【沖縄返還50周年】沖縄出身選手ベストナイン

沖縄は戦後、米国の統治下に置かれたが、1972年5月15日に日本への復帰を果たした。
そして、2022年の今日5月15日、50年の節目を迎えた。

沖縄出身のプロ野球選手第1号は1951年に東急フライヤーズに入団した投手・金城政夫(1925年生まれ)だが、通算5試合に登板、0勝1敗であった。

その後、高校野球では1963年の夏、第45回記念甲子園大会で代表校が一県一校となったことで、沖縄勢から首里高校が初めて甲子園に出場する。
1999年、2008年のセンバツで沖縄尚学高校が優勝、2010年には我喜屋優監督率いる興南高校が春夏連覇を成し遂げたことで、沖縄県勢は全国でも有数の強豪の仲間入りを果たした。

近年、沖縄出身のプロ野球選手は増え続け、現在、育成選手を含めると20名を超えているが、人口比率でみると、47都道府県ではトップに立っているという。

先日、5月11日、福岡ソフトバンクホークスの投手・東浜巨が、本拠地・福岡PayPayドームで行われた西武ライオンズ戦で、NPB史上95度目となる無安打無得点試合、ノーヒットノーランの偉業を達成した。
しかも、沖縄県出身の投手としては初の快挙となった。
東浜は5月18日に沖縄セルラースタジアム那覇で行われる対西武戦で先発予定となっており、実現すれば自身3年ぶりの凱旋登板となる。

今日5月15日も沖縄県出身の選手たちがグラウンドで躍動した。

・京セラドームで行われたオリックス対ロッテ戦で、オリックスは宮城大弥が先発登板し、7回途中、5失点ながら、今季2勝目を挙げた。
また、同じく大城滉二が「3番・センター」に入り、2つの四球と犠打で勝利に貢献した。

・横浜スタジアムで行われたDeNA対阪神戦では、DeNAの捕手・嶺井博希が代打で出場、ヒットを放つと、マスクを被った。

・東京ドームで行われた読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦では、巨人の大城卓三が「7番・捕手」で先発出場した。

では、NPBに在籍した沖縄県出身のOB・現役選手でベストナインを選出するとどうなるか。打順ごとに見ていこう
(現役選手の通算成績は2022年5月14日終了時点)

1番    センター    神里和毅    1994年1月17日    島尻郡南風原町   
糸満高 - 中央大 - 日本生命 - DeNA(2017年ドラフト2位)
通算390試合    打率.263    18本塁打    90打点    42盗塁

ルーキーイヤーの2018年、4月12日の読売ジャイアンツ戦でプロ初本塁打を初回先頭打者本塁打で記録(NPB史上43人目、新人選手としては史上11人目)する一方、新人から2年連続で15盗塁をマーク。
2021年4月6日の対中日戦(バンテリンドーム)ではチーム通算7999本目となる本塁打を決勝となる満塁弾で決めている(その後、8000号本塁打を放ったのは大学後輩の牧秀悟)。

2番    ショート    真喜志康永      1960年5月3日    沖縄市 
沖縄高 - 東芝 - 近鉄(1986年ドラフト3位)
通算370試合    打率.207  14本塁打    53打点   

1987年の開幕戦、スタメン起用されると、ロッテ開幕投手の村田兆治からプロ初ホームランを放った。
1989年、「10・19」の第二試合でも7回に一時、中押しとなるホームランを放っている。
その後もバイプレーヤーとして活躍するが、1995年に現役引退。
引退後、一度もユニフォームを脱ぐことなく、近鉄、オリックス、日本ハム、楽天でコーチとして渡り歩き、そのキャリアは20年を超える。
現在は楽天の一軍ヘッドコーチ。

3番    キャッチャー    大城卓三         1993年2月11日    那覇市
東海大相模高 - 東海大 - NTT西日本 -巨人(2017年ドラフト3位)
通算441試合    打率.256     32本塁打    136打点

