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小説「おにぎりがたべたい(完全版)」

こちらは有料小説です。

この記事は、Amazonキンドルストアで販売中の以下の電子書籍から「おにぎりがたべたい」「続・おにぎりがたべたい」の2編を移植したものです。小説全体の文字数は約3万文字です。

おにぎりがたべたい(待ち時間に軽く読む短篇集・1)

続・おにぎりがたべたい(待ち時間に軽く読む短篇集・2)

小説の紹介

那須 要(なす かなめ)は空前絶後の空腹感に襲われながら、狭いアパートの部屋で横たわっていた。

所持金は23円。悪魔に魂を売り渡してでも、炊きたてのおにぎりが食べたい。

頭の中は、おにぎり、おにぎり、おにぎり。

だが、最後の古本まで売っぱらい、進退窮まった。空腹で目が回る。

しんどくて、しにそうなのに、誰かがドアをノックし続ける。

俺はもう眠い。

眠ってしまいたいのに、ノックの音は、鳴り止まないんだ……


腹ペコヒーロー(?)那須 要、登場!

仕事なし、金なし、未来なし、の彼の自宅のドアを、ノックし続けるのはあの世からのお迎えか、はたまたエンジェルか。

「怒涛の急展開」が待つ、問題作! 

LDF特例法? 

『あなたの命を守り隊』って、一体何スか?


この物語はフィクションです。実在の人物、及び団体とは一切関係ありません。


おにぎりがたべたい


 ああー、お腹空いたぁ。

 一体、こう思ったのは何度目だろう。引き出しの奥にしまっていたチョコレートも、カバンの中に隠れていた飴玉も探し出し、全部しゃぶりつくした。ああ、とにかく腹が減る。電気とガスは先月止められたし、冷蔵庫にはケチャップとタバスコしか入っていない。ジンギスカンのタレとマヨネーズはなめてしまった。蛇口をひねればまだ水は出てくるが、水道代も払っていないので、いつ止まるかわからない。
 財布には23円が入っているから、うまい棒が2本買える。うまい棒を買いに行くか? 35にもなる大の男が、うまい棒を2本だけ買って、コンビニのお姉ちゃんから蔑みの目で見られるのは避けたい。スーパーなんてもってのほか。それに、うまい棒2本を食べた後はどうする? どうせ数時間でまた腹が空く。人はうまい棒のみに生きるにあらず。
 ぶっちゃけ、カッコ悪いのは我慢できるが、本音は寒いので外に出たくない。3月とは言え、この土地ではまだ雪も溶けていないし、暖房もないから布団の中でじっと震える。

 1週間前に家賃を振り込んだ。6畳一間の部屋を見回し、唯一の俺の資産である「ジョジョ」、「バクマン。」、「聖☆おにいさん」の全巻セットをリュックサックと手提げ袋に詰め込み、古本屋に持ち込んだ金で払った。俺は調子に乗って、残った金でカツ丼定食を食べてしまった。今思えば、あれがダメだった。カツ丼定食を食べる金で、パンの耳がどのくらい手に入っただろう。俺は、大きなミスを犯した。
 朝食と昼食はコーンフレークでしのいで、夕食は魚肉ソーセージで過ごしたが、4日前、食料が尽きた。コーンフレークの箱を逆さに振っても、何も出なくなった。とうとう食うものがなくなったのだ。
 飴玉と調味料で脳をだまし、水で腹をふくらませて体をだまそうとしたが、今日には猛烈に、我慢できないほど腹が減ってきて、これ以上は空腹感をだませない状態になった。

