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122:「パラドクス」を明示する表象

研究会の発表のためのテキストを書きはじめて,note に書いたものをまとめて,最初の流れは以下のようになっていた.

写真の「向こう側」を考える
・重なりの双対性
・触れる対象がない「奇妙な触覚」
・写真の「向こう側」を考える
・写真はモノであり,イメージであるという関係
・過去の自分の発表を振り返りつつ,写真の正面性を考えようとしたけれど
・二次元と三次元とが同等であるという状況が生まれる?
・「写真」をレイヤー接合の場として考えてみる
・「像物体」「像客体」「像主題」でもない「黒い線」を見る

今日,Dropbox Paper をPDFでBookに書き出したものを,Apple Pencil片手にiPadで読んで,流れを整えて以下のようになった.

写真の「向こう側」を考える
・重なりの双対性
・写真の正面性
・「像物体」「像客体」「像主題」でもない「黒い線」を見る

だいぶスッキリしたような気がするけれど,実際はこれまでのトピックを分解して,配置を変えたに過ぎない.

「重なりの双対性」で,操作の痕跡が「見える/見えない」のパラドックスを引き起こす「シミュレートされた重なり」を考えてみる.そして,「シミュレートされた重なり」をつくるきっかけになっているだろう「アルゴリズム的転回」における「イメージの決定不可能性」「視覚/触覚」「操作の不可視・不可知」を繋げて考えてみることで,「触れる対象がない「奇妙な触覚」」や「写真はモノであり,イメージであるという関係」を吸収してみる.

そこから,フッサールの「写真のノーマルな位置=正面性」に接続して,像物体・像客体・像主題の三層構造によって「写真」を考えていく.その時に「二次元と三次元とが同等であるという状況が生まれる?」という問いが考察される.「写真の正面性」と「デスクトップの正面性」とを合わせて考えられるといいのかもしれないけど,どうなのだろう.「重なり」が生まれて,その「厚み」を感じることなく,自由に操作できるデスクトップには「正面」以外がないと考えればいいのだろうか.「正面」という二次元平面から三次元空間を見るときに「遠近法=奥行き」ではなく「向こう側」が重要になってくることを強調する必要がある.

最後の「「像物体」「像客体」「像主題」でもない「黒い線」を見る」で,池田衆の作品の分析を行うところは変わっていない.ディスプレイでのピクセル操作が一枚の平面に接着されたものではなく,一枚の写真を切り抜くという物理的操作の痕跡によって,ディスプレイのピクセル操作がつくると同等の「パラドクス」を明示する表象をつくりだす.


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