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銀紙で包まれた缶詰肉サンドの豆サラダ添え

 カメラが重い……。
 よせばいいのにフルサイズの最上位機種を持ち出して、おまけに慣れないコスイベの囲みなんかへ突入したものだから、やさぐれたオタクから爪弾きにされた。お目当てのレイヤーさんも俺なんかに目もくれず、馴染みらしいカメコへわざわざ声かけて微笑む。諦めて引き下がろうにも、押し寄せるヲタに揉まれ身動きできなかった。
 指先のしびれたような冷たさと、手のひらのこわばりが限界に達する。
 あぁっ!
 カメラが落ちる……。
 でも、こんなバカ高いカメラ持ってたっけ?
 俺って?
 
 目が覚めると、腕にしがみつく裸の女だ。嫌な汗がべったり張り付いているのだろう。脂のねちっこさは、額からも頬からも不快な感覚を注ぎ込んだ。目に染みる汗をぬぐおうにも、眠る女に気取られないよう右手を抜くのは無理だろう。仕方なく左腕をそっと持ち上げ、肩を浮かさぬよう指先だけで目頭から汗を追い出した。静かにまぶたをひらいて頭をたおすと、猫のように甘える女の前髪が浮かび上がる。夏のトークイベントで初めて会った、そして腐れ縁の女とふたりでお持ち帰りした時から思っていたが、つくづく猫っぽい娘だ。
 猫のようにそっけなくても、こんなふうに甘えることはめったにない。情事の後は別々に寝るのが常で、雰囲気で添い寝を求めてもそっと離れ、いつしか独りで眠っていた……身体を重ねた相手との隔たりを隠そうともしない。そんなところがあっただけに、いま横で寝ている猫っぽい娘からは、その細い体に加わる重圧がにじみ出ていた。

 そもそも、最終年のはじめになって卒業制作を研究に変えたところからして、なにごとにもソツのない猫っぽい娘らしくなかったような気がする。ただ、傍目からも制作に行き詰まり、焦っていたのは明らかだった。とはいえ、よりによって『セルフィーとセルフポートレート』とは、やはりテーマが大きすぎたように思える。

 まず美術の自画像も彫刻などの立体もセルフポートレートだから、写真のそれとの区別や分けることそのものの必然性という問題から始まり、さらには『セルフィーの定義』や『セルフィーとセルフポートレートの区別および分けることそのものの必然性』まで、最初から厄介な問題がある。また美術でも写真でも研究の多いテーマで、教科書で言及されるような巨人級のセルフポートレート作家もまだ現役だった。
 もちろん、門外漢の俺にはそれが修論として適しているかどうかなどまったくわからない。だが、猫っぽい娘が消耗していることは間違いなかった。ただ、卒業制作から研究へ切り替えた動機や、また『セルフィーとセルフポートレート』というテーマを選んだ理由については俺なりに理解しているつもり。
 猫っぽい娘に言わせると「院における作品制作は陶酔が前提となっていることに気がついて萎えた」そうだ。さらに「高等教育機関として芸術の啓蒙性を自明とする一方で、制作においては陶酔を無批判に許容していることが許しがたい」とまで言い放っていたが、俺としては大学院でも同じ調子でつっぱってるかどうかが気になって仕方ない。あまり保護者づらするのは良くないのだけど……。
 猫っぽい娘の反骨精神はテーマ選択理由についても遺憾なく発揮され、研究の目的なるテキストも『セルフィーをアーキテクチャ依存の自己陶酔として退けたうえ、かつてのセルフポートレートを作家の客観視による自主性の再確認や再構築を果たしたと称揚する論調への違和感』を主なきっかけとして掲げ、さらには『美術評価文脈を離れたセルフィーの自己発展こそ、作家による自主的な自我の再確認ではなかったか?』と結んでいた。
