【訃報】フィル・ニークロ氏を悼む―何故、日本にナックルボーラーは登場しにくいのか?


 米国MLBで活躍した、フィル・ニークロ氏が今年12月26日に亡くなった。81歳だった。

「史上最高のナックルボーラー」フィル・ニークロ


ニークロ氏は1939年生まれで、1964年、25歳の時にアトランタ・ブレーブスでメジャーデビュー、本格的に先発に転向した1967年に防御率1.87という成績で初めてのタイトルを獲得した。その後は3度のシーズン20勝到達を含め、二けた勝利をなんと19度もマークした。通算勝利数は318勝、奪三振は3342。晩年はニューヨーク・ヤンキース、クリーブランド・インディアンス、トロント・ブルージェイズと渡り歩き、最後は古巣ブレーブスで現役引退したのは実に48歳のときだった。彼の背番号「35」はアトランタ・ブレーブスの永久欠番となり、1997年に野球殿堂入りも果たした。
 ニークロ氏がなぜ、こんなに長く投手として活躍できたのかといえば、それはひとえに、「魔球」のおかげであった。それは「ナックルボール」である。ニークロ氏のニックネームの「ナックシー(Knucksie)」は、「ナックルボール」に由来している。

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ナックルボールとは?


ナックルボールとは、ボールに回転を与えないようにして投げるボールであり、投げ方はいろいろあるが、ボールに爪を立てて、腕を押し出すように投げるのが主流である。投じられたボールは、ほどんど回転せずに、ホームベースに到達するが、風や湿度の影響を受けながら不規則な揺れ方をして落ちる。ニークロは投球のほとんどがナックルボールという、いわば「フルタイム・ナックルボーラー」としての代表格である。
 ナックルボールは、バッターにとってはとても打ちづらく、ジャストミートするのは難しい。一方、投げた本人にも行き先が分からない、バッターにとって打ちづらいということは、キャッチャーにとっても取りづらいということになり、ボールを連発したり、暴投や捕逸につながりやすかったりするという諸刃の剣でもある。従って、ナックルボーラーの攻略法は、球数を投げさせることで四球を誘う、「待球作戦」が有効であるとされた。また、走者を背負うと、その投法が故に、盗塁を許しやすいなどのデメリットもあった。

フルタイム・ナックルボーラー

 それでも、フルタイム・ナックルボーラーの最大の特徴は、通常のピッチャーよりも肩やひじに負担がかからないため、長いイニングを投げることができる「イニングイーター」、かつ選手寿命が長い点である。

 ニークロはこのナックルボールを操ることで、25歳から48歳まで、MLBで実に24年もの間、先発投手として投げ続けた上に、38歳から3年連続でシーズン先発40試合以上、300イニング以上という、信じられない記録をつくった。通算864試合登板のうち、先発登板は716試合を数え、40歳で2度目の最多勝を手にし、通算318勝のうち40歳以降に挙げた勝利が実に100勝を超える。

米国におけるナックルボーラーの系譜

ジョー・ニークロ

 ニークロ氏の5歳下の弟のジョー・ニークロも、兄フィルから伝授されたナックルボールを武器に、メジャーリーグで活躍した。MLBの同じ試合で兄弟で敵に分かれて先発投手として投げ合ったことも9度ある。1979年のシーズンには、兄弟でそれぞれ21勝を挙げ、示し合わせたようにリーグ最多勝を分け合ったこともある。ジョーも44歳まで現役を続けた。
 その後もメジャーリーグには、フィルの後を追うように、数々のナックルボーラーが登場した。

チャーリー・ハフ

 チャーリー・ハフは、フィル・ニークロが活躍し始めた1966年にドジャースに内野手として入団したが、ナックルボールを習得して、1970年に投手でメジャーデビューした。本格的に先発に転向したのは34歳で、投手タイトルには無縁だったが、9年連続でシーズン二けた勝利をマークし、1993年には45歳で、創設されたばかりのフロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)に移籍、開幕投手を務め、見事、勝利投手となったが、これはいまだにMLB最年長記録である。結局、通算216勝を挙げて、46歳で引退した。

トム・キャンディオッティ


 トム・キャンディオッティは、1983年に投手としてメジャーデビューしたが、トミー・ジョン手術を経験した後、ナックルボールに活路を見出した。クリーブランド・インディアンスで1986年にはシーズン16勝を挙げ、しかも、翌1987年まで、当時38歳のフィル・ニークロと、ナックルボーラー二人で先発ローテーションを形成した。キャンディオッティはドジャースに移籍後に、野茂英雄とも同僚となり、42歳まで現役を続けて、通算151勝を挙げた。

