ビートたけしと軍団と浅草キッド

twitterで玉袋筋太郎がぼやいている、憶測だが原因は元兄弟子による浅草キッド批判ではないだろうか。弟子というのは自分こそ師匠の真意を理解していると凌ぎ合うのが常で、今回の諍いはそこに端を発しているのではないか。

ただ、浅草キッドはたけし軍団のステイタスを上げたことは確かである。今でこそダチョウ倶楽部、出川哲郎によりリアクション芸というものが認知されるようになったがその嚆矢はたけし軍団であったように思う。スーパージョッキーのガンバルマンは代表的なものであろう。それで90年代初頭、年齢的にも彼らの最盛期に時代の波に乗れたかというとそうはならなかった。ダウンタウンの台頭もあってか、先鋭的なネタやしゃべくり芸がテレビを席巻しリアクション芸は1段低いものと見られる風潮があった。そんな時勢を背景としてたけし軍団の活躍の場は限られたものになった。
それを裏打ちするかのようなワンシーンを覚えている。ドッキリ番組でクイズ番組の仕掛け人の中に軍団のメンバーがいた。スタジオでそのVTRを見終えたあとヒロミがこうコメントした「軍団がクイズ番組の回答者にいる時点でニセの番組だと分かりそうなものじゃねえか」。それで笑いが起こるほど軍団の人気は陰りがあった。多少なりとも、たけしファンであっため不甲斐なさのようなものを感じた。

そのような停滞ムードの中で、孤軍奮闘したのが浅草キッドであった。浅草橋ヤング洋品店のレポートのボキャブラリーの豊富さには軍団に対しての先入観が良い意味で裏切られた。彼らのラジオ番組に松任谷由実がゲストとして来たことがある。彼女が言ったのは浅草キッドの著作である「芸能界地獄の問題集」を枕元に置いて、寝る前に読むのを楽しみにしているということだった。
後に水道橋博士はユーミンの本の編集であった見城徹と対談する。その中で見城は彼女を評してこう述べている。センスのある人間を見つけるのが上手く、かつてその中には「なんとなくクリスタル」の田中康夫もいた。つまり、浅草キッドも同様に目にかなったという栄誉を預かったのだ。それは軍団の面目躍如と言っても言い過ぎではないだろう。
当時瞬間風速的には東野、今田と同格だったのではないのだろうか。実際、90年代半ば頃に真っ昼間王というテレビ番組で共演していたが互いに値踏みするかのような緊張感があった。

件の兄弟子は、師匠であるたけしが浅草キッドを認めていないかのような事を述べていた。しかし、映画「ソナチネ」の中で車のシーンがありカーラジオから漫才が流れる。その漫才師こそ浅草キッドなのである。これこそ言葉に出さずとも,シャイなたけしの愛弟子にに対しての免許皆伝メッセージなのではないのだろうか。

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