 正直、門外漢には意味不明であろう言葉を若気の至りととるか、あるいは志の大きさと受け止めるべきか、やはり俺にはわからない。しかし、それが猫っぽい娘の決意表明だった。
 そして研究が始まると、なぜか俺まで忙しくなる。大学に資料が存在しないソーシャルネット黎明期のセルフィーを探し出し、デジタルアーカイブへのアクセスや、時には図書館への閲覧申し込みまで手伝う羽目になった。研究者でもなんでもない俺が手伝うのは、猫っぽい娘がぎりぎりになって制作から研究へ方針転換したことから、資料研究に適した教員との関係が必ずしも良好とはいえなくなったため……となっている。ただ、実のところこれはある種のアカハラで、フェミニズム分析を強要する教授の側にも問題がありそうだった。
 とまぁそんなこんなではあったが、夏の終わりには『セルフィーの自意識』や『セルフポートレートの評価文脈』などをキーワードとしつつ、中間的なまとめが見え始める。ただ、論文としての説得力を持たせるためには、最低でも関係者への聞き取りなどの実地調査が必要だった。
 そのため、猫っぽい娘は以前に展示レセプションで名刺交換していた同じ大学出身でセルフヌード作家の女性フォトグラファーと、公私共にパートナーのギャラリーオーナーへインタビューを行ったのだが、それが思いのほかしんどかったらしい。繰り返された対面調査の最終日、ぐったりした様子とは裏腹に交わりを求め、そして猫っぽい娘は眠りに落ちた。
 よほど思わしくなかったのだろうか?
 取材の帰り、わざわざ部屋へよって貪るように気ぜわしく俺の精を絞り、そのくせ満ち足りた様子もなく眠る姿を観ていると、気味の悪い不安感が静かにこみ上げてきた。そして、限界に達しつつあるしびれも……。
 痛み始めている関節をそのままに、ふたたび眠るのはとうてい無理だった。起こしても仕方ないと、覚悟を決め腕を抜く。案の定、猫っぽい娘がぱっとまぶたを開いた。
「やれやれ、起こしちまったな」
「いいのよ、少し前から起きてたし」
 だったらさっさと離してくれって悪態は、口の中だけ。冷たくなった手先をかばうようにそっと上体を起こすと、ゆっくり立ち上がってパンツをはいた。窓の外はまだ暗かったが、時計を見ると朝に近い。
「起きる? なんか食べるなら作るよ」
 猫っぽい娘は少しだけ考える素振りを見せた。
「ありがとう、おじさん。甘えるね。でも、先にシャワーを浴びていい?」
 クスクス笑いながら立ち上がって、なぜかプリっと尻を引き締める。芝居がかった仕草をながめつつ、俺も台所へ向かった。
 ただ、なにか作ると言ってはみたものの、使えそうなのは肉やひよこ豆の缶詰と水耕栽培の菜っ葉、薄い食パンぐらいしかない。調理時間を計算すると、缶詰肉のホットサンドが無難な落とし所だった。問題は缶詰肉の塩気と臭みだが、軽く炒めて油を落としつつスパイスで臭いや塩気をごまかし、ひよこ豆と菜っ葉を添えて総合的に緩和するのがせいぜいだろうな。
 とりあえず缶詰をちょいと湯煎し、プルトップを慎重に開け肉をボウルへ移した。先に温めておくと脂身が溶けて肉がするっと出てくるし、なにより油を捨てやすい。コショウやチリを加えつつ荒くつぶし、フライパンで軽く炒めた。サンドイッチ用を取り分け、パンにマーガリンを塗る。チーズと炒めた肉を挟んでホットサンドメーカーに入れ、とろ火で炙り始めた。
 フライパンへ水煮ひよこ豆を入れ、炒め和え始めた頃合いに、猫っぽい娘が風呂場から出てくる。
「うわ~! い~いにおい。そんなガチ料理しなくてもよかったのに」
 猫っぽい娘のやけに楽しげな声が、夜明け前の狭い台所を華やかに彩った。
「その肉、もしかして缶詰?」
 フライパンでじわじわと音を立てる薄桃色の物体を胡散臭げに見やりつつ、気味悪く低い声で俺に訊く。さっきまでの明るさは消え失せ、なにごともなかったかのような夜明け前の暗がりが戻っていた。
