松原聖弥(巨人)、27試合連続安打でストップも、レジェンド達の一角に食い込む

読売ジャイアンツの外野手・松原聖弥(26歳)が、名だたるレジェンドたちの一角に食い込んだ。

松原は9月11日の中日戦(東京ドーム)で、「6番・センター」で先発出場すると、今季9号ホームランを含む3安打猛打賞を記録、そこから毎試合、安打を重ねていった。

9月17日のヤクルト戦(東京ドーム)では、無安打で迎えた9回裏に大下佑馬から10号ソロ本塁打を放ち、育成出身として甲斐拓也(ソフトバンク)が2019年、2020年にシーズン11本塁打を記録して以来、NPB史上2人目、セ・リーグでは初となるシーズン二桁本塁打に到達した。
9月26日の阪神戦(東京ドーム)では、阪神先発の右腕、ジョー・ガンケルから11号本塁打を放ち、前述の甲斐拓也の記録と並んだ。

その後も、松原の連続試合安打は続き、10月5日のヤクルト戦(神宮)では、ついに20試合連続安打の大台に到達。10月8日の広島戦(マツダスタジアム)では、広島先発の大瀬良大地の初球を叩き、センター越えの先頭打者アーチで今季12号本塁打を記録。前述の甲斐拓也を抜いて、育成ドラフト出身としてNPB史上シーズン最多本塁打記録を更新した。
同時に、23試合連続安打とし、巨人では2007年の小笠原道大、2016年の阿部慎之助に並び球団4位タイとなった。

それでも、松原の勢いは止まらず、10月10日の広島戦(マツダスタジアム)では3打席ノーヒットで迎えた4打席目にセンター前ヒットを放ち、ついに25試合連続安打。球団では3位の1968年の王貞治に並び、NPBでも過去26人しか達成していない記録に並んだ。


松原は10月12日の阪神戦(東京ドーム)でも3打席目にヒットを放ち、26試合連続安打、10月13日には初回、先頭打者でにライトオーバーの二塁打を放ち、NPB史上11位タイとなる27試合連続安打として、球団2位の2008年のアレックス・ラミレスに並んだ。同時に、巨人の育成出身選手としては初となるシーズン規定打席に到達した。

こうなると、球団記録となる1976年の張本勲の30試合連続安打、さらに、高橋慶彦(広島)が1979年につくったNPB記録である33試合連続安打の更新の期待も懸かってくる。
10月14日の阪神戦、松原は14試合連続で「1番・ライト」で先発出場したが、阪神先発の左腕、高橋遥人の前に3打席無安打に抑えられ、迎えた8回、阪神2番手の左腕、岩崎優と対戦したが、セカンドフライに倒れた。巨人は阪神の3投手の前に、中田翔によるわずか1安打を放っただけで、0-3で敗れた。
松原に5打席目は廻らず、4打席無安打。先発出場では9月9日のDeNA戦以来となる無安打に終わった。

松原の挑戦は「27試合連続安打」で止まった。NPB史上15人目、セ・リ―グでは8人目の快挙である。

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松原が毎試合、安打を重ねた一方で、巨人打線は、1993年以来となる28年ぶりの「9試合連続で1試合2得点以下」と絶不調に陥り、終盤に来て痛い8連敗となった。

松原は27試合連続安打の期間中、6番打者で2試合、2番打者で12試合、1番打者で13試合で先発出場しているが、特に1・2番で出場して放った31安打(うち3本塁打)、12四球と出塁したうち、得点できたのはわずか13得点、松原自身の3本塁打を除くと、40回の出塁で10得点しかできていない。
さらに、松原はそれまでシーズン12盗塁を記録していたが、27試合連続試合安打の期間中は盗塁もわずか3つと、松原の出塁を得点に生かせないケースが目立った。

