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インドの大富豪に揉まれ、起業した私が新しく会社を作った〜!

Noteお久しぶりです!フミコです。
自己紹介プロフィール的なものがなかったのと、YouTube事業のその後、「どんな挑戦をしているのか謎!」と言われる機会が増えたのでここにまとめておこうと思います!

そもそもなぜ起業家に憧れたのか


2000年、群馬県で誕生。
両親共に教員という非常にお堅い家庭に生まれ育ちました。その反動もあってか反抗期が長く。。学校でも生徒指導に呼ばれるような少々やんちゃな子でした。
学校生活も家庭もうまくいかず、生活に窮屈さを感じていた高2の夏、周囲の反対を押し切り飛び出して1年インドへ。結果高校を留年しましたが、これが人生の大きな転機となりました。

現地で面倒を見てくれていたのが、インド人のデベロッパー系の経営者の方。(お子さんに日本語を教えてほしいというニーズもあってマッチングした)
2017年のインドのインフラ産業ど真ん中で、おもちゃのように次々とビルやモール建っていく様子を間近で見させてもらいました。
そのお父さんの口癖が「16歳でこんな国に一人で来た君は大物になる!起業しろ!」で。(笑)
インド英語の飛び交う商談に片っ端から私を連れまわし、毎日仕事っぷりを見せてくれていました。
ミリオネアの集まる4000人規模の結婚式や、インドの政治家との謎会合、爆買いする綺麗なインドマダム達。お会計で札束ごと置いて店を後にする友人達。目眩さえしてしまうような生活でした。

インドのミリオネアの結婚式

それまで私の世界の全ては群馬で完結していたので、自分にとっての格好良い大人のロールモデルは銀行員、お医者さん、そして親と同じ学校の先生。人生で初めて出会った"アントレプレナー"がこんなにも強烈な印象を残していったこともあり、16歳の私は、"起業家"という職業に強固すぎる憧れを持ったなと思います。

夢は決まったものの、何にも持ち物もスキルもなかった私は何から始めていいかわからず、一旦日本で復学し、とにかく勉強をしていました。笑
経営者になるなら慶應っぽいなというイメージと、
ビリギャル世代だったこともあり、"なんか頑張れば慶應入れる方法がありそうだな"という漠然とした情報だけで慶應を目指しました。
なんとか合格し、結果今は現役慶應生をしています。


最初の成功体験 ~インドJKの日常TikTok~


もともとバイトをしていいような高校ではなかったので、とにかく何かを始める資金がない。自分の手を動かすことしかできなかったので、動画コンテンツをひたすら作っていました。
地元の本屋さんで見つけた自己啓発本にあった"これからは影響力の時代!"を安直に信じ右も左も分からないままSNSを始めてみました。
当時はまだまだ下火だったTikTokでひたすら"インド女子高生の日常"というテーマでコンテツを発信。案外反響がよく、気づいたら200万回再生。
誰に言うわけでもなく、実家の一室でひとりこっそり始めたコンテンツに通知が止まらないという状況に、当時は心臓がバクバクだったのを覚えています。
これが初めて自分で立ち上げた0→1での成功体験でした。


2つ目の成功体験 ~トゥクトゥク事業~

あとは学生の特権を存分に享受して沢山のビジコンに出ました。
トゥクトゥク(東南アジアのローカル三輪タクシー)を地元で沢山走らせようというテーマでビジコンに出てTUKTUKを沢山買ってもらいました笑

今でも群馬県桐生市で沢山のトゥクトゥクが走っています。


少しずつ色んな構想が形になっていき、自分的には少しずつ数字も実績も積んでいるつもりでしたが、なぜかとってもお金がなかったです。
こんなに頑張っているのに、(一見価値を作っているのに)全然お金ないのが面白いなあと思いました。

自分が作りたいもの、面白そうなもの、みんなが驚きそうなものを作って届けることはできても、対価を回収するのが苦手、というのが一個の挫折体験でした。
そしてその時に初めて自分は、ビジネスマンというより圧倒的にクリエイター寄りなんだなと気づきました。

インド向けYouTubeで16万人突破

もっと市場を見極めて、賢く、しっかり収益を出す目的で事業を作ろうと決意し、インドに向けたコンテンツをす発信する時代が始まります。

簡単に内容を説明すると"海外の反応を見た"の逆バージョンです。
「出川イングリッシュをアメリカ人が観てリアクションする」
「日本の女優さんをイギリス人が見て格付けランキングをつくる」
のようなコンテンツが日本でバズっていたので、反対に、インドに対して日本人学生らがリアクションをしていくという構図ででチャンネルを育てました。
共同メンバーと、市場選定からコンテンツまでがっつり精査し、開設2週間で収益化ライン突破、登録者も順調に伸ばして行きました。(長尺だと200万回再生超えコンテンツが数本、短尺だと700万回再生コンテンツもあります。)

2年目、登録者15万人の段階で国内のITスタートアップに売却。
今は無事ロックアップも終え、私のYouTube人生が一旦幕を閉じました。

でも今こそ振り返ると、かつてのYouTubeのコピー文
「好きなことして生きていく」
とはかけ離れたYouTuber生活だったなと思います。
コンテンツが飽和している今の時代こそポジション取りからコンテンツ内容まで、自分たちの好きなようにしていては伸びません。
とにかくアナリティクスと睨めっこして伸びたものをひたすら擦る、検索ボリュームの多いキーワードを抽出して企画を考えるの繰り返し。
気づけばルーティンワークになっており、サラリーマンよりもサラリーマンだなあと感じることが多かったです。

ある程度決まった枠の中(タイトル/サムネ/動画編集)のみでクリエイティビティを発揮しなくてはいけない窮屈さと、ある程度の正攻法がYouTube界にはできてしまっていたのも退屈さの要因でした。

ただ、立ち上げから最後まで走り切れた経験は本当に貴重でした。
こういう小さな成功体験を重ねながら、挑戦の見積もりの精度を上げていくことの大切さを知った気がします。


次のチャレンジはカワイイ&わかりやすい

原点に立ち返って、自分の本当にやりたいことを探す中で、
もっとわかりやすい商売をしてみたいなという感情が大きくなりました。

YouTube時代の私の売り物は、広告枠や、他の人の作った別サービスに人を誘導すること、そしてインドの若者がどんなものに興味があるかのレポート。もちろん素晴らしい価値を作っていた自信はありますが、次の挑戦ではもっとわかりやすくて可愛く、自分のわがままを叶えられる事をしたいなと思いました。

幼稚園の頃、多くの女の子達の夢だった"お花屋さんになりたい""ケーキ屋さんになりたい"に近いのかなとも思うのですが。。
自分が素敵だと思うものを作って、売ってみることにしました。

とはいえ過程は全然かわいくなく笑
インドまで足繁く足を運び、ずっといいなと思っていた田舎のガラス工場と直契約を結ぶところから始まりました。

風塵がすごい工場

そんなこんなで2023年はインドのガラスリングのブランドを立ち上げます。

か、かんわいいいい〜〜〜

これに関しては来月くらいにしっかりリリースを出すので、各位、ご愛顧何卒よろしくお願いいたします。。。例の如く全力で走りきります!

そして図々しいお願いですが、一旦下のインスタをフォローしてくださると嬉しいです!

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