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090:あたらしいモノのあり方とデジタルデータを「モノ」のように扱うような感覚

前期の授業が終わったので,後期がはじまるまでは何かしら毎日noteを書いていきたいと思う.書きながら,考えていきたい.

何かモノがあって,そこから行為が生まれるのではなく,行為が先にあって,モノが生まれる.支持体としてのモノがあって,そこにイメージが定着するのではなくて,イメージが支持体としてまずあって,そこにモノが定着する.

ということを,近頃を考えている.これまでとは順序が逆になるようなことは,「ソフトウェア」「情報」と言った存在が出てきて,それらが確固とした「モノ」のように扱われ始めているからではないだろうか.デジタルデータをモノのように扱い始めていて,そうすると,モノが先にあるのではなく,デジタルデータに付随する行為や画像といった存在が先にあって,それらにモノが付加されることで安定するといった方がいいのではないかと感じつつある.

デジタルデータとともにではないけれど,モノ自体も変化していきている.固体相での接合である「摩擦攪拌接合」といったあたらしい接合方法や,液体の性質を持った気体という「超臨界流体」といった物質の第四の方法がある.これらのあたらしいモノのあり方とデジタルデータを「モノ」のように扱うような感覚というのはどこかでリンクするのではないだろうかと,考えている.

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