松原聖弥の経歴

大阪生まれ・大阪育ちの松原は3兄弟の真ん中で兄も弟も野球に打ち込む環境の中、一念発起して、宮城の名門の仙台育英高校を一般受験し、合格、野球部に入部する。だが、強豪校の分厚い選手層を前に、173センチと小柄な内野手の松原は2年秋にベンチ入りを果たしたものの、レギュラ―はつかめず、さらに3年生の夏はチームは甲子園に進んだが、自身はベンチ入りを果たすことすらできなかった。甲子園ではアルプススタンドで応援していた。甲子園のグラウンドでは、1年後輩の上林誠知(ソフトバンク)、熊谷敬宥、馬場皐輔(ともに阪神)らが躍動していた。
引退後も、健脚を見込まれ同じく名門の陸上競技部に勧誘された。仙台育英の陸上競技部は19年連続で全国高校駅伝に出場するほどの強豪チームで、メンバー入りを目指したが、叶わなかった。

松原は当時、首都大学リーグ二部に所属する明星大学野球部のセレクションを受けて合格、入部した。するとアマチュア野球界の名将・浜井澒丈監督(現名誉監督)に才能をみいだされ、松原の野球人生が一変した。
松原は1年生の春の開幕戦でいきなり「4番・DH」で起用された。結果は4打席4三振と散々なデビューだったが、浜井監督の評価は揺るがなかった。
本格的に外野手に転向を目指し、基礎トレーニングを積んだ後、2年生の春以降、再びリーグ戦に出場すると5季連続でベストナインに選出され、NPBのスカウトの目に留まるようになる。
松原の4年時に明星大学野球部は首都大学リーグ一部復帰し、松原はその原動力となった。


松原は2016年のドラフト会議で、巨人から育成5位の指名を受けた。ドラフト指名漏れなら、一般企業への就職も考えていた松原は、明星大学出身初のプロ野球選手として、年俸240万円の育成契約でプロの世界に飛び込んだ。
1年目の2017年に早速、三軍では俊足巧打で頭角を現し、2年目の2018年には二軍で打率3割超を記録して、その夏、支配下登録を勝ち取った。
フレッシュオールスター出場、イースタン・リーグ史上最多安打(131安打)、リーグ2位の打率.316、24盗塁を記録するなど、着実に成長を遂げる。
2019年、待望の一軍昇格を逃し、二軍での成績も若干、落としたが、打率.287、5本塁打を記録した。
コロナ禍で始まった2020年のシーズン、7月25日についに一軍昇格を果たすと、その日のヤクルト戦(神宮)で代打起用され、クローザーの石山泰稚と対戦、二塁打を放ち、プロ初打席・初安打を記録した。
その後、先発出場も果たし、8月27日のヤクルト戦(神宮)では、ライトの守備で、投手の高梨裕稔が打った打球を素早く処理して一塁へ返球、ライトゴロでタイムリー安打を防ぐなど、非凡な能力を発揮した。9月3日にはDeNA戦(東京ドーム)では、先発のスペンサー・パットンからプロ初本塁打となる3ランを放つなど、印象の残る活躍で一軍に定着した。

松原は86試合で打率.263、3本塁打。そのうち、2番スタメンではチームトップの59試合で出場した。
オフには年俸も前年の600万円から3.6倍となる2200万円に跳ね上がった。育成契約の240万円に比べ、年俸は4年で9倍に膨れ上がった。
松原は強豪野球部の「補欠」から、ジャイアンツのレギュラー外野手へと昇り詰めたのである。

今年2021年、外野手の競争を勝ち抜き、27試合連続安打へ

成長著しい松原だが、今年2021年、外野手のポジション争いに晒されることになった。センターは丸佳浩、ライトではFAで加入の梶谷隆幸、レフトでは新外国人選手のエリック・テームズ、ゼラス・ウィーラーらとの競争が予想されていた。
しかしながら、松原は開幕スタメン「8番・レフト」を勝ち取り、4月上旬からは1番打者での起用が定着した。テームズの合流が遅れ、故障で即離脱、梶谷も度重なる故障で離脱、センターの丸佳浩も不振に喘いだ時期が多かった中、ここまでチームでは岡本和真に次ぎ129試合に出場、うち71試合で一番を打ち、ライトを中心に外野のすべてのポジションで先発出場するなど、ユーティリティぶりも発揮している。

松原は小柄ながら脚力とパワーを併せ持つ稀有な存在である。脚力を活かし守備範囲も広い。
来季以降、トリプルスリーも狙える存在としてさらなる飛躍が期待される。
松原の評価から「育成出身の」という枕詞が消える日もそう遠くないだろう。

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