見出し画像

カラオケ行こ!という映画を観た

カラオケ行こ!という映画を観た。
中学生にカラオケを習おうと近づくヤクザの話。 楽しく演出されているけど、相手はヤクザだし、暴力沙汰の渦中にいるし。この関係をどう見るかとか、何か意味づけすること自体が、同じ声楽部の和田くんが必死に問うて煙たがられるようなシーンを生みはしないだろうか。ガキと言われたり部長代理に宥められたりする、あそこのきまり悪さを生み出していないだろうか。「子守」される側になってしまう。そこで、ヤクザをフィクションに住むフェアリーだと仮定する事で、モラトリアムにもなりきらないふわふわした体験が思春期の気まずい時期に重なったと意味づけた。

漫画原作者の別の作品、女の園の星も先生がなめられている感が苦手だった。なめられているより以前の問題の、気にしたら負けの状態を笑っていいのかわからなかった。でも笑ってたし、という事で映画を観た。やっぱり家族のシーン等で笑いつつ、どう観ていいのかわからなかった。ヤクザは怖いし、和田くんは苦い立場だし、取り巻く環境も緩いんだかそれが辛いような微妙さで、その微妙さのままいいような悪いようなよくはない関係が続き…終わったようなまだ続くような…。どうしたらいいのかわからない。この関係性に憧れればいいのか、青春なるものを投影したらいいのか、夢物語として浸るのか、それにしてはわかりやすくハッピーでもないから、箱庭のヤクザと中学生をニコニコと眺めるくらいの距離が適切なんだろうか。和田くんが苦かった。