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「喜多川」とその周辺について

故・ジャニー喜多川氏の性犯罪について、少し触れたい。

まず、呼称として、自分は「スキャンダル」や「ゴシップ」という言葉を使わない。
逮捕も起訴も不可能な現在、「犯罪」や「事件」という言葉を当てるのは正確ではないのだが、あくまで「犯罪」として、「事件」として触れる。

また、「人権問題」という触り方もしない。
これについては、“被害者の人権”を否定しているというわけではなく、あくまで自分が触れる角度からは当てはまらないということ。
正直に言えば、趣味じゃない。

はっきり言う。
自分は、被害者を救済したいというよりも、「ジャニー喜多川」という人間を断罪したいのだ。

もう一度言う。
この男だけは、墓場から引き摺り出して、何度も何度もぶちのめしてやりたいのだ。
二つ返事でヴァーリトゥードに応じるのは、「喜多川」と「金正恩」だけだ。

ただ、東山新社長が、会社を畳むという方向に舵を切り、概ね、自分がそうあるべきだと考える方向に物事は進んでいる。
だから、当初思い描いていたような文章を綴る必要性はなくなっている。

以下、相当な想像の下、今後改めて書くかわからないながらも、お品書き感覚で端的に触れる。乱文になるかもしれない。

東山新社長は、「喜多川」の影響を受け性犯罪に近しいセクハラを行っていたのだろう。
だから、「新社長」なのだ。
一度目の会見は、「ジャニーズ事務所」を継続させることで、その事実を“凍結”させようとしていた。
余生がどれだけあるかわからないが、後半生、この人は“悪人”として生きると腹を括ったのだと感じた。
「喜多川」のような少年への性的嗜好があるわけでもなく、“若気の至り”というには被害者には辛すぎるだろうが、「喜多川」と同じ人種だとは思えないし、思わない。
“悪人”である以上、人間として正しくはないという評価なのだが、それはそれとして“悪人”として生きることに決めた東山新社長に、あと一度だけ「必殺仕事人」を演じさせて欲しいと思った。
「悪人・東山」がどんな演技をするのか大変興味がある。

「喜多川」の姪であり、下劣姉弟であった「メリー喜多川」の娘であった藤島ジュリー景子元社長に関しては、強く責める気にはなれない。
直感と想像がほとんどでしかないのだが、この方は大部分において蚊帳の外だったのではないかと思う。被害者の方の証言を聞くにあたり、真の意味で中枢にいたような気がしない。
“下劣姉弟”亡き後、「社長」という立場に立ったという意味では“責任”から逃れることはできないし、世間の常識からすればそれが全てである風なのだが、感情論としては以上だ。
あえて藤島ジュリー氏の罪を問うならば、“無知の罪”に近いというのが個人的な見立てである。
知らんぷりしていたマスコミとどっこいだろう。

また、違和感という意味で、過去に気になっていた点やタレントについても触れたい。
かつて、ダウンタウンが司会の音楽番組であった『HEY!HEY!HEY! 』は、当時のプロデューサーの意向で、ジャニーズのアイドルを排斥していた。非ジャニーズの男性アイドルを番組に起用するなという「喜多川」サイドからの圧力に対し、番組側が反発したからだと言われている。非ジャニーズの男性アイドルというのは、事実上DA PUMPだったと言い切っていい。
しかし、視聴率が伸び悩むとともにプロデューサーが交代し、その後ジャニーズのアイドルたちの出演が解禁されることになる(以後紆余曲折を経て、メンバーが代わり、「U.S.A.」が大ヒットするまで、ISSAの女癖の悪さ以外は、DA PUMPは地下に潜ることとなった)。
と、同時にジャニーズのアイドルたちが、口々に「喜多川」のことを、面白おかしく“ネタ”として喋りだした。

断言できる。
ジャニーズ、もしくはジャニーズ事務所というものに、「ジャニー喜多川」という“お茶目な社長”がいるという認識が広く浸透していったのは、『HEY!HEY!HEY! 』にジャニーズのアイドルが解禁されて以降だ。
ただ、だからと言ってジャニーズ事務所に屈した番組側を批判したいわけではない。