 人は働けばいいだろう、と言うだろう。俺は、働こうとした。だが、会社が、社会が俺を働かせてくれないのだ。俺は俺なりにちゃんとやってきた。事務、営業、接客、肉体労働。バイト、契約社員、臨時職員、どんな仕事も雇用形態でも選ばず、雇ってくれるところがあったら、そこで頑張った。
 働いて数年以内に必ず、リストラされるか、会社が潰れるのは俺のせいなのか。この年になると、バイトさえ断られる。ハロワに通う交通費すらなくなったので、近所の牛丼屋の「アルバイト募集」の貼り紙に俺は最後の望みをかけたが、「あ、もう決まりましたんで」の一言であっさり断られた。進退窮まった。
 電話代も払えなかったし、速攻止められた。まともな会社なら、採用の連絡先すらない奴なんて採用しない。こうなる前に、どこでもいいから雇ってもらうべきだったのだが、俺は、昔からどこか抜けている。袋小路に入ってから、ようやく慌てるようなところがある。要するに、アホなんだ。秩序立てて、モノを考えることができない。ヤバイことになってから何とかしようとするので、いつも手遅れだ。

 ああ、腹が減った、お腹が空く、目が回る。立ち上がれば、立ちくらみがする。ヤワな体だ。俺は兵隊さんになれそうもない。

 生活保護。俺は生活保護窓口へ行くべきか? だが、俺は中途半端に若く、五体満足で健康、働ける人間だ。働く意志はある。ただ、誰も雇ってくれないだけだ。
 朝のワイドショーで、生活保護の相談をした女性が、窓口で体を売ってでも稼げと言われた、と涙混じりに話していた。だいぶ前だ。ジェンダーフリーな世の中だ。俺が窓口に行っても、きっと平等に「ケツの穴を売ってでも稼げ」と言ってくれるに違いない。いや、ワイドショーなんぞ、ゴシップ誌そのものだ。愛と正義のお役所が、そんなことを言うわけがない。なあ?

 それよりも、外に出て、裸の大将のように会う人ごとにおにぎりを食べさせてほしい、とねだってみようか。案外、いける気がする。だって、俺がもし道で見知らぬ誰かに「お腹が空いているので、おにぎりをください」と礼儀正しく頼まれれば、コンビニでおにぎりを買う金くらいなら渡すと思う。俺が金を持っていればの話。

 ああ、おにぎり食いてぇ。ホカホカの、炊きたてご飯でつくった、おにぎり。お米はつやつやで、海苔はパリっとして、野沢菜漬け、たくあん、ぬか漬けを添えて。お味噌汁。豆腐の味噌汁、ワカメの味噌汁、ネギと揚げの味噌汁。塩もこだわって、ちょっと高くてもいい塩で握る。沖縄の塩がいいなぁ。
 しゃけおにぎり、梅おにぎり、おかか。ああ、おかかチーズもいい。しゃけは、トラウトサーモン。トラウトの油が、海苔に染みこんで、黒くツヤ光りする。余ったしゃけの皮も、もっちりとしてうまい。
 ツナマヨ、あれに玉ねぎを刻んでもいいなぁ。俺は一時期、ツナマヨおにぎりがこの世で一番うまいと思っていた。

 でも、すじこ。すじこおにぎりの満足感は超えられない。絶妙なまでのしょっぱさ加減、ねっとりとした食感、熟成された、生臭さと紙一重の旨味。すじこのうまさを超えるものはあるだろうか、いやあるまい。すじこ、すじこのおにぎり。今ここですじこのおにぎりが食べられるなら、悪魔と契約してもいい。俺の魂など、おにぎり一個以下の価値しかない。山盛りのおにぎりがあれば、そこが俺のパラダイスだ。
 たらこと明太子も捨てがたい。たまに、無性に食べたくなる。焼きたらこもいい。おにぎりの変化球なら、天むす。海老天にたっぷりとめんつゆを染み込ませてさ、おにぎりにもその味がじわ~っと染みこんでさ。天むすときたら、天かすを混ぜ込んだおにぎりもいいなぁ。

 ああ、そうだ。焼きおにぎりも外せない。しょうゆか味噌のタレをつけてさ、こんがり焼いて。炭火でじっくり焼いたチーズおにぎり、もう一回食べたいなぁ。中のチーズは熱々のトロトロで、外はこんがりカリカリで香ばしくて。炭火で焼くと何でもうまいよな。
 ゆかり、ごま塩、昆布、高菜、ちりめんじゃこ、エビマヨ。どんな具でも、炊きたてご飯ならおいしい。

