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臥薪嘗胆ラプンツェル ――長い長い髪を切った話―

私は髪が長い。数少ないアイデンティティの一つだ。


どれくらい長いのか。多分竈門禰豆子くらいはある。日暮かごめよりは長い。火野レイには負けるけど。腰まで届くストレート。ヘアアレンジしようにも長すぎて持て余す。椅子に座る時も気を抜くと自分の尻で踏む。座ったままで洗ってくれることで人気の台湾シャンプーも、毛先まで立ち上げても倒れるので美容師さんに支えて貰いながら写真を撮る有様。多分「髪の長い女コンテスト」があれば同年代女性の部地区大会でベスト8に入る自信はある。


なんでそんなに伸ばしたのか。ロングヘアが好きだからというのもあるが、それにしても持て余すほど伸ばすものでも無いと思う。もはや「宗教上の理由」みたいになりつつある。単に切るタイミングを失い続けてきたというだけなのだが。


最後にショートヘアにしたのは今から10年以上前、小学6年生の頃だった。そのまま伸ばして(美容院に行っても少し切って整えるだけ)中学生の頃には「髪が長い私」というのがアイデンティティになりつつあった。高校は中堅進学校に良くある服装が厳しい校則で、ヘアピンたくさん止めるより後ろでひとつに纏める方が効率的だったし、教師ウケもよかった。


そして髪をばっさり切ろうと決意したのが大学入試の時。推薦入試、無事に合格したらばっさり切ろう。そして切れなかった。一般入試、第一志望に合格したらばっさり切ろう。それも切れなかった。


悔しかった。この悔しさを忘れるまいと思って「大学デビュー」で髪を切ることも染めることもしなかった。もっさりと長くて量の多い髪を毎日手入れし続けた。多くの女子達は成人式までは伸ばすと言って、そして切った、ばっさりと。髪を切って、どうせ今しか出来ないからとカラフルに髪を染めて。きれいでかわいい。その波に乗って切れば良いものを、切らなかった。まだ入試の悔しさを払いきれていなかった。


この頃には年に一度くらいは美容院に行ってはいたものの、腰に付くかつかないかくらいまで伸びていた。多分田舎の小規模大学において髪の長さコンテストをしたら優勝する自信はあった。「誰よりも髪の長い私」は完全にアイデンティティのひとつに成長していた。


次に髪をばっさり切ろうと決意したのは、就職活動の時だった。夢なんて無かったけど、納得して希望の会社に入れたら切ろうと思った。そしてこの時も切れなかった。


この時も悔しかった。笑顔で夢を叶えていった同級生達が眩しかった。
働き始めて半年ほど経った後、すっきり短くして明るく染めようと思った。どうせ服装に関する決まりなんか無いし(若い人が少なすぎて白髪染め以外の染髪の概念がなかった)。その時は何故か美容師さんが反対し、色もそこまで変わらず長さも肩下くらいまでに切るにとどめた。


その後も伸ばし続け(単に美容院に通うお金が無かった)、醜いプリン状態を乗り越え、いつしかアパレルのお姉さんに「あら〜バイカラーに染めてるんですね!おしゃれ〜」とか言われるくらいに伸びた。
この頃には会社を辞め転職の決意を固めていて、着々と準備を進めていた。悔しさの象徴であるこのクソ長い髪、環境を変えられたら、転職が叶ったら、その時こそは切ろうと決めた。


そして転職はいったん置いといてオーストラリアにワーキングホリデーに行く事に決め、2020年3月、退職。やっと髪を切れる。


しかし、ここでも切れなかった。連日サロン予約アプリとにらめっこしていたのに。新型コロナウイルスの流行。美容院は営業休止していた。ワーホリも延期になった。悔しい。

悔しさの象徴はこのコロナで夢を失ったフリーターと化した期間ものしかかり続けた。

夢も叶わず、お金だけは減り続ける。周りには「もうすぐ海外に行くんだ!」って言いふらしていたのに、現状はパラサイトシングルのフリーター。悔しすぎる。

なので。切ることにした。このクソ長い不幸の髪を。

ワーホリは来年の春に延期した。だけど世界に情勢を見てるとどうも来年の春には無理そうだ。

夢が叶ったら切ろうと思いつつ、もう何年も切ることができなかった。一世一代の大チャレンジのつもりで準備を進めてきたことも、どうにもならなくなってしまった。

描いていた夢はしばらく叶いそうにない。だったらすべて仕切り直しのリセット。

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これが↑

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こうなりました。

悔しさの象徴、不幸の髪、プレッシャー、未練。全部バッサリと。

髪を切って数日、メンタルの調子がとても良い。

元の長さになる頃には、絶対夢も叶えて、やりたいことやってやる。軽くなった髪に新しい目標を編み込んで。

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