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砂遊びの記憶

私が子供の頃、割と思春期越えるくらいまで、あまり言葉がうまく使えている気がしなかった。

喉はいつも詰まるし、話し方は遅くて、すぐに言葉が出てこない。だから絵に没頭したのかもしれない。

ふと今、優雅なクラシック、多分モーツァルトだと思う、そんなBGMの中、大衆食堂で鯖定食と向き合っていたら、2、3歳のまだ全然話せなかった頃のことを思い出した。

私が大人になってから、母は「幼稚園くらいの頃、他の子は「道路が工事中で」と言っていたのに、うちは「外で車がどんどんがしゃがしゃ」と言っていたわ。」と、私が言葉が遅かったことを前に言っていたが、私は母の教育や声掛けがずっと小学生くらいまで幼稚だっただけなのでは、と今はなんとなく疑っている。

それはともかく、小さい頃は近所の公園で知らない子とも、何も気にせず一緒に砂遊びをしていて、その中にはハーフの友達もいた。その頃はお互い言葉がわからなくても、話したりしなくても全く問題なく、砂遊びができていた。多分本来、大抵のことはそうだと思う。

何が言いたいかというと、見た目とか思想とか色んなものが後から頭や人を支配しているけど、別に砂遊びは誰とでも子供はできる。

いまだに戦争をしている国があり、人種がどうだとかいろんな話があるけど、その人たちの楽しみは何なのだろうな。私はいまだに延々に誰とでも砂遊びができる大人になれて良かった。


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