「うん、缶詰だけど、もしかしてだめだった?」
「だめってわけじゃないんだけど、いい思い出ないんだよね」
 遠い目をする猫っぽい娘のわざとらしさは精一杯の強がりでもあり、また見えないお友達を見つめる小動物のそれでもあり、悲しい滑稽さを漂わせている。
「忘れさせてやるよ。昔のことなんか」
「昔のことより、今日のことを忘れてしまいたいかな?」
 あんまり簡単に無防備なハラをさらしたことに、俺は料理の手を止めた。
「なんのことかわからないけど、とりあえずパンツ履きなよ」
 焼きあがったホットサンドを食べやすく切り、銀紙で包む。小さめの鉢に菜っ葉とひよこ豆を入れ、インスタントコーヒーとともにお盆へ載せた。座卓を広げようと寝室をのぞいたら、布団を片付けた猫っぽい娘がちょこんと座っている。流石にスウェット姿だった。
「持ってくよ」
 声をかけてお盆を運び、皿やカップを並べる。訝しげにながめていた猫っぽい娘は、ちらと俺の顔を見てからサンドイッチへ手を伸ばした。
「おじさん缶詰好きね」
 答えに窮したままかすかな苦笑を返し、俺も一切れつまむ。缶詰肉の脂臭さは残っているが、味はそんなに悪くなかった。まぁ、俺が好みの味に仕上げたのだから、問題があったら大惨事なのだけど。もちろん、肝心なのは猫っぽい娘の反応だった……。
 みると、既にあらかた食べ終わって、指についたチーズを舐めている。スプーンからこぼれたひよこ豆を目で追うと、猫っぽい娘がひょいとつまんで口へ入れた。
「へへ、お行儀わるかった?」
「そんなことないさ」
 無邪気な意地の悪さを含んだ視線が、俺の瞳を静かに撫でる。
 情事の後、つい『よかった?』と訊いてしまう男の間抜けさ、みっともなさをわかった上で、それでも俺の言葉を待っていた。どうせ最初から目のない勝負だ、無駄に抗うほうが醜かろう。
「大丈夫そう? 美味しい?」
 満面の笑顔で、猫っぽい娘はこう言った。
「いままで食べたおじさんの料理でいちばん微妙だけど、こんなに美味しい缶詰肉は食べたことなかった」
 よっしゃ! 悪くないどころじゃない。ほとんど最上級の結果が出た。ほんとは小さなガッツポーズを決めたい。だが、ここで前のめりになって台無しにした記憶が、俺の手をそっと抑えた。
「よかった。でも、嫌になるほど食べさせられたの?」
「無理やりってわけじゃないし、向こうでも好かれてはいなかったと思うけど、恐ろしい食べ物ってのは刻み込まれてるかな。缶詰肉の臭いって好きになれないし、しょっぱくてグニャッとした食感がね」
「西海岸だっけ?」
「基本シスコね。ときどきバークレーも、そいで中高六年間」
 猫っぽい娘は繰り返された受け答えの倦怠を隠そうともせず、なかば自動的に言葉を差し出す。
「しんどかった?」
「ううん、むしろ楽しかったよ。どっちかと言ったら、こっちに来てからがさ」
 話を切り上げず、猫っぽい娘は語りを宙に浮かべた。俺が興味を持つかどうか試すように、ぬるくなったコーヒーを飲む。大丈夫……好きなだけ自分を語っていいよ、俺はちゃんと受け止められる……無言でうながした。
「バークレーでピアノ習ってたのね。その先生がプライドパレードへ誘ってくれたの」
「ご両親は?」
「ふふ、大歓迎だったんですね。いい機会だから、連れてってもらえって」
 あれ? ごくたまに聞かされていただけとはいえ、猫っぽい娘の家族って、そんな感じじゃなかったような気がする。はっきりと意外そうな表情の俺を樹の上から見下ろすように、猫っぽい娘はニヤニヤと笑った。
「この機会にLGBT人脈を獲得するんだよって」
 聞いた瞬間、吹きだしてしまう。猫っぽい娘も笑いだし、白み始めた空の色とふたりの馬鹿笑いが溶け合っていった。
