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#ディスプレイ

231:エキソニモ《On Memory》の曇りガラスと存在の濃度と空間の意味

WAINTINGROOMで,エキソニモ《On Memory》を見る.撮影は禁止されている.メモは禁止されてい…

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9か月前

230:エキソニモ《On Memory》の[ ]

WAINTINGROOMで,エキソニモ《On Memory》を見る.撮影は禁止されている.メモは禁止されてい…

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9か月前
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049:私たちの身体は影のマスキングによって「平面に住まう身体」に移譲されて,ひと…

小鷹研理さんの《公認候補》を横から見ると高さが存在している.しかし,その高さは上から見る…

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5年前
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048:映像のズレが示す身体とまわりくどい感じで結びついた「断層」

小鷹研理の《公認候補》には,至る所にスマートフォンを握った手が映っている.左上のあたりに…

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5年前

047:物理的サーフェイスと仮想的サーフェイスとが互いに組み込み可能な環境

小鷹研理の《公認候補》で,ディスプレイの上に置かれたスマートフォンにスマートフォンを握っ…

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5年前

046:ディスプレイが切り取った世界として,その場で見たかった…

ディスプレイでもうひとつの世界を覗くのではなく、ディスプレイでもうひとつの世界を切り出す…

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5年前
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006:遠近法とは異なる空間認識が生まれてきている?

谷口さんがツイートしてくれたvimeoの映像は、まさにディスプレイが型として、穴としてその先の空間につながっている。けれど、これは遠近法を用いての映像であって、映像が、空間の奥と手前とを接着していると言える。これはこれでいいのだけれど、パソコンの重なるウィンドウ以後は遠近法とは異なる空間認識が生まれてきているのでないかと思うわけです。 重なるウィンドウ体験以後のディスプレイで起こる体験は、遠近法とは異なるのではないだろうか。そんあことを考えている。どこかに基準となる平面=サ

005:ディスプレイを「クッキー型」のような穴として考えてみる

ディスプレイが型として機能するためには、ディスプレイ自体を3DCGのモデルが示す空洞と見なす…

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6年前
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004:型としてのディスプレイ

3DCGこそがバルクであって,ディスプレイのガラスがサーフェイスとなっているのではないだろう…

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6年前
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002:ある時,ある場所で,乱反射が整序されて

エクリでの連載で「インターフェイス」を考えているときに,私たちが「インターフェイス」と呼…

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6年前
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