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"We used to be more sensitive."

原美術館は大好きな美術館で、なるべく足を運ぶようにしている。場所それ自体と、そこを守っている人たちに対する信頼のようなものがあって、ハラ ミュージアム アークも含めて素晴らしいと思う。
作品と、それが展示される場所がわかちがたく縁を結んでいるところを見るとき、その空間にいることをとても幸せに思う。ただ、サイト・スペシフィックという言葉で表現されるものだけではなくて。

Lee Kitはわたしとほぼ同世代の作家で、香港に生まれ今は台湾で活躍している。2013年のヴェネチア・ヴィエンナーレで
彼の名前が広く一般にも知れることになったが、彼は空間も含めて作品に使う。ある一部のアーティストが、作品だけで空間に色を付けていくけれど、彼は逆にその空間を味方につけて、作品をつくりあげていく。

原美術館という、空間自体がものがたりを持っている場所での彼の個展。「僕らはもっと繊細だった」というタイトルがほんとうに「らしい」と思う。永遠に満たされることのない、「もっと」という言葉。もう取り返しのつかないことへの穏やかな、でもいつまでも残る気持ち。つまりいつも、ふんわりと欠落を追い求めている作家なのだ。そしてそれこそが、彼がこんなに人気がある所以だと思う。

あの端正な場所をすっかりと彼の作品として薄布に包むようなやり方は本当に素晴らしい。これは彼と彼の作品にしかできないやり方で、クリーンでありながらどこか曖昧に、でもしっかりとそこに溶け込んでいく。
プロジェクターの配置、光を和らげるやり方、回る扇風機の音、時間によってかわる光の色。すべて作家の手の跡を残していて、それが人の心を静かに打つ。
ただ、
長く生きていくためには、こんなことに長けてはいけないのではないか、と一方でわたしは思う。彼がもっと、突き詰めていく姿を見たいと思う。過剰であることは芸術の一つの本質で、そこでしか救われない何かがあるのだと、わたしはいつも思っている。作品は素晴らしい。でも、もっと真っ向から戦う姿が見たいと思う。勝手だけれど。

……いや、本当に勝手だよな、と思いながら、ふと振り向くと作品の中で女の子が笑っていて、それを見たときふと気付いた。そうか、わたしはもう疾うに自分がなくした何かに対して、苛立っていたのだ、と。


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