2018年、新人ながら開幕一軍を掴み、開幕戦に代打出場すると、プロ初ヒットを放った。
チーム事情から打撃を活かすために一塁の守備につくこともあったが、2020年には正捕手となり、規定打席不足ながらセ・リーグのベストナイン捕手部門で選出された。
プロ4年目の2021年には捕手として初の開幕スタメンを掴み、規定打席不足ながら二桁本塁打を記録した。

4番    DH    石嶺和彦 1961年1月10日    那覇市   
豊見城高 - 阪急(1978年ドラフト2位)・オリックス -    阪神
1566試合    打率.273 269本塁打    1419打点

強打の捕手として入団したが、膝のケガで外野手へ転向。
1985年には代打で6本塁打を放ち、パ・リーグ記録をつくった。
その後、指名打者として起用されてからレギュラーに定着。
1986年4月29日の対ロッテ戦から、同年7月26日の対ロッテ戦まで当時のNPB新記録となる56試合連続出塁を達成すると、打率.300、33本塁打、96打点の活躍で、ベストナインの指名打者部門で選出された。
1987年にはパ・リーグ史上5人目のタイ記録となる6試合連続本塁打も達成し、2年連続でベストナインに選出。

1990年には指名打者を門田博光に譲り、外野手に復帰、自身初の打撃タイトルとなる打点王を獲得し、今度は外野手としてベストナインに選出された。
1994年にはFAで阪神に移籍し、チーム史上初の1億円プレイヤーに。
NPB歴代4位となる894試合で連続試合出場記録を残した。
現時点で沖縄が生んだ最高のバットマンである。

5番    ファースト    山川穂高    1991年11月23日    那覇市   
中部商 - 富士大 -西武(2013年ドラフト2位)
664試合    打率.258  191本塁打    511打点

2018年・2019年と2年連続で40本塁打、120打点をクリアし、パ・リーグ本塁打王。
2019年5月に通算321試合目での100号到達は、1987年の秋山幸二(西武)の351試合を上回る日本人史上最速記録。外国人を含めてもNPB史上6位タイのスピード記録であった。

日本人最速での通算200本塁打の記録を持つのは秋山幸二と田淵幸一の714試合で、順調に行けば、今季早々にも更新する可能性が高い。

6番  サード    砂川リチャード    1999年6月18日    中頭郡北中城村
沖縄尚学高 -ソフトバンク(2017年育成選手ドラフト3位)
通算42試合 打率.187  23安打 7本塁打 22打点 

高校時代は甲子園出場こそ叶わなかったものの、通算25本塁打を記録。
2020年に支配下登録されると、ファームで本塁打王を獲得。
2021年9月に初めて一軍に昇格すると、スタメン2試合目でプロ初本塁打となる、逆転のグランドスラム(NPB史上88人目)を含む2本塁打、6打点を記録した。
2021年は一軍34試合で7本塁打をマーク、2年連続でファーム本塁打王も獲得した。

7番    ライト    宮里太    1965年3月7日    中頭郡美里村(現・沖縄市)
都城高 - 専修大 - 熊谷組 - 横浜大洋(1988年ドラフト2位)・横浜
761試合    打率.268     369安打    9本塁打  127打点    62盗塁

プロ入り前は捕手だったが、プロ入り後、外野手に転向、プロ3年目に初めて規定打席に達し、打率.291、18盗塁をマークした。
1993年には球団初の選手会長に就任、引退後もスコアラーなどでチームを支えた。
現在は地元・沖縄のクラブチーム「ビッグ開発ベースボールクラブ」でコーチとして指導している。

8番    レフト    渡真利克則    1962年8月23日    宮古島市
興南高 - 阪神(1980年ドラフト2位)-ダイエー
268試合    打率.255     126安打    14本塁打    47打点

レギュラーには定着できなかったが、貴重なバイプレーヤーとして活躍した。
1985年、リーグ優勝決定試合となったヤクルト戦では一塁手としてウィニングボールを捕球した。
1993年からセ・リーグ審判になり、2006年まで務めた。
2019年から阪神園芸に就職し、阪神二軍本拠地・鳴尾浜のグラウンド整備の主任を務める。

