと気がついた。

そこで、一つの区切りとして、今まで自分が考えてきたことを言葉にしておこうと思った。もう一から考え直さなくていいように、何度も振り返らなくていいように。考えすぎる僕が、前を向いて進めるように、書いた。

ここからは、辞めるに至るまでの背景や心の動きを淡々と書く。一人の人間の頭の中を、ふーんと覗くようなつもりで最後まで読んでもらえたら、嬉しいです。

いきます。



僕が会社を辞めたのは、自分らしい人生を選びたかったからだ。ここにいたら、僕は僕じゃない誰かの人生を生きるような思いをしながら、生きていくことになると思った。ここにいたら、生きていけないと思った。

僕は小さい頃から、何かを作って人を喜ばせることが大好きだった。友達や家族が喜んでくれるのが嬉しくて、いろいろなものを作った。中学2年の時にMr.Childrenに憧れてからは、ミュージシャンが僕の夢になり、アイデンティティになった。僕が僕である証にすら思えて、必死に追いかけた。

でも、夢が叶わないまま就活を迎えた。僕は渋々、切り替えた。当時憧れていたのは、ミスチルの桜井さんの他に、任天堂の岩田社長と宮本茂さん。「おもしろい」を追及しまくる二人が最高にかっこよかったし、ゲーム業界なら「ものづくり」で「人を喜ばせること」ができると思った。だけどご縁はなかった。「人を喜ばせること」はできるさ、と自分に言い聞かせながら、滑り止めのIT企業に営業として入社した。

いざ入社してみると、驚くほどのホワイト企業だった。収入や知名度も、友達に自慢して承認欲求を得るには申し分なかった。結果も出た。配属後は部署内で一番最初に結果を出した。このままここにいれば、かっこうもつくし、将来も安泰だと思えた。

だけど、虚しかった。「人を喜ばせること」を最上位の目的にして働くことが、許されなかったからだ。

僕が入った会社の営業部は数字至上主義で、「営業は数字がすべて。貢献なんて考えなくていい。」と何度も言われた。笑われることもあった。営業に限らず、ビジネスで数字が度外視できないことだって、数字を最上位に置く組織や職種が多いことだってわかってる。ただ、そうじゃない世界もこの世には確かにあって、なら僕はやっぱりそこに行きたいと思った。

でも、そう気づいてから三か月経っても、僕は気が狂いそうになりながら仕事を続けていた。もっと幸せになれる環境はいくらでもあると頭では思っているのに、辞める覚悟ができなかった。今振り返れば、僕が現状を変えられなかった理由は、一言で言える。

その時は、心の奥底ではまだ「変わりたくなかった」んだと思う。

人生はトレードオフ。何かを選ばないということは、同時に何かを選んでいる。仕事を続けたということは、「ものづくり」より、「人を喜ばせること」より、大切なものがあったということだ。それが何なのか考えまくったら、ある日ストンと腑に落ちた。

それは、「脱線しないこと」だった。

僕はいつだって、「脱線しないこと」を選んでいた。どれだけ認めたくなくても、それが僕の最上位の価値観で、幸福論だった。ミュージシャンという夢への挑戦に就活開始までという期限を設けたのも、就活の軸はゲーム会社だと言いつつ滑り止めが「大手IT企業」だったのも、絶対条件として「脱線しないこと」があったからだ。

会社を辞められなかったのも、安定を手放すこと、入社1年足らずで退職することなど、世の中のわかりやすいレールから脱線するたくさんの要素が怖かったからだ。その恐怖は、「ものづくり」や「人を喜ばせること」への憧れより、大きかった。

これを言語化できてしまった時が、一番きつかった。僕が子供の頃一番なりたくなかったのは、「楽しいと思えないことを、それなりの生活のために毎日繰り返す大人」だ。自分がまさに、そうなっていた。

