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お久しぶりのポニーテールとチルド餃子

 梅雨時にしても肌寒すぎる薄暗い昼下がり、液晶がほんのり光る。だるい気持ちを押し殺してスマホをつかんだ時、早くも画面の輝きは失なわれていた。
 めんどくさい。
 端末を投げ捨てたい衝動を封じ込め、重たいだるけがみっしり詰まった指先で認証を解除する。通知が表示され、機械的に情報を目視して、ようやく頭の処理が始まる。
 発信者は……。
 ほぅ、お久しぶりさんだな。
 メッセージを表示するとともに脳の処理速度を上げ、内容と送信時間を確認しつつ、発信者のアカウント使い分け状況を思い出す。ところが「今夜いってもいい?」とのテキストを読解した段階で、反射的に『返信急ぐべき』との認識が浮上、危なっかしい並列処理へ割り込みをかける。
 めんどくさいなぁ。
 パワー不足にもかかわらず発生した並列処理により脳の処理が停止される直前、俺の意思は送信者情報を再認識し、どうにかこうにか指が駆動を開始する。
「いいよ、いつ?」
 この状態で返答を求める文言はまずかったが、そんなことまで思考が回るはずもなく、間もなく次のメッセージを受信してしまう。
「夕方だけど、なにか食べる?」
 あぁ、やらかした。
 もう駄目だ、腰を据えて考えるしかない。
 部屋に来るから外食の可能性は捨てても、ケータリングもしくは惣菜などの持ち込み、あるいは料理という分岐が発生していて、基礎情報として手持ち食材の確認は避けられない。そして飯を炊くかどうかの判断も必要になった。
 思考と感情、そして怠惰が制御不能となってぐじゃぐじゃの俺がなんとか踏みとどまれたのは、久しぶりの相手に対する期待と欲望が支えてくれたから。
 だから、立ちあがって台所をあらため、お久しぶりさんへ「めぼしいのはチルド餃子しかないけど、ご飯どうする?」と、よく考えればかみ合わない返事を送ってから、雨の夕暮れ時に買い物へ出る面倒くささに気づいて絶望しかかったし、間もなく「雨だから気にしないで。ビール買ってくね」と受信したときは、心の底からホッとしていた。
 米を研いで時間を確かめると、思ったよりも夕方に近い。
「これじゃ、なにかする時間はないな……」
 独り言ちると、それでも目につくものを片付け始めた。

 すっかり暗くなった雨の夕暮れ時、通知音がほろほろと鳴り、お久しぶりさんのアイコンがポップアップする。思ったより雨は激しいらしく、俺むけの買い物は気にしなくていいから早くおいでなさいと返す。とりあえず、タオルでも用意しようと立ちあがったら、またメッセが飛んできた。
「餃子は来るまで待っててね。焼きながら食べよ」
 お久しぶりさんだけど、そういう食いしん坊なところは変わってないな。

 冷蔵庫から餃子パックを出し、フライパンをコンロへ乗せ、タオルとぞうきんをとりに行こうとしたところで、玄関のチャイムが鳴った。はいはいちょっと待ってと、雑に返事しながら目についたタオルをむしり、無駄に重たい金属扉をひらく。
「お久しぶりですう」
 ターコイズグリーンのポンチョスタイルコートからぽたぽた水を滴らせながら、先にこれ入れてとびしょびしょのビニール袋を差し入れてくる。わけもわからず手に取ると、思わず落としそうなほど重い。見るとビールの六本パックがふたつに、タンブラのような小箱まで入ってる。
 袋をざっとタオルでぬぐい、台所のテーブルへ置いて戻ると、玄関先でレインコートをたたもうと悪戦苦闘していた。長身を持て余すように体をくねらせ、水気を払ったコートをポーチへしまいこむと、ようやく部屋へ入ってきた。
「ずいぶん伸びたねぇ、髪」
「あこがれのポニテだけど、こういう日はちょっとね」