ジャニーズのアイドルが解禁されたのち、出演したTOKIOの松岡昌宏さんが、ダウンタウンの「喜多川」イジりに、爆笑していた。
当時は、とんでもない発想のボケでもない平均的なイジりに対してとんでもなくウケる松岡さんの姿を見て、軽い違和感とともに「松岡って、あまりお笑いレベルが高くないんだな」とだけ思っていた。
しかし、多分、違った。

松岡さんは、「お笑い」として笑っていたのではなく、卑劣漢「喜多川」が、なんの忖度もなくイジられるという状況に対して笑っていたのだ。
あえて悪い言い方をするのなら、「喜多川」への嘲笑が入っていたのだと思う。だから、あれほどまでに笑っていたのだと、今なら思う。
また、だから、元メンバーであった山口達也さんに、未成年者への淫行が問題として持ち上がった時、男泣きしたのだろう。
「どうして、卑劣漢『喜多川』と同じことをやっちまうんだよ」
と。

「喜多川」が死んだ時、元メンバーの長瀬智也さんが「(喜多川は)地獄に落ちる」と発したように、メンバー間の中で「俺たちは、ああなっちゃいけねぇ」という「喜多川」を反面教師にしたコンセンサスのような、絆のようなものがあったのかもしれない。
松岡さんは、今、女装した家政婦役でドラマに出演しているようだが、頑張ってもらたい。

そして、あとどうしても触れたい人物が一人――。
KinKi Kidsの堂本剛さんだ。

堂本さんは、「喜多川」と肉体関係にあったのだと思っている。
「喜多川」死後、『KANZAI BOYA』という曲を制作、リリースしたことからも、眠っている間に股間をまさぐられたこと、それを心の鍵で封印しようとしていたこと以上のものを感じる。

元SMAPの中居正広さんが、ジャニーズ事務所から独立し、個人事務所を開くという会見の中で、「喜多川」の遺骨(遺灰)を取り出したのは「喜多川」に対する“意趣返し”だと思っているのだが、亡骸となった「喜多川」のおでこにキスをしたという堂本さんの行為は、2人の肉体関係の中において、“愛”があったのだろう。

当初、一番声(声明)を聞きたいと思っていた対象が堂本さんで、その時の感情は、
「お前、一体どういう了見でこんな歌だしたんだ?!説明しろ。落とし前つけろ、ボケ」
といったものだった。
しかし、補償と廃業という出来得る限りの当然のことを実行に移すという過程の中、世間からの風当たりを感じるにつけ、堂本さんへの思いも変わっていった。
現状は、好きに、自由に、やっていってもらいたいとだけ思う。

ゲイ、もしくはバイセクシュアルであることを言っても、言わなくてもどちらでもいいし、「喜多川」への愛や憎悪を語っても語らなくてもどちらでもいい。
バラエティーにおける堂本さんの振る舞いや、「喜多川」の死後とはいえ、先に挙げた楽曲によって、傷付いたり、人生を誤った人は現実に存在するとは思うが、堂本さんのような人生は何ら誇張することなく、複雑過ぎて、第三者が捉えようとするのは不可能だ。

犯罪者を好きになることもある。
死刑判決の後の、囚人と婚姻を結ぶ人もいる。

改めて、堂本さんには、残りの人生を「自由」に生きてもらいたい。
仮に、本当にそうなってしまったとしても、自分は堂本さんの行為を、肯定的にアプローチしていきたい。
仮に、精神を病んで無差別に人を傷付けたとしても、愛する「喜多川」の元へ旅立つ選択をしたとしても、その選択肢に世間が難詰したとして、「でも」と言ってあげたい。
一般論として、「あなたの人生は世界にたった一つだけの人生」とは言うが、堂本さんの人生に比べれば、それ以外の人生はとても、とても……。
そう考えると、「ジャニーズ」を擁護し、その行為が“自己保身”であると、多くの支持を失った山下達郎さんは、親交のある“堂本さんの心”を守る為に、そのような姿勢を取ったのかもしれない。
いずれにしても、世界に一つだけの人生を、堂本さんにはやり切って欲しい。

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