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帝国世界の料理 副菜編

はじめに:医食同源という概念を全く持たない帝国人

 帝国世界の食事を語る上で、どうしても避けて通れないのが奇跡術です。もちろん、奇跡術は帝国世界の基本であり、文字通りの意味で世界の全ては奇跡術によって成り立ち、また人々は奇跡術という枠組みで思考します。例えば、精神疾患を除く病気や怪我は司祭たちが奇跡術で簡単に治療してしまうため、食と健康は全く結びついていません。
 帝国には、生活習慣病という概念すらないのです。そのため、健康のために野菜を食べるという発想はなく、もし油っこくて刺激の強い料理をたくさん食べて胸焼けや胃もたれがしても、野菜について思いを馳せる帝国人はいませんでした。帝国人にとっての野菜とは、料理の味付けあるいは「カサ増し」という位置づけだったのです。

帝国の献立:定食と一膳飯

 帝国における献立の基本は、主菜となる肉もしくは魚料理に、副菜の野菜あるいは豆料理、場合によって汁物、そして主食となるパンまたはマカロニの三品が基本で、見た目の配膳は日本の一汁一菜と似ています。また、主菜と副菜に生の果物あるいは砂糖漬類がつくことも多く、定食としての体裁は整っていました。
 ただ、帝国においても汁物にパンやマカロニを添えた一膳飯というか一汁主食、あるいは具入り蒸しパンや粥のみといった簡易な食事がありました。特に朝食は、その種の一品とコーヒーで簡単に済ませるのが基本で、地域や寺院によってはアトレと呼ばれるトウモロコシの粉を水や乳で煮た粥状の飲み物だけということも珍しくなかったのです。

 ヘルトルーデスが用意した昼食は、粗みじん切りの奇跡肉と玉ねぎのニンニク炒めをうす焼きトウモロコシパンでくるみ、トウガラシを利かせた焼きトマトのタレをかけたものにひも状のチーズを添えたもので、車内には食欲を強烈に刺激する濃厚な香りが立ち込めていた。エル・イーホとメルセデスに筒状のトウモロコシパンを取り分けながら、ヘルトルーデスは「前菜もスープもありませんけど、ここではこれが精いっぱい」と悲しげに首を振る。
 エル・イーホは食事をやや軽んじるところがあり、しばしばパン粥や肉と豆の煮物ひと鉢、あるいはひとつの皿にパンとおかずを盛りつけただけの料理で済ませようとしていたが、そのたびにヘルトルーデスから『そんな祭壇の供物めいた料理は食事と言えません』などと、たしなめられていた。
 子供時代、エル・イーホがふざけてトウモロコシ汁にひたしたパンを『死人の飯(しびとのめし ラ・コミダ=エスタバ・デ・ムエルテ)』と言いながら食べていたところ、ヘルトルーデスからこっぴどく叱られたこともある。そんなヘルトルーデスだから、時間や材料、空間も限られた車内でも、なんとかして『正餐としての昼食』を供しようとしたのだろう。

帝国の野菜

 帝国において最も一般的な野菜はトマトで、さらにポブラノなどのトウガラシ類、ジャガイモ、そしてサヤインゲンなどの豆類などもよく食べられています。また、ノパルと呼ばれるサボテンの葉も非常に一般的な食材で、その他には鰐梨(アグアカテ)や玉ねぎ、かぼちゃなども食卓に登ります。サボテン以外の葉野菜類は大雑把にコルと呼ばれ、コル・レポージョと呼ばれる玉菜とその仲間、コリフロールと呼ばれる蕾を食べる花野菜が一般的です。

さまざまな唐辛子類の簡単な説明(西語)

さまざまトマトを集めた画像

さまざまな豆類を紹介する画像

サボテンの収穫から調理前の下処理、料理などを解説した動画。炒め物や蒸しパンなどが登場します。

 本編中にも野菜中心の料理が登場します。

 目の前に素揚げジャガイモと辛み腸詰、そしてトマトの炒め煮に薄いトウモロコシパンを添えられた皿が出てきた。
「すぐコーヒー持ってくるよ」
「ねぇねぇ、暴れイモってどれ?」
 コーヒーをカップへ注ぐヘルトルーデスの背中へ声をかけると、肉厚の大きな肩を震わせ、面白くて仕方なさそうに答える。
「最初はジャガイモとチーズの炒り卵(レブウェルト・デ・パパ)にしようと思ったんだけど、晩御飯の揚げイモがたぁくさんあまったから、暴れイモにしたのよ」
「つまり、ダジャレ?」
「そう、気持ちがこもった言葉遊びね」
 皿の脇にコーヒーをおきながら、ヘルトルーデスは『面白いでしょう?』と言わんばかりにメルセデスを覗き込む。