 最後に会ったときはほとんどDykeと言ってもよいほどマニッシュなショート、それも金髪だったから、うつむき加減に長い黒髪をタオルで挟む姿は新鮮だった。
 しかも、コートの下はゆったりした白ブラウスに淡い紫のガウチョというフェミニンなオフィスカジュアルだったから、まぁ変われば変わるものだなぁという思いは避けられない。ただ、交流イベントで知り合った中年男と意気投合し、相手の部屋へ転がり込んだところまではなんとなく把握していたから、つまるところ相手の趣味なんだろうな。
 いちおう、着替えるならスウェットぐらい用意できると告げたが、返事の代わりに「飲まない人はこれだからさ」なんて、出しっぱなしの缶ビールをつつかれる。あわててパックを開け冷蔵庫へ入れはじめたら、横からひょいとつまみあげ、椅子を引きながら片手でタブを起こす。
「ぬるい♪ 口に含んで♪」
 鼻歌まじりにグイっとあおるお久しぶりさんを見ながら『うわ、今夜はガチ飲みだ』と腹をくくる。
 やれないんだろうな。
「のんだらの……」
「その先は下品よ!」
 鋭く突っ込むお久しぶりさんの表情は、あの日のDykeに戻っていた。
 淡くはかない期待も完全に打ち砕かれたし、あきらめて餃子を焼き始める。
 フライパンに油を引き、温める間にパックを開けていたら、お久しぶりさんから「これ値引き品だ」と茶々が入った。チルドにしても小ぶりな粒をみっしりならべながら「熟成餃子なんよ」とか、頭に浮かんだ言葉を無意味に垂れ流し、水を注いでふたをする。火加減を確かめ、タイマーをセット。
 この際だから俺もご相伴にあずかることとして、まだ冷えてないビールを開ける。みるとお久しぶりさんはすでにニ本目を飲んでいて、早くもメートルを上げはじめた気配。炊飯器を開け、ご飯をかき混ぜながら、いっしょに食べるかどうかたずねたら、答えの代りに愚痴られた。
「慣れないことが多くてさ」
「いっしょ暮らし?」
「ううん、就職したのよ」
 反射的に「おめでとう」と返しはしたが、その先はお久しぶりさんのマシンガントークにうなずくばかりのコミュニケーションロボ状態。
いわく。

 理解ある職場だけどロッカーが小さい。
 スカートはロングじゃないとセクシーになりすぎる。
 パンツスーツはサイズがない。
 パンプスがね……。
 などなど。

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 フライパンの音が変わり、微妙な焦げ臭さが漂わなかったら、お久しぶりさんがつぶれるまで終わらなかったろう。
 あわてて立ちあがり、火を止め、ふたを開けると、水気がすっかり飛んでいる。
 やっちまった……。
 ここで無理にはがしても、フライパンにこびりついた皮が分離して、にっちもさっちもいかなくなる。とはいえ考える余裕はわずか、冷めたチルド餃子がもたらす悪夢のような災厄に比べれば、皮なし餡のみですらまだましだろう。
「油を回してひとあぶりするか」
「だめよ、手遅れ」
 独り言のつもりが、知らぬ間にお久しぶりさんが横からのぞいていた。
 眉を寄せ、かすかに同意のしぐさを示すと、フライ返しを手に深呼吸ひとつ。はじっこからそっと差し込み、感触を確かめるように進む。意外とすんなり入っていく。
 そっと持ち上げる。
 よし! 思ったよりひどくない。この調子なら、ほぼ大丈夫だろう。
 意を決して裏返すと、それでもわりかし黒かった。
「だいじょぶ、だいじょぶ、たべよたべよ」
 お久しぶりさんのはしゃいだ声に救われる。
 盛り皿を出す手間すら惜しんで、卓上の鍋敷きにフライパンを乗せる。すでに用意されていた酢や醤油、ラー油を小皿へ注いで箸をとり、雨音をはらうかのごとく、ちょっとやけっぱちな「いただきます」の声が響く。
