見出し画像

天智帝をめぐる七人  杉本苑子著

蘇我氏打倒のクーデターが起こる直前から、天智帝崩御の直後にいたるまで、中大兄皇子(天智帝)とかかわりのあった七人の、それぞれの立場、視点から天智帝を、とらえた古代歴史小説。
 風鐸ー軽皇子の立場から、蘇我鞍作こと入鹿は、新羅、高句麗、百済の三国をめぐる外交関係が、緊迫し百済に大乱が起こる中、国防の重責を担って、甘樫岡の丘陵を要塞化しょうとしていた、それが中大兄皇子には大王家をながいしろにする行為と映り、中臣鎌足を黒幕として権謀術数を凝らして、鞍作を刺殺して蘇我宗家を滅ぼしてしまう。入鹿の先見性ある人柄に傾倒していた軽皇子、クーデターの後、中大兄皇子によって大王位に、孝徳帝となった。中大兄皇子は即位せずに、謀殺という手段で鞍作を死なせ、蘇我氏を滅ぼした、中大兄皇子に、親蘇我派の豪族や廷臣たちは、増悪の目を射向けていた、怒りと反発を封じ、人心を収攬するために、軽皇子を担ぎ出すのが、最善という中臣鎌足の言葉を入れ、叔父を口説く、叔父孝徳帝の后となっている実妹、間人皇女との道ならぬ関係も。そのことに目をつぶって帝位に即いた、軽大王は、鞍作の開明的な政治路線を踏襲し、難波に遷都をする。中大兄皇子は軽大王の存在を無視、独断専行があらわとなっていく。先大王皇極、の勅令による再遷都で、二人は飛鳥へ手をたずさえて戻っていき、軽大王は、難波に残され四年後、六五四年この地で死去した。
 琅玕ー有間皇子の立場から、軽皇子の遺児、怜悧な人望の厚い皇子、中大兄皇子の警戒心を解くため、狂人をよそっていた、宝大王は、重祚し斉明帝となる、でも鞍作入鹿の従兄弟、蘇我赤兄の挑発にのせられ、謀反を企てたとして、中大兄皇子に謀殺されてしまう、黒幕は中大兄皇子である。斉明のいる牟婁の御所に、有間皇子は送られ流石に、会うのを嫌がった斉明、尋問をする中大兄に、有間皇子はいう、真相は天と赤足に聞け、いかに攻め問おうとも私は知らぬ、天とはなんだ中大兄汝のことだ、中大兄皇子の面上が、変わる。大海人皇子に有間皇子の処刑を命じる。図られた有間皇子はさぞかし悔しかったであろう。
 孔雀ー額田王の立場から、百済からの要請に応じて、斉明帝の命で再度韓土へ出兵を命じた。大海人皇子はこの出兵を危ぶんだ、しかし老女帝は、自ら筑紫へ赴くために旅たつ、大海人皇子には額田王のほかに、二人の妻がいる。太田皇女と鵜野皇女、二人は中大兄の息女で母を同じくする姉妹、大海人にしてみれば、兄の娘を押し付けられるのは、気が進まなかった、政略目的の婚姻、大海人の動静の監視役、兄弟は信頼できる片腕であるが、またいつ何時敵に回るかもしれぬ、危険な存在。大海人は留守官を命ぜられて飛鳥に残され、女帝に気に入られている額田王は同行を命じられた。
 華鬘ー常陸郎女の立場から、この女性は赤足の娘、中大兄皇子の妃、先帝の西征後二年、白村江で敗退したため、唐、新羅軍の侵攻に怯える。常陸郎女は父赤足に、有間皇子になぜ謀叛を勧めたのかを、真意を聞く、赤足は言う、蘇我宗家が滅ぼされ、右大臣蘇我倉山田石川麻呂が叛意ありと、腹違いの日向に讒言され、あえて弁明せずに自裁する。その日向は太宰府にて没した、蘇我に残るはこの赤足のみ、有間に叛をすすめ挑発に乗せよ、中大兄皇子に命ぜられた、家門を存続さるため従うしかなかった、中大兄皇子は恐るべき策士、恐ろし人物には魅力ある。
