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【美山】移住者が多い美山の移住者の僕が語る!!移住先が大好きになってしまった話

どうも、こんにちは。2度目の投稿すみません。合同会社美山商店チーム、補欠キャプテンしてます。松岡晃司です。実はキャプテンですが13年前に美山に移住してきたれっきとした「移住者」でございます。

◆生まれ育ち(ふるさと)

出身は鹿児島市です。壁と壁が10センチも離れいていない住宅地に生まれ、便利な都会で何不自由なく育ちました。中学校は10クラスあり、友達100人出来たかな、どころではない、とにかく人がたくさんいる所でした。(ご近所づきあいは会釈程度)高校はバリバリの体育会系の男子校、すっごくタテの関係を鍛えられました。また、常に桜島を目にしながら生きてきました。だから桜島は僕にとってかけがえのないものでした。鹿児島の大学にスポーツ推薦で入学し、バイトと遊びに明け暮れ、勉強についていけず、4年制大を6年で卒業しました。(大学では自転車日本一周(達成)世界一周をもくろむも失敗しました。卒業後は営業を主にしていて、接客は大好きです。

◆美山に移住したきっかけ

きっかけは当時付き合っていた現在の嫁(ガラス作家)が工房を立てる場所をどこにするか??という事。
ガラス工房は火を使う仕事なので、住宅地には向きません。なので、程よい田舎か?超田舎(まわりにほとんど人家がない)に場所を探します。
(ちなみにこの時、僕たちは美山という地域の事を全く知りませんでした)決める為の最低限はお互い高齢の親を実家に残すので、1時間圏内で帰れる場所にするという事。それ以外は景色が綺麗で程よい便利さ(買い物・病院など)を求めていました。
美山に決めたのは、美山の中心をとおる県道を車で走った時に、
なんかここすごくいい雰囲気だよね」って嫁のアンテナに引っかかった事。調べると「薩摩焼の里で400年モノづくりで生きてきた場所」だった。
役場に連絡し、美山でガラス工房をやりたいけど、
建ててもよろしいですか?と聞くと、ちょうど1週間前にまちのみんなでガラス工房が美山に来てくれればいいけどね~」と話していたとの事。
街の雰囲気に惹かれた僕たちは、美山に住み、ここで働くことを即決しました。
この時、もちろん街に誰一人として知っている人はいませんでした。

引っ越してきて最初にした事はあいさつと決意表明

美山に誰一人として知り合いがいない状況で仕事をする。という事。
これはなかなか大変です。
その時に声をかけてきたのが「嫁さんのおばさん」
商売をするなら街の人と仲良くせんといかんよ」という事で、
近くの宿の大広間を貸し切り、街の顔役の方々・店舗の方々・自治会役員の方々を役場の方に聞き、はがきを出して、出欠をとり、宴を設け、ガラス工房設立の御挨拶と美山で商売をさせていただく「お許し」をいただく決意表明をさせていただきました。
当時の嫁さんのあいさつの一部です。ものすごく緊張してました。
この歴史ある美山という素晴らしい土地でガラス工房をさせていただきます。このモノづくりの地に恥じない作品作りに一生懸命取り組みたいと思います。どうか宜しくお願い致します」と震えながら泣きながら当時31歳の彼女はあいさつしました。僕も感動しました。
街の人たちには未だに言われます。
あんなに心が震えた挨拶は初めてだったと。

◆最初の挨拶ですべてが前向きにころがる。

挨拶後、OPEN初日、美山の方々が70人近く来店。
元々モノづくりに携わる方々が多い美山地区。見る目もすごい!
70人全員が「ほめながら買ってくれた」
仕事である以上売り上げがなくては続ける事はできない。作品を買ってくれることが、何よりのエールという事を街の人たちはわかっている。
ものすごい売上だった。続けていく自信を美山の人たちが与えてくれた。
泣いた!「僕らはこの恩を一生忘れない」
必ず美山に恩返しする」と決めた瞬間だった。

◆美山各店舗さんからのお客様への紹介ラッシュ

出来たばかりの「ガラス工房」は誰も知らない。
宣伝の仕方も僕たちは知らない。でもなぜか?
毎日のように次から次へとお客様がやってくる。
なんで知ったのか?尋ねると、「○○窯さんに聞いた」「そこのご飯屋さんで聞いた」「街の○○さんから聞いた」と
すべてが美山のお店や関係者の方の口コミ紹介でした。感動した。
今では「ガラス工房」に来たお客様に美山の新しい店舗さんを必ず紹介してます。これが美山ではふつうです。