9番    セカンド    大城滉二    1993年6月14日 島尻郡豊見城村(現・豊見城市)
興南高 - 立教大 - オリックス(2015年ドラフト3位)
通算555試合 打率.234  354安打 11本塁打 104打点 43盗塁

興南高校2年の時に、遊撃手レギュラーを掴み、全国大会史上6校目となる甲子園春夏連覇達成に貢献した。
立教大学では東京六大学野球リーグで通算112安打を放ち、同校野球部歴代トップの記録をつくった。
プロ入り後は俊足を活かして外野もこなすようになり、ルーキーイヤーの2016年6月28日、地元・沖縄県では54年ぶりとなるパ・リーグ公式戦となった対楽天戦で「1番・センター」としてスタメンで出場、先制打を放って、試合終了後に地元ファンの前でヒーローインタビューを受けた。
2018年から2年連続で二桁盗塁をクリアした。
2021年は8月のエキシビションマッチの試合中に右膝前十字靱帯損傷を負い、シーズン後半を棒に振ったが、今季5月10日の試合で一軍昇格即スタメンで今季1号本塁打を放った。

外野手  比屋根渉     1987年6月20日    島尻郡東風平町(現在の八重瀬町)
沖縄尚学高 - 城西大 - 日本製紙石巻 - ヤクルト(2011年ドラフト3位)
361試合    打率.236  162安打    4本塁打 33打点    50盗塁   

2012年の入団から3年連続で二桁盗塁をマーク。
2015年には主に1番打者として起用され、自己最多となる84試合に出場、リーグ優勝にも貢献した。
ヤクルト退団後、2019年は奈良県のクラブチームである大和高田クラブ(奈良県大和高田市)に所属、その後、2020年、沖縄初のプロ野球チーム・琉球ブルーオーシャンズに第1号入団選手として入団した(2021年9月に退団)。

先発投手    安仁屋宗八    1944年8月17日    那覇市
沖縄高 - 琉球煙草 - 広島 - 阪神 - 広島
655試合    119勝124敗22セーブ    防御率3.08     1432奪三振

沖縄高校(現・沖縄尚学高校)のエースとして夏の甲子園本大会出場に導き、1回戦で広島県代表の広陵高校と対戦。敗れはしたが、大フィーバーを巻き起こした。
1963年、琉球煙草入りし、都市対抗野球では大分鉄道管理局の補強選手として後楽園球場で登板したことで複数球団のスカウトの目に留まり、1964年、沖縄出身のプロ野球選手第2号として広島カープに入団した。
1964年6月14日、広島市民球場での読売ジャイアンツ戦のダブルヘッダーの2戦目に先発、3番・王貞治を1安打、4番・長嶋茂雄を4打席無安打に抑え、9回1失点の好投で、プロ初勝利を挙げると共に、沖縄出身者初となる勝利投手となった。
1966年7月31日の読売ジャイアンツ戦(広島市民球場)では8回までパーフェクトに抑えたが、9回に先頭打者に四球、2死後に黒江透修に初安打を許し、ノーヒットノーランを逃した。
1968年には23勝、リーグ2位となる防御率2.07、その年から3年連続で二桁勝利を挙げた。
1975年に阪神に移籍したため、広島の初優勝には貢献できなかったが、阪神に移籍したその年、5年ぶりの二桁勝利と自身初の最優秀防御率投手に輝き、そこから2年連続で二桁勝利をマーク。
1980年に広島に復帰し、その年、ようやく自身初のリーグ優勝を味わい、日本シリーズでも登板を果たした。
1981年オフ現役引退。通算119勝のうち、子供の頃から大ファンだった巨人から通算34勝を挙げている。
引退後は広島の二軍・一軍の投手コーチとして、3度のリーグ優勝(1984年, 1986年, 1991年)と1984年の日本一に貢献した後、二軍監督としても後進を育成、指導した。
77歳になった現在も広島を中心に解説者として活躍しているが、今年3月、マツダスタジアムで行われたOB対抗戦であるCARP LEGEND GAMEでも監督を務め、自らマウンドにも上がって投球を披露し、元気な姿を見せている。

