花札屋とパンツ屋

大島渚が深夜番組の「クラブ紳助」に出演時、学生運動の影響下で進路先が決まらなかった時に、親から任天堂を就職先として進められたと言っていた。
もちろん冗談で、大島は京大出身で当時の任天堂といえば花札を作っている会社に過ぎなかったから。

同郷の紳助に対しての京都ローカルネタなのだ。紳助も負けじと切り返す。
高校時代の通学路に沿道に建ち並んだバラック小屋からミシンの音が聞こえて、一体何をやっているのか不思議だったという。
後年それが、今では業界トップのワコールだと分かり謎が解けた。

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