 みっしり敷き詰めてしまったが、粒はちゃんと分離していたので、フライパンからも取りやすい。皮を破らないようにつまんでタレをつけ、熱々をそっと食べる。チルドの頼りない皮が口の中でもろもろと崩壊し、肉汁感のためだけに混ぜ込まれたラードのしつこさがねっとりと広がる。豚肉どころか鶏モモ肉すらふくまれていない胸肉の頼りない味わいと、それを裏支えするはずのニラやニンニクの不足が、いまや絶滅危惧種となったシンプルかつプアな味わいをもたらしている。
 もはや滑稽なほどに弱々しくはかない肉の食感を探し求めるのはあきらめ、ラー油たっぷりのつけだれをじゃぶじゃぶあびせ、餃子を食べているのかタレを味わっているのかわからなくすると、これがどうやら正解らしい。もはや餃子はタレをしみこませるスポンジと割り切り、飯の上で少し潰しいっしょにかきこむ。
「食べるラー油みたいね」
 ちょっとあきれ顔のお久しぶりさん。
「いや、実はそれよりおいしいかも」
「ほんとう?」
「ほんま、便乗のばったもんよりいける」
「あはは、そういやはやったねぇ!」
 言いながら箸を伸ばし、フライパンの餃子をひょいとつまむ。
「大丈夫?」
 すでにいくつか食べていたようだが、それでもついつい確かめたくなる。
「味? それともこげ?」
「どっちも」
「大丈夫よ。それどころか、ちゃんと食べられるものだったんだって、そんなこと思ってたくらい。あ、作ってもらったのに、こんなこと言っちゃってごめんね」
 しおらしいセリフを吐いたその口で、缶ビールをぐいとあおる。そのまま流れるように立ちあがり、冷蔵庫の缶を出して片手開け。パシュと景気のいい音が響いた。ほんと、そういうところは変わってないな。ふらっとたずねてくるところも以前のままだったが、さすがに今夜はちょっと気になった。
「なんかあったの?」
「なんで?」
「急にビール買いこんでさ、こんなに」
「タンブラーもらえるから、ついね」
「マジか?」
「マジよ」
「ビールといっしょに持って帰ってよ」
「はいはい、まぁ今夜は帰るけどね」
「マジか?」
「マジよ」
 このままはぐらかされたら、まぁそういうことにして流すかと思い始めたころ合いに、お久しぶりさんがふわりと風向きを変える。
「相変わらず自炊なの?」
「せや、ここらは中華が一軒やし」
「もともと外では食べないでしょ」
「でもないで。そっちどないよ?」
 もしかして、待っていたのだろうか?
 軽くまなじりを寄せつつも口角をやや上げて笑みを作り、ふっと鼻息ひとつためを入れて、おもむろに話し始めた。
「料理しなくなったのよ」
「マジか?」
「マジよ」
「前は自炊してたやろ?」
「生活時間が変わっちゃったのよ」
「どゆこと?」
 つまるところ、フルタイム就職したことが原因のようだが、直近の状況からは把握できない。結局、お久しぶりさんが彼の部屋へ転がり込んだあたりから聞かせてもらって、ようやくぼんやり見えてきた。
 つきあい始めたころは登録のみの派遣フリーだったこともあり、朝夕の食事を用意するのが日課となっていたそうだ。体調管理もあって自炊を続けていたから、買い物から料理までは全く苦にならなかったという。むしろ、食べてもらえる嬉しさや、必要とされている感覚が心地よく、やがて彼の帰宅を心待ちにするようになっていったと……。
「えぇ話やん。ごっそさん」
「どぅいたぁしまぁして。でもね、専業主婦も悪くないかなって、そんなこと思っちゃったのよね。白状しちゃうと」
「マジか?」
「マジよ」
「あんなに嫌ってたのに?」
「うん、自分でもびっくり」
 言いながら、照れくさそうにビールをあおる。
 ただ、そういった心地よさとは裏腹に、先のことを考えるほど焦りは募り、派遣先を求めて面接を繰り返すうちに、彼との関係までぎくしゃくしてくる。焦りの背景には経済問題があり、あれやこれやで足りない分を補っている間に、わずかにあった貯金が底をついてしまったという。
「彼氏には相談しなかったの?」
「したような、してないような」