救援投手    嘉弥真新也    1989年11月23日    石垣島市
八重山農林高 - ビッグ開発ベースボールクラブ - JX-ENEOS - ソフトバンク(2011年ドラフト5位)
通算398試合    13勝7敗1セーブ    108ホールド    防御率3.11

学生・社会人時代は左のスリークオーターで先発を務めていたが、プロ入り後は先発1試合以外はオール救援で登板。2016年にサイドスローに転向。
2018年は6月24日のオリックス戦から9月24日の日本ハム戦にかけて31試合連続無失点(同5月24日の西武戦から42試合連続で自責点ゼロ)を記録するなど、67試合登板で25ホールドをマーク。
2019年第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出され、対左打者への起用に応え、世界一に貢献すると、2020年にはチーム左腕史上初の「4年連続50試合登板&防御率2点台以下」をマークし、4年連続の日本一に貢献した。
2021年10月5日、NPB史上40人目となる通算100ホールドに到達。
2017年から5年連続で50試合以上登板を継続中である。


救援投手    又吉克樹     1990年11月4日    浦添市
西原高 - 環太平洋大 - 四国・香川 - 中日(2013年ドラフト2位) -ソフトバンク
通算417試合    42勝26敗11セーブ 153ホールド    防御率2.77

独立リーグを経て、中日に入団すると、新人から3年連続60試合以上、同じく4年連続50試合以上に登板する鉄腕ぶりを発揮。
2017年には一時、先発に転向、自身初の完投・完封勝利を挙げ、独立リーグ出身の投手初のオールスターゲームに出場した。
2021年は5年ぶりにシーズン60試合登板を果たし、自己最多の33ホールドを挙げると、
オフには独立リーグ出身者初のFA権行使によりソフトバンクへ移籍。
新天地で迎えた今季も勝利の方程式に加わり、NPB史上9人目の通算150ホールドに到達、開幕から17試合連続で無失点に抑える活躍を見せている。

救援投手 平良海馬 1999年11月15日 石垣市
八重山商工 - 西武(2017年ドラフト4位)
通算162試合 7勝6敗 23セーブ 79ホールド 186奪三振(奪三振率10.69) 防御率1.49

高校時代は100キロの巨体から繰り出す150キロ超の速球で話題となった。
プロ2年目の2019年にプロ初登板を果たし、プロ初セーブ・初勝利を記録。
2020年は、開幕から中継ぎで無安打・無失点の投球を継続。10試合目の登板となる7月17日の対楽天戦(楽天生命パーク宮城)にて、開幕から被安打ゼロのまま、27個目のアウトを奪い、9イニング連続無安打無失点を記録した。
この年は球速も160キロを計測するなど、リーグ最多の54試合に登板、1勝0敗1セーブ33ホールドで、救援投手リーグ2位となる奪三振率10.53を記録して、パ・リーグ新人王を受賞、沖縄県出身選手としては初の快挙であった。

2021年は開幕から無失点記録を続け、6月13日の対中日戦で「開幕から32試合連続無失点」のNPB記録を更新すると、7月1日の対ソフトバンク戦では、NPB最長となる「39試合連続無失点」、NPB史上2位となる「開幕からの38イニング連続無失点」をマークした。
この年、東京五輪2020のメンバーに選出され、沖縄出身として2人目となる金メダルを手にした。
さらに、NPB史上2人目、パ・リーグでは史上初となる「シーズン20ホールド20セーブ」を達成するなど、62試合登板で防御率0.90と驚異的な成績を収めた。
2022年はセットアッパーに戻り、開幕から20試合連続自責点ゼロを継続中。
2020年10月28日の楽天戦で浅村栄斗にソロホームランを浴びて以来、被本塁打ゼロも継続中である。


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