ティム・ウェイクフィールド


 ティム・ウェイクフィールドは、当初、強打の一塁手としてプロ入りしたが、なかなか芽が出ずにマイナーでくすぶっていた。ところが、練習中に遊びで投げてみたナックルボールが通用すると判断され、1990年に投手としてメジャーデビューした。その後、ボストン・レッドソックスでエースとして活躍し、松坂大輔らと共に先発ローテーションの一角を築くと、2011年にナックルボーラーとして史上7人目となる通算200勝を挙げ、そのオフに44歳で引退した。

R.A.ディッキー

 R.A.ディッキーは35歳までに、MLBでわずか22勝という平凡な投手だった。しかし、ナックルボールを習得してから別人のようになり、ニューヨーク・メッツに所属した2012年、37歳のシーズンに20勝を挙げ、奪三振はリーグ最多、そして、ナックルボーラーとしてはMLB史上初となるサイ・ヤング賞を受賞した。その直後、ディッキーは38歳にもかかわらず、トロント・ブルージェイズと3年3000万ドルという破格の契約を結んだ。その後も6年連続シーズン二けた勝利をマークし、通算120勝という成績を残して43歳で引退した。

日本球界におけるナックルボーラー


 斯様に、米国MLBではナックルボーラーの系譜は途切れなかったが、60試合の短縮シーズンとなった2020年、フルタイム・ナックルボーラーは一人も登板しなかった。翻って日本はというと、NPBでナックルボーラーというのは歴史的にみても稀有な存在である。代表例は、ロッテ、中日、巨人で活躍した前田幸長(1989-2007年)がいる。余談だが、巨人在籍時、前田のマウンド登場曲は、大滝詠一の「恋のナックルボール」であった。しかし、前田は持ち球にナックルボールがあるとはいえ、それは一つの球種に過ぎなかった。

三浦清弘


更に遡ると、ナックルボールの使い手には南海ホークスの三浦清弘がいた。三浦は1957年に南海に投手として入団するが、ブレイクしたのは1962年で、シーズン17勝を挙げて、その後、同僚の杉浦忠、皆川睦雄を押しのけて開幕投手も務めた。1965年にはリーグ最優秀防御率のタイトルを獲得し、南海の5度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献すると、実働19年で通算132勝を挙げた。三浦は、来日したメジャーリーガーも驚愕するようなナックルを投げることができたというが、他の球種も一級品で、フルタイム・ナックルボーラーではなかった。当時の正捕手の野村克也が三浦のナックルを受けるのを嫌がったこともあり、試合ではたまに投げる程度だったという。

ロブ・マットソン

 NPBに来た外国人助っ人選手でナックルボーラーといえば、1998年から近鉄バファローズに在籍したロブ・マットソンがいる。マットソンは、マイナーリーグ時代に、前述のチャーリー・ハフから直々にナックルボールを伝授され、来日の前年に、「打高投低」と言われるメキシコリーグでノーヒットノーランを達成したナックルボーラーで、1年目の1998年は中継ぎからスタートし、7月から先発に定着すると、防御率3.55、チームトップの9勝を挙げた。特に日本ハム戦で5試合に先発して4勝を挙げた。しかし、翌年は5勝と奮わずに、わずか2年で日本球界から姿を消した。

大家友和・吉田えり

 他には、MLB通算51勝を挙げた大家友和が、2011年オフに横浜ベイスターズを退団後、MLBへの再挑戦を目指して、独立リーグに所属しながらナックルボールを習得し、2016年にはボルティモア・オリオールズとマイナー契約にこぎつけた。女子プロ野球選手の吉田えりは学生時代にナックルボールを習得し、かつてフルタイム・ナックルボーラーとして、国内の独立リーグで登板した(現在も女子硬式野球チームで現役を続けているが、ナックルは封印しているという)。NPBではその後も、米国からナックルボールの使い手が来日したが、一軍では目立った活躍はできていない。

日本でナックルボーラーが誕生しない、あるいは活躍できない理由


 日本でナックルボーラーが誕生しない、あるいは活躍できない理由として、日本で使用されているボールの縫い目が低く、空気抵抗が小さいせいでナックルボールが投げにくいとか、そもそも日本にはナックルボーラーがいないので、ナックルボールの投げ方を教えてくれる人がいない、伝授されない、故に育たない、という「にわとりと卵」の問題ともいわれる。かつてのナックルボーラーたちの意見を総合すると、「ナックルボールの習得にはとてつもない忍耐が要る」のだという。「魔球」の、「魔球」たる所以であろう。
 フィル・ニークロ氏は、「人間国宝」ともいうべき存在だった。弟のジョーは兄のフィルよりもはるかに早く、60歳で夭折した。フィルは晩年までナックルボーラー志願者に投げ方を伝授していたという。「絶滅危惧種」となりそうなナックルボーラーだが今後はテクノロジーの力を借りて、ナックルボールの習得を目指すプレイヤーが現れるのかもしれない。

R.I.P. Knucksie.

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