 胡女ー鏡女王の立場から、彼女は額田王の姉、姉妹は王族に属し父は鏡公、妹は母に似てい、鏡女王は父に似ているが、上背豊かな笑うと下がる目尻、小さなおちょぼ口が、愛らしく温かみを放射して、魅力があるが、額田王の美しさは群を抜いていた、孝徳帝が難波の津に都を定めたころ、左大臣の阿倍倉橋麻呂が、四天王寺に仏像四躯を宝塔に安置して、盛大な供養会をおこなった日、姉妹は大海人皇子に遭遇した、色白で華奢な身体つきなのに、若鷹を思わせる鋭さがある、中大兄に比べ、同父同母の兄弟とは信じがたいほど異なってた。武技が得意だが性格は無口ゆえに、沈剛なお人柄と評価されていた。参内の時に見かけた、きりきりと弓弦を引き絞って、的に神経を集中させている横顔、矢が当たっても外れても、喜怒を表すことをしない、重厚な態度が好もしく、憧れを大切に恋心を温めてきたが、今日で終わった。大海人皇子は妹だけを見つめて、傍らにいる姉には一瞥さえしない、額田王は大海人皇子の后となり。鏡女王は中臣鎌足に熱心に言い寄られ、求婚を受け入れた。鎌足にはすでに側室が幾人かいて、世継ぎの不比等も生まれていたが、鏡女王に敬意を払い、家政をまかせ実子こそ持たなくても、鎌足の正室中臣家の女主人、間人皇女が死去中大兄、大海人の妹であり、孝徳帝の后であったが、幸徳帝とは形だけの夫婦、間人の愛人は血を分けた実兄の中大兄だ、この事は飛鳥に住む者なら、誰でも承知している公然の秘密。孝徳帝が悶死した後、皇太子位にいながら、即位を見送り母の皇極先帝を担ぎ出したのは、同父同母の兄妹でいながら淫するなど、神意にもとる、中大兄皇子が即位すれば神の怒りによって、必ず国に禍事が起ころうとの世論に屈したから。老女帝斉明は、筑紫の行宮で疫病に感染して。その臨終の安らぎを最後まで防げた妄念は、愛してやまない嫡男中大兄の行状の乱れだ、間人との関係を断ち、今度こそ帝位に登れ。老女帝は訓し、巫を召して占間いをさせた、[弟の妻と婚いて、日嗣の御子の身の穢れを祓い清めよ]との託宣を得る。中大兄の弟は大海人皇子、その妻といえば額田王のほかにいない、臨終の息の下から発せられた、勅諚を拒むことはできない。この時大海人は飛鳥にいた。大海人には一言の相談も無く事は運ばれ、二人の婚儀は強行された。筑紫に随行した鎌足に、書状で知らされた時、鏡女王はあまりのことに絶句した。大海人皇子と額田の仲はむつまじく、十市皇女という子もなしている。兄弟の双方ともに、信任の厚い鎌足の懸命な調停によって、からくも激発をまぬかれた。額田王の美貌華麗なる歌才、目に見えぬ力が大海人と妹の仲を引き裂こうとしている。妹は中大兄皇子と結ばれるのか、大海人皇子の元に二度と戻ることができないのか、なんと非情なこと
 薬玉ー中臣鎌足の立場から、中大兄皇子の黒幕、酷薄非情に徹しきれる中大兄皇子の本質を熟知し、苦楽を共にする。半島情勢の外患、内患である兄と弟の対立のはざまで緩衛役を果たす。中大兄皇子は践祚し天智帝となり、都を近江の大津に遷都する。神問いの占方によって、中大兄皇子の後宮に、汚身を浄身に立ち返らせる、霊能者と畏怖し、その存在を特別視される額田王が、皇太子にめされた時、臥所を共にする代りに、ご即位のあかつきには、大海人皇子を立てて、皇太弟とし、大海人皇子と私の娘十市皇女を、大友皇子の后となさること。すかさず中大兄皇子に、要求したのを知って、いつも沈着冷静な鎌足が、この時ばかりは色をなして、応じられたのですか、と天智帝に詰め寄った。やむをえまいようやく隆る万乗の尊位、額田の申し条を吞み、神意に悖る事なき身に立ち返って、践祚するほかあるまい。大友は私の愛息だ。皇太子位に据えたいが、まだまだ若い、一人前の大人になった時点で、どうとでも手を打てばよい。策を構え実行に移す、いくらでも酷薄非情に徹し切れる中大兄の本質を、鎌足は熟知している。そのたまらない冷たさに魅了され、苦楽を共にしてきた仲間、大海人が額田をそそのかして言わせた交換条件か、額田自身の発意か、判断しかねた。