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キャラクタ紹介:エル・イーホ(El Hijo)

 小説「拷問人の息子」本編の主人公です。
 父親は伝説的な拷問人のエル・ハポネス(El Japonés)、またの名をエル・ディアブロ(El Diablo)で、物語が始まったときはその後をついで帝国管区の筆頭拷問人(エル・トルトゥラドール・スプレモ=デ・ディストリト・デル・インペリオ)となったばかりです。
 ひょろひょろと背が高く、手足は妙に長くみえます。いつも顔色が悪く無気力ですが、性交にだけは熱心で、ひまさえあれば娼館に通いつめています。最近、行方不明となった母の親友で娼館のマダムでもあるウルスラ(Ursula)の愛人に収まりました。

・本編より
 拷問人の息子、エル・イーホが父から受け継いだのは、金勘定のやり方と信用できる人間の見極め方、そして人間の壊し方だった。いや、正確に言えば父親からではない。早くに亡くなったとされる父に代わって、母親から叩きこまれたのである。

 拷問人としてのエル・イーホは、非力でおとなしい老人や子供、あるいは清廉にして高潔との世評ある人物など、いわゆるやりにくい連中への拷問を遠まわしに避けようとする軟弱な拷問人のひとりです。それどころか、相手をえり好みするという、拷問人としては致命的な評価すらささやかれています。ただ、流血など外見的な身体損傷をともなわない拷問に対する感覚は並はずれたものがあるので、血を極端に忌み嫌う異端審問では欠点が問題にならなかったどころか、むしろ好都合でした。
 このようなエル・イーホの傾向は、なにも博愛主義めいた善意に基づくものではありません。そもそも、帝国世界には博愛主義のような概念が存在しません。
 あくまでもエル・イーホが自らの怠惰を正当化し、なおかつできるだけ楽に時間をかけず、異端審問官が望む情報を被疑者から絞り出すためのもので、それは彼の拷問哲学とでも言うべき思考や行動の特徴でもありました。エル・イーホの思考や行動の傾向は父親のエル・ディアブロが残した記録を土台として、彼の母から伝授された拷問の技術、そして彼自身の経験から多層的に形成されたもので、当人にとっては絶対的な行動規範と言えます。だだし、その内容は拷問の相方となる秘書のメルセデス・イトゥルビデ(Mercedes Iturbide Hearst)ですら理解しがたいところが多々ありました。
 もし、異端審問長官のゴンサーロ・ヒメネス枢機卿(El cardenal Gonzalo Jiménez)が後述する非神子拷問の秘術と結びつけて注目しなければ、エル・イーホは拷問人として重用されるどころか、彼自身が異端として拷問されていたかもしれません。
 ともあれ、エル・イーホにとって身体的な苦痛を与える拷問は労多くして功少ないどころか無駄そのもので、見習い時代から身内には公言してはばかりませんでした。
 エル・イーホに言わせると、拷問はまず第一に被疑者の精神的な抵抗力を粉砕することで、身体的な苦痛は迂遠な間接的手段にすぎないのです。加えて、身体的な苦痛を与えすぎると麻痺して効果が薄れたり、かといって闇雲に強度を上げすぎたら死んでしまうなど、拷問人には高度なバランス感覚が求められました。もちろん必要に応じて奇跡術による治療や蘇生が行われますし、そのための奇跡術師や願訴人もいます。
 また、異端ではない犯罪者への拷問では、四肢切断を含む激しい身体損傷と治療を繰り返すことすらあります。とはいえ治療と拷問を繰り返すのは時間や手間がかかりますし、しばしば被疑者が狂気に陥って尋問不能となることもあって、エル・イーホならずとも無駄な手間をかけていると感じる人々は少なくなかったようです。そのためか、流血を厳しく禁じた異端審問の優位性を示す論拠とされたこともあります。
 さておき、エル・イーホはどのような拷問を好むのでしょうか?
 エル・イーホが理想とする拷問は、父親の拷問メモに記されていた『猫拷問』です。
 猫拷問とは地球で行われた拷問のひとつとされ、病的に猫を怖がる被疑者と猫を小部屋に閉じ込め、屈するまで解放しないというものでした。しかし、帝国にはイエネコがまったくおらず、ジャガーやピューマに似た大型の猛獣しか生息していないため、エル・ディアブロから話を聞いた人々はみな、単に猛獣を使う拷問と解していました。ところが、黄衣王の威光が及ぶレン高原やカダスの記録を通じてウルタールの猫を知ったエル・イーホは、神秘的な力と知性を備えた猫ならば、被疑者を一緒に閉じ込めるだけで労せず屈服させられるのではないかと考えるようになったのです。