◆まちの歴史も、人も、店も、知れば知るほど好きになる。

僕は基本的に勉強は苦手でした。
でも、住んでいる町の歴史は知れば知るほど、面白い!
だから美山の歴史にはのめりこみました。
お店もみんな素晴らしいモノづくりをしている。
ご飯もどこもうまい。それより、なにより、「人」が面白い!
やりたい事を仕事にしている人たちの集まりだから
「貧乏」でもなんでも「仕事」が出来る喜びが最優先の人ばかり!
だから楽しい!きつい想いもうれしい想いも共有できるし、相談できる。
仲間がいる。
寝言でも「美山だいすき~~」って言ってるようです^^

◆草払いは地域の人とつながる最大のチャンス(地域奉仕活動)

お店をしている事とは別で地域住民でもあります。
「美山はとてもきれいな街」です。
それは地域の人たちがお客様にいやな思いをさせない、
子供たちにきれいな環境を与える為、
「いつもきれいに」しているからです。
ただし、この綺麗にする作業、正直言ってものすごく大変な肉体労働です。草払い機も、鎌もレーキも使った事がなかった僕たちにとっては最初信じられないぐらい辛かった覚えがあります。
この場でしか会わない地域の人たちも多く、
積極的に挨拶して顔を覚えてもらう努力をしました
田舎の人たちはとてもシャイです。挨拶は移住者側からする事をお勧めします。そしたらちゃんと返してくれます。
僕ら店側の住民が地域へ恩返しすることは「こういう地道なきつい作業」をちゃんとやる事。と認識しています。
地域草払いは一度も欠勤せず13年ずっと出てます。
おかげで今は、ちゃんと「名前」で呼んでもらえて、
仲間として飲み会や飲み会や飲み会に誘っていただけ、
本当に楽しい田舎ライフを味わえています。
草払いの技術もセミプロ級になって、今では言われる前にやる
先手必勝型草払い軍団」化してます。
※この方がやらされ感がなくて楽しい!しかもありがとう!って言われます^^

◆やりたい事は必ず自治会責任者にやってよいか確認をとるべき(年配者の言葉をもらう)

移住者は元々よそ者なので、
住んでいると地域の良い所・悪い所・いやな所・こうすればいいんじゃないかって所がよく見えます
でも、現実には行動に移せなくて裏で何人かでぼそぼそと話すだけで終了します。話している人間で「じゃあやろうぜ」となったとしても、
それが良い事だとしても「報告・連絡・相談」をちゃんとしないと街の事とは認めてもらえません。「勝手にやっとけ」で終了します。
ここで、結構「移住した町が嫌いになる人が多くなる」と思います。
それは残念ながら街のせいではなくて報告を怠ったあなたのせいです。
だから僕たちは自治会にお願いして、先輩方が多い役員会に入れてもらって「活動の報連相」をしています。
とても大事!これも失敗から学んだことです。

若いメンバーで作った美山の限定切手(下記写真)や
美山小学校住民みんなでドローン撮影(下記写真)なども
ちゃんと報告して活動させてもらった。

あーだこーだ言いましたが、僕が田舎に移住して思った、大事なのは

①大きな声で笑顔で挨拶をすること。(子供はするけど大人はしない)

②みんながきついと思っている事で、やらないといけない事は積極的にやる事で信頼される関係が生まれる。

③周りとの関係を構築したくなければ(静かにくらしたい人)多少人がいる田舎に住んでも逆につらいだけ。田舎は元々助け合わないと生きていけない。だから人間関係は必要です。

④気が合わない人はどこにでもいます。だから気にしない^^

⑤田舎に住んで良かったなぁって思ったことは、「人個人」を本当に大切にしてもらえる。「空気」が綺麗。「渋滞」がない。「ごはん」がうまい気がする。「野菜」がもらえる。「仲間意識」強い。子供が「元気」。「時間」に追われない。

⑥気を付けるポイントは「地域の歴史」をまなぶこと。それにより、言っていい事、言ってはいけない事がわかる。

⑦地域の人に必ず助けられる。だからこちら側も助ける気持ちを持つ事。

移住してきて大事にしてきたことは人として大事なことばかりです。
自分の事だけ考えても生きていける都会とは正反対です。
そこは少し面倒かもしれません。
だからこそ、人としての裕福さ、人生の中の喜びは地方にある気がします。

移住者にも努力が必要。移住してもらう地域にも受け入れる度量が必要。

僕らは美山に移住して本当に良かったと心から思います。

そしてこれからも。


文 合同会社美山商店 補欠キャプテン 松岡晃司













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