百済援軍要請の、結果は白村江の敗北、斉明帝の急死と惨憺たるものだ、今回の近江遷都にも大海人は批判をくすぶらせている気配。対立の溝が深まる兄弟仲、いつの日か鳴動し噴火する火山、だからこそ弟の懐柔を図り、娘の太田鵜野の姉妹を大海人皇子のもとに嫁がせ、鎌足もまた帝と謀り娘を二人、大海人の閨房に送り込んでいた。愛しぬいた間人の崩後、帝の後宮に多数の后たちが侍り、皇子皇女が数多生まれてはいるが、今寵が額田王一人に傾いている。それほどの妻を神示によって奪われた大海人の、無念は胸底に燃えていると思われる。遷都の翌年の端午の節会にちなんで、官をあげての薬狩りを行った、百済から亡命した将軍たちが、薬品の備蓄が足りない、いざという時傷病兵の手当に欠かせないのが薬、と建言したのだ。そして蒲生野へ、百済から亡命した学者の沙宅紹明は、学問の弟子の大友皇子達に、薬玉の作り方を伝授した。病魔退散のお守りです、霊力を信じてください。の口上付きで鎌足は、紹明から薬玉を貰った。心身から邪気邪念が、消え失せていきそうな、香気を放っている。この時あの歌が交わされた、額田王ー茜さす紫野行き標野行き野守は、見ずや君が袖振る。大海人皇子ー紫の匂へる妹をにくくあらば、人妻ゆえに我恋ひめやも。人々の聞く耳もかまわづ歌を交わす。一向に皇太弟の地位をはっきりとさせぬ、大海人の天智帝への不信感だ。この所体調の衰えを自覚している、鎌足は五十五歳今まだ、死ねぬ。
 白馬ー鵜野皇女の立場から、中大兄皇子の娘、大海人皇子の妻、鎌足が死ぬ、天智帝に自重あそばしませ、と言い残した鎌足の言葉に、うなずきはしたが、その後の新政策が大友皇子中心に、動きはじめる。鎌足を見送った後、帝は自身の健康にも衰えを感じはじめた。功臣との永別による気力の落ち込みもあった。大友皇子を太政大臣に任命、摂政の立場だ、妃の十市皇女との間に葛野王子を儲けている。大海人はもはや無用の者、夏の初め辺りから床に就くことが多くなった天智帝、夏を凌ぎ秋口にかかるともはや快復がおぼつかない状況になった。冬大海人皇子邸に急使が立った。[即刻、参内せよ]密かに大海人に厚意を抱いている大伴安麻呂は、大海人の乗馬の脇へ駒を並べ、ご用心あそばしませ、不穏な企みが伏せられている、気配でございますと告げた。兄の病室へ、わしの命も長くあるまい万一あかつき、後図は汝に委せよう。天智帝はさりげない語調の裏に、猜疑と敵意を潜ませていった、自分は持病の胸痛に悩むこのごろ、大任はとてもお受けできませぬ、大友皇子を摂政とし、私のは兄君の病気平を祈るため、出家仕りまする所存。直ぐに髻を切り、下賜された袈裟を身につけて、兄の病室にもどった。そして吉野へ、鎌足が死去から二年、右大臣蘇我赤足らは兎道まで見送り、[むざむざ猛虎を野に放った]忌々しげに呟いた赤足の心情は、臣僚の誰もが懸念した。そんなある雪の日、残務処理の為都へ、残してきた柿本人麻呂ら、大海人家直属の舎人たちが辿り着いた。[帝が崩御された、師走三日、宝纂四十六にて]鵜野皇女は父の死の知らせを、聞いても一滴の涙が出なかった。天智帝が瀬死の身を起こして、ただ一人寵愛の白馬に御して、山科の林中に消えたと、謎めいた奇怪な話も伝わってきた。
古代大王家の複雑な血縁関係、愛憎模様がすさまじく、人間の本質をついています。登場人物の心情と、朝鮮半島との関係、飛鳥時代の権謀術数、蘇我氏のことなども、独自の史観が見逃せません。白馬の話は[水鏡]に記載されている伝説。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?