「それにしても、言うに事欠いてLGBT人脈か」
「楽しかったけどね。それに、先生は長いことボランティアもやってたから、色んな人を紹介してもらえたし、教わったことも多かった」
「それこそ人脈じゃん」
「うん。でも、持ち帰ったのはDaddy I'm Fineだけ」
 聞き覚えのある節回しで、猫っぽい娘は歌うようにつぶやく。
「それって?」
「へへ、いまでも歌えるよ」
 口ずさみ始めると、俺もすぐに思い出した。猫っぽい娘にしてみればまだ幼い頃、かれこれ十数年以上前に流行ったシネイド・オコナーの曲だが、フェミニスト界隈の片隅で歌い継がれていたことも知っている。確かに持ち帰ったようなものだ。
「あ~知ってる。いい曲だよね。歌詞もよかったな」
「でしょ、おじさんも好きそうだなって思う」
「先生から教わったんだ」
「ううん、お姉さんたちから」
 サビ前のちょっとポエティックなところから歌い始める。
「ここ、先の詞を食いながら歌うのが難しくてさ」
 照れくさそうに笑ってしまい、サビまでは歌わなかった。だが、なれた調子から、すっかり自分のもち歌にしていたのはわかる。そして、男に依存しない生き方を高らかに歌う詞が、猫っぽい娘の心にしっかりと根づいていることもわかった。
「自立したかった?」
「親と同じ世界には住みたくなかった、かな」
「ベッドタウンという牢獄からの脱出みたいな?」
「ううん、違うんだよね。めっちゃ惜しいし、そう言いたくなるのもわかるけど、そういうティム・バートン的な心理とは決定的に違う」
 言葉を探りながらゆっくり答える猫っぽい娘の瞳に、迂闊にも時代へおもねってしまった老詩人を見つめる革命家めいた哀しみがゆらめき、そして消える。
 意外そうな色を隠せない俺からすまなさそうに目をそらし、つぶやくように続けた。
「世界を拒否するところは同じだから、他人がわからないのは当たり前だよね。おじさんでも。ただ、あのころ離れたかった世界はずっと大きくて強固で、今でもそこから抜け出せてない……」
 言葉を切って猫のように大きく切れ長の目を閉じ、少し考え込る素振りを見せた。気難しい猫とのやり取りには、時として口頭試問のような厳密さを要求される。そして、猫っぽい娘は自分自身の言葉に対しても、まったく同様の厳しさを求めた。
「まず、少なくとも当時の父母はティム・バートンのように郊外住宅地的な世界『の外』を志向していたのね。それは米西海岸という漠然としたイメージがもつ先進的な文化で、だからパレードへの参加を歓迎すらしたわけ。ただ、それは決して異形や異人への憧憬ではなかったの。ほら、さっき『LGBT人脈』って言ったじゃない?」
 猫っぽい娘は指先で入れ子構造の二重円を描きつつ、勢い良く言葉を解き放つ。
「つまり、郊外住宅地的な世界『の外』をも内包する、クイアすらも取り込んでしまう。その鍵となるのはそこに発生し、関係性を取り持つ相互承認構造、つまり媒介物(メディウム)として貨幣のようにやり取りされる承認なのよ」
 確かに長い前置きだった。しかし処理能力が低下した俺の脳では、ここまで聞かないと主題どころか筋道すら見えてこない。猫っぽい娘はすっかり冷めたコーヒーを飲み干し、話を続けた。
「ただね、おじさんは承認をメディウムにしないでしょ。でもその感覚を持つの、ものすごくレアなの。つまり『しない』ってのがね、だからピンと来ないのかもしれない」
「いや、言いたいことはわかるよ。単純に言えば仲間として承認された個人は、集団から与えられた承認を、集団外の他者に対しても『紹介』という行為を通じて与えることが可能になるとか、そういう感じでしょ?」
 猫っぽい娘はとっさに「exactly!」と口に出しかけ、つややかな唇へ指を添えながら言い直す。
