先生が1日に10人欠勤するオーストラリアの学校。

私は今、南オーストラリア州のアデレードにある公立のハイスクールで、13歳と14歳の76人にアートを用いて日本語を教える立場にある。
しかし、毎日が驚きの連続で脳内では消化しきれないので、このように文章にすることにした。

今から書く内容は、オーストラリアの学校についてだけど、これは決してオーストラリア全体の学校の当たり前ではないことは留意してほしい。

さて、本題。

私のメンターでもあり、日本語の先生でもあるジョンは、日本人の私から見てもとても礼儀正しく、勝手ながら外国人のイメージからはとてもかけ離れているような、本当にまじめで誠実な先生である。

そんな彼は先日、日本語の授業が2限目から始まるにもかかわらず、5分前になってもやってこなかった。

日本の学校では、担任の先生が学校を休むのはインフルエンザにかかった時と、産休の時しか見たことがなかった私は、ジョンが学校に来ないのは事故なんじゃないかと思い、いろんな先生に聞いてまわった。

でも、どの先生も「風邪なんじゃない?」「わからない」の一点張りで、全く心配している感じもない。なんて非人情的な先生たちなの、、と思いつつ、もしかしたら遅刻しかけて教室に直行したのでは?!と思い立って、走って教室に向かった。

すると、そこには会ったことのない先生が当たり前のように座っていて、授業をしようとしてた。なんでやねん!(笑)

そんな感じでパニックになりながら、日本語なんて一つも知らない先生のもとで日本語の授業のアシスタントをこなし(生徒は、指示された日本語のワークブックをひたすら解き続け、そこに私が教室をウロウロして分からないところをサポートし)頭がハテナのまま先生専用のスタッフルームで休憩することにした。

そこには、私と年が近い教育実習生のケリーが座っていて、私は彼女にジョンの話をした。すると、ケリーはスッと立ち上がって後ろの掲示板を眺めだした。

その張り紙には、今日欠席した先生の名前とその先生の担当科目、代わりに指名された先生の名前、教室の番号がズラーっと書いてあり、今日だけで10人の先生が休んでいた。10人という数が一体どのくらいの規模なのか補足しておく。

通常オーストラリアでは、日本の中高一貫のように中学と高校が一緒になったハイスクールやカレッジが普通になっている。この学校では1900人の生徒が在籍しており、約100人の先生が出入りしているらしい。(先生に聞いても正確な人数はわからなかった。)そのうちの10分の1が、1日に学校を休むという感じ。

そして話を戻すと、ケリーは「ジョン先生の代わりに○○先生だったのね、どうだった?」というなんとも日常茶飯事な感じで会話が始まったので、もっと前提の部分から質問しなおすことにした。

「先生は当日でも学校を休むことができるの?」

答えは、イエス。

休むことが決まった時点で先生が学校に連絡を入れるそう。当日の早朝の場合もあるので、当日になって先生が来ないということも普通にあり得る。今回はそのパターンだった。

学校に連絡が入った時点で、校内で休んだ先生の時間帯に出席できる先生が対応したり、事前に分かっていれば、先生バンクのようなものに登録している臨時の先生が学校外から派遣されるそうだ。その臨時の先生は、教員をリタイヤした先生や本業は別のことをしているけど単発的に教員資格を使って先生をしている人たちや新米の先生の場合もあるそう。

なんと、先生は副業もオッケーで、本業は別のことをしている人もたくさん存在しているらしい。そりゃ先生の質はともかく、人材には困らないだろうなあ。

「代わりに来た先生はどうやって授業内容を把握するの?」

同じ学校の先生は常に、すべての授業内容と出席している生徒、生徒の出席状態をPCで把握できる。

こちらの学校では、生徒も先生も自分のPCでほとんどすべての仕事やタスクを共有している。だから、先生同士で共有している授業内容のページにアクセスすれば、その日のテーマとタスクの手順、その都度使う資料やその授業内で達成するゴールなどがまとまっている。しかし、臨時の先生が自分の専門外の授業をするのはやはり厳しいので、日本のような自習スタイルがほとんどらしい。

ちょっと論点はズレるが、新米の先生が授業案、テスト、資料を作ったりすることや、ほかの科目の先生が別の科目の進度に合わせて授業内容を変更したり、関連させながら授業を作ることにも、この共有システムは役に立っている。膨大な数の資料がきれいにまとめられていて、サイトのデザインもオシャレでとても見やすい。非公開サイトなので共有できないのが残念すぎる。

ただ、ふと、そんなに学校を簡単に休むようでは授業に遅れをとるんじゃないかと気になった。そこで後日、ジョンに聞いてみると、オーストラリアでの指導案や計画はある程度決まってはいるが、細かい内容は各々の先生の裁量に任されているらしい。そもそも、日本のような大学受験がオーストラリアにはないので、日本みたいにセンター試験直前になって先生が高速で範囲を終わらせようとすることは決してない。センター試験や各大学で実施される試験もない代わりに、各州での統一試験を受ける。公立の普通の学校では、その試験結果3割と学校でのGPAのような成績7割で大学に入学するらしいので、ほとんどの学生が進学してゆく。これは、オーストラリアの大学進学率が世界1位であることの要因の大きな1つであると考えられる。(ただ、このランキングは、海外からの大学入学者や、生涯においての進学も含まれている。)

そんなこんなで、ドキドキハラハラした一日は過ぎ、日本の固定概念を根本からぐちゃぐちゃにされた。

帰り際に、別の言語の先生と話していると、

「最近疲れちゃって。明日学校休もうかな~。」

なんて言っちゃうベテラン先生もいて。多分日本でこんなことを言う先生がいると、仕事に責任感が無いと思われるかもしれないし、学校の先生を何だと思ってるんだ!!とお叱りの言葉も飛んできそう。

しかし、疲れたら休む。これができる環境とそうでない環境のなかで、どちらの質と効率がいいのかを問うと、すぐに想像できる人は多いと思う。

先生の状態を良い状態に保つことは生徒にとっても教育の質が良い状態でキープされることにもなる。そして、先生たちは調子が良くなければ学校を休むので、授業の質に言い訳は無く、良い授業を作るために毎日研究を怠らない姿勢を持つ先生や、楽しそうに私に説明してくれたり、授業内容で使う資料を見せてくれたりする先生が多い印象を持つ。

ただ、オーストラリアでは、10人に1人の割合で仕事のストレスが原因で泣いているという結果のテレビを先日見たので、割とどこでもストレスはちゃんと存在していると思う。問題は、そのストレスの原因や内容の違い、そのストレスを表現できる文化的性格の差、周りの理解と周りを巻き込んだ解決のスピード感なのかなぁなんて、ろくに働いたことのない学生が思ったりする。

オーストラリアの少なくともアデレードでは、学校の先生が仕事を休める環境と毎日誰かが休むことを前提としたシステムが整っていることも、なんだかよく海外と比べられる育休制度とよく似ているな、、とも感じる。日本に、海外と同じような制度があってもだれも利用しないし、できない雰囲気なのだと思う。

先生が、体調がすぐれないときに学校を休むことはできるが、休むことのできる日数(有給)はまだわからない。

そして、ジョンは私が来る前に、学校をかなり欠勤したらしく、実際予定よりも1か月分の授業が遅れているのも事実。

日本とオーストラリアの中間くらいがちょうどいい気がしている。



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