~中略~

 そんなとりとめもない考えをもてあそびながら、黙々と暴れイモを口に運ぶ。イモの表面はしっかりしているが、全体はトマトの汁けを含んでふんにゃりと手ごたえのない食感だ。しかし、そこに腸詰の辛みとしっかりした噛みごたえが加わって味が引き締まり、トマトの酸味と相まってうす焼きトウモロコシパンも進む。しかも、甘いコーヒーとの相性が抜群だった。

ヘルトルーデスが作った暴れイモ(パパス レブウェルタス)のモチーフはこの料理です。

ジャガイモとチーズの炒り卵(レブウェルト・デ・パパ)はバリエーションに富んでいますが、その中でも比較的シンプルなレシピはこちらです。

本文中には登場しませんが、豆料理の例としてケソ・デ・ガルバンソス(ひよこ豆のチーズ)の作り方を紹介します。

帝国の乳製品

 チーズを使った料理が登場したので、帝国の乳製品についても説明します。ただし、帝国ではヨーグルトや乳酸菌飲料類がほとんど作られておらず、当然ながら食べる機会も極めて限られています。バターについては味、形状とも現代日本と大差ありませんが、安く豊富に流通していることもあり、使用量がはるかに多いという点が異なります。ただ、名称については奇跡術に起因する分類というか、混乱があります。
 いちおう、牛乳から人間が加工して作ったバターがマンテキージャで、豚脂や牛脂などがマンテカ、奇跡術によって生成されたものが調理用奇跡脂を意味する「グラサ デ ミラグロ パラ コシナール」となっていたようです。ところが、地球人が帝国にマーガリンとショートニングを持ち込んだため、奇跡術によって生成されたバターもマーガリンと呼ばれたり、あるいはショートニングを意味する「グラサス パラ コシナール」が奇跡術によって生成されたものと誤認されるなどの混乱が生じました。
 黄印の兄弟団はそのような状況を苦々しく思っているようですが、味などから区別する方法がなく、打つ手もないため黙認せざるを得ないといったところのようです。
 他方、帝国のチーズは現代日本のそれと異なるところがありました。まず、帝国のチーズは低温殺菌もしくは無殺菌の牛乳を使った短期熟成のフレッシュチーズが基本で、長期熟成タイプのチーズはほとんどありません。その中でも一般的なのが、白く紐状のものを丸めたチーズで、単にチーズ(ケソ)といえばそれを指します。繊維状に裂けるという特徴があり、そのまま食べることも多いのですが、裂いたり刻んだりして料理にふりかけたり、溶かし込むこともあり、使われない料理はないのではないかと思われるほどです。味は造り手による差が非常に大きく、不安定ですが、基本的にさっぱりして癖もなく、歯ごたえのあるチーズです。
 その他に、奇跡術によって生成されるチーズがあり、そちらは黄色いチーズを意味する「ケソ アマリージョ」と呼ばれています。これも奇跡術師によって味が大きく異なるのですが、基本的には現代日本のプロセスチーズと似た外見に食感、味わいです。ただし、黄色いチーズと呼ばれる通りに黄色く、また加熱してもほとんど溶けないという性質があります。

帝国で一般的なチーズのモチーフにしたオアハカチーズの製法を解説した動画です。

スペイン語でケソ アマリージョはプロセスチーズを意味し、作品でもモチーフにしています。その画像検索結果です。

帝国の甘味類

 帝国には多種多様な果物が豊富にあり、メロンやスイカなどのウリ類や柑橘類、バナナ類、パイナップルのほか、フルート・デ・ツナあるいはピタヤと呼ばれるサボテンの実も広く食されています。サボテンの実は現代日本のドラゴンフルーツとほぼおなじですが、完熟した実が出回っているため、甘くて柔らかい点が異なります。
 その他にはマルメロも広く食されています。ただし、マルメロは生食できないため、ジャムや砂糖漬けなどにします。その中でもドゥルセ・デ・メンブリージョ(マルメロのお菓子)あるいはカルネ・デ・メンブリージョ(マルメロの肉)と呼ばれるゼリー状に固めたお菓子は、チーズやパンに添えて食べたり、パンなどの料理に材料として使われたりします。
 またサトウキビやリュウゼツランから採れるシロップもあるため、マルメロ以外の果物もドライフルーツやシロップ漬けが大量に出回っています。小麦粉が少ないのでケーキやクッキーは地球人の周辺に限られていますが、チョコレートやナッツを使ったお菓子や、アマラントやチアをシロップで固めた岩おこしのようなものは豊富に出回っています。その他には、本文中に登場したタマリンドのお菓子、もしくはマサモーラ・モラーダという紫トウモロコシのドロッとしたお菓子や乳粥もあります。