「その通り。根底にあるのはモラルじゃなく承認の連鎖と、それに基づく権力。だから、家族のつながりを保っている限りは、パレードに参加しても革ジャンを着ても世界の一員なの。髪は剃らなかったけどね」
 なるほど、猫っぽい娘の冷めた感じは、その感覚が根っこにあるんだ。
「もし、お姉さんたちと寝てたとしても、変わらなかったかな?」
「寝たけど、変わらなかったと思う。まだ高校生だったから秘密にしたし、みんなを守るためにね」
 猫っぽい娘は正面から俺の目を見つめ、口元だけで笑いながらこともなげに言う。
「帰国してからの大学は法科を避けてメディア専攻、両親の紐付き人脈から逃れたくていろんな男と寝たけど、それでもダメだったのよね」
「なんで?」
「いいとこのお嬢なのにヤリマンって、変に逆玉狙いが集まってさ」
 それから、猫っぽい娘は父母や出自に紐づく承認の連鎖がある限り、その世界からは逃れられないと確信したことと、そのまま就職したら最後だと思ったので、半ば強引に美大の院へ進んだことなどを話した。とはいえ、大まかな内容は折に触れ聞いてもいたので、おさらいといった感じではある。ただ、他者からの承認を求めることで『承認する側の虜になってしまう』危険性をコンセプトとして制作し始めたが、性的少数者にとっては承認が極めて重要であることを痛感したことが、作品化を断念する動機となったことについては、かなり意外だった。
「俺が取材対象と寝たのがきっかけじゃなかったけ?」
「きっかけとしてはそうだし、あのことから承認欲求の問題を深く掘り下げていったのだけど、いまの力量じゃ精神的な乞食として扱うか、反対にレインボーバンザイの多様性キラキラ作品になるかで、ちょっと人前に出せるものにはならないよなとね」
 猫っぽい娘の物言いには、吹っ切れたような他人事感すらある。そこから、美術市場における承認の連鎖なら研究対象となり得るのではないか、女性作家の自己承認という文脈で紹介されたはずのセルフポートレート、特にセルフヌード作品が、権威から評価されていく過程で美術メディアや市場の構造(アーキテクチャ)に取り込まれ、束縛されていったのではないかという疑念を抱いた。それを立証することで、他者からの承認を求めることで『承認する側の虜になってしまう』危険性を明らかにできるのではないかと、丁寧に話を展開していく。
 そう、口頭試問へ答えるかのように。
「でもほら、作品評価と関連しつつ変動するという美術市場の構造(アーキテクチャ)、作品の解釈や評論、作家の発言などは客観的に立証可能だけど、ギャラリーオーナーの立場から発信された情報は非常に少なくて、そこに立証されざる要素が残ってしまったところは、傍目にも分かりやすかったと思う」
「うん、でも女性フォトグラファーとギャラリーオーナーへのインタビューである程度は埋められたんじゃないの?」
「まぁね、それも美術市場、特に写真作品についてはまだまだ男性が支配的であること、さらには前世紀末のセルフポートレートやセルフヌードは作家の自己陶酔が魅力であることをビジネスライクに話してくれたから、ありがたいけどちょっと意外だった」
 気がつけば、すっかり明るくなっていた。なにか飲み物はいらないかとマグカップをつついたら、猫っぽい娘はため息まじりの無言で『大丈夫、いらない』と話し始める。どうやら、ビジネスと割り切って淡々とインタビューに答えるギャラリーオーナーに、同席していた女性フォトグラファーが強く反発したようだ。ところが、反発する彼女へ、オーナーは『この学生さんが指摘しているのは作品をめぐる権力というか、評価を通じて作品を規定し直すという関係性で、僕はそれをビジネスライクに語ってる』と遮り、ふたたび話し始めたという。