「まぁ、難しい話やし」
「お金のことで、自分の世界を失いたくなかったのよ」
「でも、お金なかったら、好きなこともできんやろ」
「そうなのよね。だから働くことにしたんだけどさ……」
 とはいえ、なんだかんだで状況は厳しく、求職活動は思いのほかしんどかったらしい。最終的には、見かねた彼氏がいまの職場を紹介したということだが、今度はお互いの時間がずれてしまったと。
「それで、生活時間話なんや」
「そうなの。わかるでしょ?」
「わかるかい!」
 お久しぶりさんの仕事は平日固定の九時間勤務だったが、法人向けサポートデスクなので終業はやや遅く、微妙な残業もほぼ毎日のように発生するため、帰宅は夜になってしまう。ところが彼氏はいわゆる九時五時仕事の団体職員で、しかも職場が近いから帰宅も早く、平日はすっかりすれ違い生活なのだと。
「休みの日は?」
「もちろんなかよしよ! お料理もちゃんとする」
「じゃ、えぇんちゃう?」
「でもね、たまに思い出しちゃうのよ」
「ぶいぶいいわせとったころ?」
「そこまで遊んでないわ」
「ほぅ、なら今日は?」
「いきぬき」
 やたら楽しそうに笑いながら、ちらとおくる流し目は、すっかりあの日のお久しぶりさんだ。ちぇ、こうなるなら飲まなきゃよかったかと、そんなことを思いながら、とりあえず時間を確かめる。終電にはまだ早いし、タクシーでも帰れる距離だけど、それでも遅いに越したことはない。
 でも、この雰囲気ならいけるか?
 あるいはもう少し飲めば、お久しぶりさんの腰も重くなろう。俺も時間を稼いで酒を抜きたいし、様子を見るのも悪くなかろう。などと都合のいいことばかり考えてたら、手前勝手な願望は再び粉々に砕かれる。
「余ったビールとタンブラ出してくださいな? そろそろ帰るわ」
 完全に不意を突かれ、引き留めの言葉はおろか「マジか?」と返すこともできない。
 まぁ、そうだよな。今夜はそういうことだったよな。さっきの流し眼も、特に意味はなかったんだよな。
 がっかり感を出さないようテキパキとテーブルへならべるのは、せめてもの強がり。
 タンブラの箱に手つかずの六本パックをひとつ、余りがひとつ。それぞれテーブルへ乗せると、お久しぶりさんがかすかに目を細めた。
「このこ邪魔ね」
「これだけなら置いてってもいいけど、できれば持ってってほしいかな」
 かなり遠まわしだけど、荷物を増やすくらいなら飲んでってくれるのではないか?
 そんな淡い期待をこめつつ、ダメもとにかける。
「いまから飲んでくのは?」
「ありや」
「マジ?」
「マジやで」
 なんか乗せられた気がするとかなんとか言いながら、座りなおしてビールを開ける。味わうようにひとくち含むと、また話し始めた……。
「週が明けたらまた仕事、なのよね」
「しんどい?」
「ううん、大丈夫。それに仕事自体はきらいじゃないよ。でもね」
「まぁ、そうはいうても金は要るやろ」
「そうなのよ」
 天井を仰ぐお久しぶりさんをみながら、めっちゃ奇麗になったよなと、稼ぎはコスメとファッションに消えるって言ってたけど、確かにその値打ちはあるよなとか、そんなことばかり考えてしまう。やがて、最後のビールも飲みほし、ふたりは静かに立ち上がる。
「タクシー呼ばんでもいい?」
「どうしよう、すごい雨ね」
 叩きつけるような雨音に、風のうなりが混じる。
「やっぱ泊っていい?」
「マジか?」
「マジよ」
 照れくさそうに笑う姿の妙な男前ぶりは、これまた相変わらず。いや、むしろポニテとのギャップが、マニッシュなしぐさを強調してるかもしれない。
「じゃ、シャワー借りるね」
 さばさばと脱ぎ始めたお久しぶりさんは、めっちゃ勝負下着だ。
 なんか乗せられた気ぃする……。

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