 粉糖まぶしの白玉を口に入れた。
 舌に化粧砂糖の甘みがさっと広がり、たちまち消え失せると、やがてねっとりした酸味が口中にからみつき、そして甘みへと変わる。もちもちした食感も含め、森の黒い仔山羊がごとき複雑な表情を持つ菓子で、味も作り手の好みによって酸味に寄せるか甘みを強めるか自在だった。エル・イーホはタマリンドの酸っぱいジュースも嫌いではないが、唐辛子をまぶした辛酸っぱい味は苦手で、自分から手をつけることはない。
 ただ、唐辛子味のタマリンド菓子やジュースはヘルトルーデスの大好物なので、幼いころからいつも家のどこかにある、なじみ深い存在ではあった。
 前歯の裏にへばりつく甘酸っぱいタマリンドを舌先で引きはがしながら、エル・イーホは移送書類に目を通す。

タマリンド菓子の作り方

 味はいずれもかなり甘く、現代日本でいうスナック菓子のような塩味系統のものはめったにありません。ただし、トウガラシをまぶした甘辛いものは非常に多く、本文にも登場したようにヘルトルーデスが好んでいました。

果物を砂糖漬けする過程でアルカリ処理を施し、透明感を出すメキシコのお菓子を解説した動画です。帝国でもおなじようなお菓子が食べられています。

カルネ・デ・メンブリージョの作り方

マサモーラ・モラーダの作り方です。基本的にはチチャ・モラーダに乳粥(アロス・コン・レチェ)を加えたものなので、その作り方も含まれます。

サボテンの実の収穫と処理

 最後に帝国のソフトドリンクですが、コーヒーとチョコラテの他に、さまざまな果物や紫トウモロコシのジュースが飲まれています。チョコラテは現代日本のココアに近いのですが、油脂分が残っているため粘度が高く、口当たりはなめらかでも重い飲み物です。

チチャ・モラーダという紫トウモロコシのジュースです。基本的にはマサモーラ・モラーダのお粥分がないものです。

メキシコにおける伝統的なチョコラテの作り方です。帝国でもほぼ同様です。

現代メキシコにおけるメキシコ風チョコラテの作り方です。トウモロコシの粉を加えています。

メキシコ風コーヒー(カフェ・デ・オジャ)の作り方です。砂糖の塊とシナモンを使うところが、チョコラテと共通しています。

 にこやかに礼を言ってコーヒーを受け取る。ぼってりした肉厚のカップに口をつけ、シナモンの香りと黒糖の甘さがコーヒーの苦みと重なって織りなす風味の強さを確かめた。とはいえ、正直なところエル・イーホにはいささか尖りすぎるので、添えられたミルクの煮詰をひとさじ加え、濃厚なまろやかさに心を落ち着ける。

 最初に説明したように、帝国人は健康のために食べる、あるいは食事と健康を結びつけるという考えをまったくもっていなかったので、これらの嗜好品を控えるということはありませんでした。ただし、現代日本での生活からは想像できないほど礼儀作法や社会的な制約が厳しく、その点で自由とはほど遠い食生活でした。

名称など表記一覧

アトレ
トウモロコシの粉を水や乳で煮た粥状の飲み物
Atole

ポブラノ
Poblano

死人の飯
しびとのめし
ラ・コミダ=エスタバ・デ・ムエルテ
La comida estaba de muerte

ノパル
Nopal

鰐梨
アグアカテ
Aguacate

コル
Col

コル レポージョ
Col repollo

コリフロール
Coliflor

暴れいも
パパス レブウェルタス
Papas Revueltas

ジャガイモとチーズの炒り卵
レブウェルト・デ・パパ
Revuelto de Papa

ケソ・デ・ガルバンソス
ひよこ豆のチーズ
Queso de garbanzos

バター
マンテキージャ
Mantequilla

豚脂や牛脂など
マンテカ
Manteca

奇跡術によって生成された調理用奇跡脂
グラサ デ ミラグロ パラ コシナール
Grasa de milagro para cocinar

マーガリン
マルガリーナ
Margarina

ショートニング
グラサス パラ コシナール
Grasas para cocinar

チーズ
ケソ
Queso

奇跡術によって生成されるチーズ
ケソ アマリージョ
Queso amarillo

サボテンの実
フルート・デ・ツナあるいはピタヤ
Frutos de tuna
Pitahaya

マルメロ
メンブリージョ
Membrillo

ドゥルセ・デ・メンブリージョ
マルメロのお菓子
Dulce de membrillo

カルネ・デ・メンブリージョ
マルメロの肉
Carne de membrillo

マサモーラ・モラーダ
紫トウモロコシのドロッとしたお菓子
Mazamorra morada

タマリンド菓子
ドルセ・デ・タマリンド
Dulces de Tamarindo

過程でアルカリ処理を施して透明感を出したメキシコの砂糖漬け果物
ドルセ・デ・クリスタリサドス
Dulces de cristalizados

乳粥
アロス・コン・レチェ
Arroz con leche

チチャ・モラーダ
紫トウモロコシのジュース
Chicha morada

チョコラテ
Chocolate

メキシコ風コーヒー
カフェ・デ・オジャ
Cafe de olla

¡Muchas gracias por todo! みんな! ほんとにありがとう!