「そしてね、オーナーは『たとえ公私共のパートナーではあっても作家の制作には関与しないようにしてるから、あくまでも間接的な影響にとどまる』と言うのだけど、彼女はそうでもないらしいの。ただ、その場で話しても水掛け論だし、その辺はフォトグラファーだけと個別インタビューしようとお願いしたら、断られちゃったのさ」
「まぁ、それこそ『公私共にパートナー』だと、話せないことも多いだろうね」
 長い話もそろそろ終わり、そろそろ食器を片付けて眠ろうかと思った。猫っぽい娘にしてみれば、欠落を埋めるはずのインタビューで新たな欠落が生じてしまったのだから、それがプレッシャーにならないはずもない。そんなことを思いつつ立ち上がろうとしたら、まだ続きがあると引き止められた。
「そこで別の作家を紹介するから、インタビューしてみたらってなったの」
「へぇ、だれ?」
「セルフヌードで写真賞とったあの人」
「うわ! 偶然ってあるもんだね」
「うん、おじさんの伝手を蹴った人」
 過程がどうであっても、研究が進めばそれでよい。俺はそう思って、猫っぽい娘の話を流しかけた。ただ、口調には俺への気遣いではない何か、いらだちとも怒りともつかない悔しさのようなものを含んでいる。きな臭さを感じ、もう少し話を続けた。
「でもさ、ギャラリーのプロテクトあるから、オーナーさん経由だとまずくない?」
「うん、離島に暮らす世捨て人神話がウリだし。ただね、手術跡のセルフ作品を写真集にしたでしょ。あれってそのオーナーがオーガナイズしてたワークショップで撮った作品も入ってて」
「うわ~そういうつながりなんだ。じゃ行くの?」
「うん、島のコミューンまで」
「いい話じゃん」
「よくないよ!」
 猫っぽい娘が生まれた頃とはいえ、ひとつの時代を築いた写真家への取材である。しかも、数年前にガンの克服と新作写真集の出版を公表するまで、なかば忘れられた存在だったのが、むしろ作家としての神秘性を増しているような、そんな人物でもあった。
「すごく悩んでおじさんの話を蹴ったのに、結局はコネ……」
 門外漢からすれば卒研の目玉になり得るような取材と思えたが、猫っぽい娘はふてくされたような諦めきったような、そんな表情を崩そうとしない。
「紐が付くからね」
 俺が相づちを打って話を切り上げた後も、猫っぽい娘は難しく考え込んでいた。

 もやもやした気持ちを抱えたまま、猫っぽい娘はいったん帰る。それから半月ほどはとくになにもなかったが、取材帰りのその足で俺の部屋へ来て、嬉しそうに島の風景や作家とのツーショット(ヌードも!)を見せてくれたときは、俺も心底ホッとした。
 だが、研究の提出から評価まで一段落し、これからどうなるかと思い始めたころ、ふっつりと連絡が途絶えてしまう。身体を交わした相手なのに、俺が知ってるのはスクリーンネームとIDだけ、住所や電話番号はおろか名前すら知らなかった。猫っぽい娘がアカウントを削除してしまえば、こちらからつながる手段はない。
 ほんとうの名前も住所も知らない相手との関係にふさわしい結末だったが、ふと聞こえた『時が流れても、あなたの名すらわからない。あなたの名前は情熱の彼方』に、年甲斐もなく涙がこぼれた。ネックのトゥ・ノンブレなんてインダストリアルなポップ、それもワンショットなのに、そこを考えるとますます泣けてくる。

 そんなある日、カナダからの手紙が届いた。それは、トロントの情報研究機関で働く猫っぽい娘から。オフィシャルレターパッドへのびやかに書かれた近況は楽しげで、同封された写真は黒人女性とのツーショットだ。なにげなく裏返すと『彼女からフランス語の特訓を受けてる。ベッドで』とある。
 まぁいいや、元気そうでナニヨリ!

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