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115:カーソルの二次元平面と三次元のイリュージョンをうまく拮抗させる

Facebook経由で知った Dirk Koy の映像作品.

このような映像を見ると,どのように記述していいのかわからなくなる奇妙さがある.取り壊し途中の家の画像が選択されていて,左上のポイントをカーソルでドラッグすると画像のかたちが変わる.ここまでよい.しかし,画像のかたちの変化と連動して,画像が表している取り壊し途中の家が手前に崩れ落ちたり,回復したりする.ここに奇妙さがある.

カーソルのドラッグで画像のかたちを変化させるのは二次元の変化だが,画像が表している家の倒壊と回復は三次元の変化である.カーソルという二次元的存在が,二次元の画像のかたちに操作して,三次元の画像表象が変化する.記述すればそれだけでだが,どこか奇妙なところが生まれるのはなぜだろうか.

画像の変形をしているカーソルは決して手前に引き寄せられているわけではないのに,家が手前に引き倒されてしまっているように見えるから奇妙なのだろう.カーソルの動きから予期されるのは,取り壊されている家の画像が二次元的に拡大・縮小されるということだろう.しかし,この予期は裏切られる.カーソルがあたかも手前に移動してきて,家を引き倒すかのように画像に変化を与える.この映像は,ほとんどのコンピュータ・ユーザがつねにディスプレイを見て,操作をしていてた体験している「カーソルは最前面を移動することはできるが,手前・奥の移動はできない」ということを裏切って,見る者に驚きを与える.

その驚きの後で,さらに映像を見ていると崩壊した家の向こう側にある黒い部分が気になってくる.単なる背景色なのだが,背景色と手前に引かれたかのようになっている画像との距離がそこに生まれてきているような感じを与える.黒の背景色の上に画像が表示されている状況に,カーソルの動きとともに手前と奥との距離感が生まれていく.しかし,実際にはそこに距離はなく,あくまでも背景色と画像との重なりでしかない.もっと言えば「重なり」でもなく,「シミュレートされた重なり」でしかなく,たんに黒いピクセルとそれ以外のピクセルとが秩序立って表示されているに過ぎない.

しかし,ディスプレイの表示原理から単なるピクセルの明滅に過ぎないとわかっていても,この映像を見る者の多くは奇妙さを覚えてしまう.何度も見ても,奇妙な感じを拭い去ることはできない.二次元に描かれたものが少しでも三次元の兆候を見せると,そこに三次元のイリュージョンを読み取ってしまうヒトの機能的なことが影響しているからだろう.グリーンバーグが絵画平面から追い出そうとした三次元のイリュージョンは,カーソルが示す二次元平面にも入り込んできて,二次元平面を上書きしていく.

Dirk Koy のこの映像作品は,この上書きをうまく使って,カーソルの二次元平面と三次元のイリュージョンをうまく拮抗させているから興味深いのであろう.二次元平面であり,二次元的な操作であることを強調しつつ,三次元的表象をそこに連動させる.この試みは,三次元の視覚情報が二次元の視覚・触覚が連動した操作を三次元を基底とした手前と奥との運動に上書きしていくものである.しかし,上書きされても,二次元の平面的操作の感触は残り続けて,三次元の運動に抵抗している.ここに作品の奇妙さが生まれているポイントがあるのだろう.


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