ある日、どんな仕事も続けていれば面白さを見つけられる、と40代の先輩が言った。何度も聞いた言葉だったが、その時は無性に引っかかった。

いつになるんだと思った。その時僕は何歳なんだ。人生は永遠じゃない。せっかく生まれたんだから、一瞬でも早く、一回でも多く、嬉しさや面白さに出会える人生にしたい。そう考えたら、「ものづくり」や「人を喜ばせること」を捨て、自分らしさの欠片もないIT営業というフィールドでゼロから面白さを探し始めることは、違うような気がした。

それからしばらくして、「脱線しないこと」による絶対王政は、陥落した。

特別な出来事は、何もない。僕は、動くに動けない地獄のような毎日が続く中で、藁にもすがる想いで憧れの人の言葉をかき集めたり、いろんな人の人生を調べたりして、ひたすら「ものづくり」と「人を喜ばせること」への憧れを高めまくっていた。そして、「脱線しないこと」で得られるもの、失うものについても考えまくった。そうしていたら、2017年1月に、自分の中でやっと価値観が逆転したのだと思う。

そうしてようやく、会社を辞める決心ができた。働きながらの転職活動がベストだったけど、それはできなかった。愚直すぎる性格が邪魔して、転職活動のために仕事の手を抜くことができなかった。先輩に嘘をついて誤魔化したりすることが嫌で、頑張ってそうしようとした日は出勤できなかった。

だから、スパッと辞めた。愛すべき人たちに、めちゃくちゃ背中を押してもらいながら。一人では絶対に動けなかった。だけどやっぱり、自分自身が「変わりたい」と願い続けたことが、要になったとは思う。


仕事を辞めることを、「逃げ」と捉える考え方がある。不自由な発想だと思う。問題は辞めるか残るかじゃなく、「それが本気で幸せを追い求めるための選択かどうか」だと思う。あえて「逃げ」という言葉を使うなら、少なくとも僕の人生においては、会社に残るという選択こそ、「幸せを追い求めることからの逃げ」だった。

僕の場合、「ものづくり」で「人を喜ばせる」ために辞めた。そう話すと、「音楽とかものづくりとか、拠り所があっていいね。」と時々言われる。とんでもない。勝手に拠りかかりまくってるだけだ。見方を変えれば、どれだけでも侮ることはできる。別に実績もないし、誰かの目にとまる才能もないし、ただ好きなだけ。こんなものがなんになるのと思うことだって、正直ある。

でも、侮っちゃいけないと思う。そういう身近で小さな「嬉しい」や「好き」を、バカにしちゃいけないと思う。そういうところからしか、始まらない。ゴールばかり見ていると、その果てしない遠さに足がすくんで、一歩目を踏み出す前に挫けてしまう。ボルダリングみたいに、手の届く幸せにぐいっと自分を引き寄せるようにして、少しずつゴールに近づけたらいいなと思う。

それから、願い方を変えようと思った。「こうなりたい。」じゃなくて、「ここに向っていたい。」に。夢を叶えた瞬間に、急に世界が変わるわけじゃないと思う。ゴールまでの100歩を一歩一歩進んでいく度にちゃんと景色は変わっている。だから、ゴール目がけて一生懸命歩いている今のちっぽけな自分も、しっかり認めて、愛してやらなくちゃいけないと思った。そうじゃなきゃ、100歩なんて進めっこない。一歩なんて踏み出せない。


ここまで、随分甘ったれたことも書いてきた。全部が思い通りにいくはずはない。わがままばかり言っていたら、どこでも、何にもできない。

でもやっぱり、後悔したくない。諦めながら生きてはいけない。だから、自分にとって大切なものから先に手に入れていこうと決めた。そこから少しずつ欲張って、幸せを膨らませていく。そうやっていこうと決めた。

そして最後に、何より自分に言い聞かせなきゃいけないのは、動け、ということだ。動かなければ、考えていないのと、同じだ。次の一歩で人生を決めようなんて思わなくていい。たまには直感の命じるままに、試しまくればいい。動かないより、考えているだけより、絶対進んでいる。

ごまかさず、つよがらず、正直に歩く。

そうしよう。

よし。

まずは今日、一歩進もう。

 

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