 ウルタールの猫はともかく、ここで重要なのはエル・イーホが身体的な苦痛を与えるのではなく、被疑者の精神へ働きかけることで屈服させようとしたこと、そして可能な限り労せず成果をあげる拷問を理想としたことです。また、エル・イーホは拷問後の掃除や拷問具の手入れが嫌だったので、その意味からも拷問における物理的な手間を省きたいと、強く願うようになったという事情もあります。
 ただし、先述のやりにくい連中への拷問を遠回しに避けたということにもあらわれていますが、非力でおとなしい老人や子供、あるいは清廉にして高潔との世評ある人物などは精神的に安定している、あるいは正反対に不安定すぎるため、エル・イーホが得意とする精神的な拷問が効果を発揮しにくいという欠点がありました。
 ともあれ、エル・イーホは自らの理想を実現するため、父のエル・ディアブロが残した記録はもちろん、手に入る限りの審問記録を取り寄せ、あるいは閲覧して事例を研究し、類型化を図ったのです。それは、エル・イーホが拷問修行を始めたばかりの、まだあどけなさが残る少年時代のことでした。
 その中でエル・イーホが特に注目したのは、非神子への拷問でした。脳や心臓を破壊するか頭部を切断しないと殺せない人造人間の非神子は、睡眠や飲食が不要で苦痛耐性も極めて高く、身体的な拷問はほとんど効果がありません。しかし、エル・ディアブロは非神子の精神を苛む特別な方法を見出し、目覚ましい成果を上げたのです。
 エル・ディアブロの秘術はうなるような低い音と断続的に吹き付ける風、そして悪夢のような幻覚を組み合わせたもので、被疑者の精神的な統合を失わせる作用がありました。ただ、非神子は人造人間の素体へ自然人の精神を転生させることで完成するため、そもそも統合を失調しやすいという欠点があります。しかし、エル・ディアブロの秘術が画期的だったのは、失調の度合いを制御しつつ自尊心や周囲との信頼関係を損ない、同時に『被疑者は騙され、裏切られている。異端審問は拷問していない。被疑者の過ちを正し、復讐に協力しているのだ』との妄想を信じ込ませ、異端審問官との依存関係を結ぶように仕向けるという点にありました。
 つまり、エル・ディアブロの秘術は拷問というより、非神子を洗脳する技術だったのです。
 エル・イーホが生まれたとき、すでにエル・ディアブロはこの世を去っていましたが、非神子拷問の秘術も含めた父親の拷問術は、全て母から学ぶことができました。もちろんエル・ディアブロが言葉に残さず、母親にも伝えなかった細部については、エル・イーホ自身が見出していくしかなかったのですが、彼はその過程で父の秘術を独自に発展させたばかりか、拷問は被疑者が記憶しておらず、拷問者が想定できなかった(被疑者から引き出したいと思わなかった)事実や感情をあぶり出せないことを認識しました。
 まず、エル・イーホは非神子が転生する前の記憶、特に転生する直前の死亡に至る状況に関する記憶や、その状況を調べて得られた情報を活用することで、エル・ディアブロの秘術よりもさらに強く、深く被疑者の自尊心や周囲との信頼関係を損ない、妄想による苦しみを強化することに成功したのです。
 また、エル・ディアブロは審問院から派遣された奇跡術師(たいていは異端審問官のメルガール)を使い、被疑者に悪夢を送り込んでいましたが、エル・イーホは奇跡術で悪夢を送り込む前から、被疑者がしばしば勝手に悪夢を見ていたことを発見しました。そのため、エル・イーホは奇跡術師の存在をちらつかせつつ、あかたも被疑者が悪夢に苛まれているかのように誘導することで、やがて本当に悪夢を見始めるという拷問術を練り上げていったのです。
 さらに、エル・イーホは観察対象の被疑者が寝ぼけたような状態で行う様々な言動を、当人が全く覚えていないことにも注目しました。そして、地球人から無意識という概念を学び、当人が記憶していない情報を無意識下の言動から引き出す拷問術を編みだすことにも情熱を燃やすようになっていったのです。また、地球人からは映像や音声を記録する技術が存在することを知り、そのような技術がない帝国でもそれを可能とすべく、研究を重ねるようにもなっています(帝国にも地球から映画や蓄音機、ラジオがもたらされていますが、録音や撮影に関する技術はもたらされていません)。
 いちおう、いまでもエル・イーホはウルタールの猫を手に入れようとはしていますが、どちらかといえば人間の無意識、あるいは映像や音声の記録技術への興味のほうが強まっています。


¡Muchas gracias por todo! みんな! ほんとにありがとう!