 コメさえあれば、何もいらない。コシヒカリ、あきたこまち、ゆめぴりか、おぼろづき。

 はぁ、なんだか涙が出てきた。まさか、コメが食いたくて、おにぎりが食べたくて、泣く日が来るとは思っていなかった。なさけな。
 子供の頃は、腹いっぱい食べて、この世に飢えが存在することなんて、俺は知らなかった。大人になるまで、子供に金の苦労をさせなかった親は、偉いんだな。俺はまともな大人になれなかったし、人の親になる資格なんてない。こんな子供ですまなかった、とさえ思う。
 俺がもう少しまともな大人だったら、どんと稼いだ金で、欲しがっていた家を買い、旅行にも連れて行き、毎月分厚い札束を突っ込んだ財布を渡すような甲斐性くらい持てたかもしれない。こんな俺で、親には本当にすまないと思う。

 あー、腹が減る。ハラヘリンコフ。脳に栄養がいかなくなると、考えることもおかしくなる。
 おにぎりのおかず。卵焼き、ウインナー、からあげ、アスパラベーコン巻き。茄子の一本漬け、辛子茄子、きゅうりの浅漬け、しば漬け、いぶりがっこ。
 今日は特に冷える。布団に包まっていても、指先がかじかむ。頬は熱いので、かじかんだ指先を当てて、温める。あったかい。少し、ウトウトとする。

 どん、どん、どん。

 誰かがドアを叩いている。電気が止まっているから、俺の部屋はチャイムが鳴らない。家賃は払ったばかりだし、訪ねてくる奴なんていない。どうせろくでもない勧誘だ。

 どん、どん、どん。

 しつこい。でも、放っておけばいい。俺には23円しかない。応対するだけ無駄だ。何を求められても、払う金がないから。メーターを見れば、電気を使っていないのがわかるだろう。

 どん、どん、どん。

 立ち上がるのもしんどい俺は、その音を無視する。俺に用があるのは、取り立て屋だけだ。もう俺にはむしりとれるようなものは、何もない。帰ってくれ。
 ドアを叩いた奴は、しばらくしていなくなった。ホッとすると、また腹のギュッと絞るような痛みを感じた。

 ああー、お腹空いたぁ。いっそ、食い逃げでもして、刑務所に入れてもらえば、お腹いっぱい食べさせてくれるかなぁ。おまわりさんに捕まってカツ丼、刑務所に入って一日三食付き。たぶん、暖房も入っている。やべぇ、今の俺の生活よか、天国じゃん。だが、1年以上ブチ込んでもらえる犯罪なんて、俺には思いつかない。犯罪をする才覚すらないのが、俺だ。良いこともできないが、悪いこともできない。

 胃がいてぇ。何も食ってないから、胃酸が胃にしみる。ティッシュでも食べてみようか。でも、後で吐きそうだ。
 コメがあったらなぁ。コメを研いで、ごはんを炊いて、炊きたてご飯に塩を混ぜて。すじこはうまいが、おにぎりの王道はしゃけだ。しゃけを焼いて、身をほぐして熱々ごはんで握る。パリパリした海苔をつけて、お茶もいれる。ほうじ茶、緑茶、玄米茶。抹茶入り玄米茶、今飲みたいなぁ。とろりとした緑色の水色。

 体の芯がだるくて、力が入らない。ああ、つまらない。寝返りを打って、もう一度思う。本当に、つまらねぇ。これまで、自分のためにしか生きてこなかった、報いなんだろう。幸せは、自然とやってくるはことはない。黙って待っていても、楽しいことは絶対に起こらない。動けなくなって、やっとわかったこと。もう、遅いんだな、――

 どん、どん、どん。

 また、ドアを叩く音が聞こえる。耳障りな音だ。俺はもう、このまま、ただ眠りたい。眠って、眠って、眠って、おにぎりを食べたいという気持ちすら忘れて、目が覚めなければいい。だからもう、起こさないでくれ。


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