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066:スクロールに摩擦がない特別なモノとしての「🧻」

画面全体のスクロールではないけれど,スクロール行為を考える上で.ラファエル・ローゼンダールの《paper toilet .com》(2006)は外せないだろう.

《paper toilet .com》はタイトル通り「トイレットペーパー🧻」をスクロールしていく作品である.「巻物」を見る・読むためのスクロール行為がウェブページ📜に適用されたのだとすれば,現在の「巻物」であるトイレットペーパーに対してスクロール行為を行うことは理にかなっていると言えるだろう.何も書かれていない真っ白な巻物としてのトイレットペーパーをスクロールするのはとても気持ちが良い.

スクロールをし続けると,ローゼンダールの🧻の巻はどんどん小さなっていく.このとき,ローゼンダールの🧻とウェブページ📜とをスクロールしているときの感覚にちがいはあるだろうか.ローゼンダールの🧻とウェブページ📜ともにとてもスムーズにスクロールができるし,ローゼンダールの🧻にもいつの間にか「慣性スクロール」が与えられているので,スクロールの感覚にちがいはないように感じられる.何もモノとしての摩擦がないという感じだろうか.

ローゼンダールの🧻はスクロールすると小さくなっていくので先が見える.これはウェブページ📜をスクロールしているときは異なる感じになるような気がする.しかし,ウェブページ📜でも「スクロールバー」の位置があとどのくらいでページの端につくのかを示してくれるから同じだと考えられる.けれど,ローゼンダールの🧻の方がスクロールをし終えたときの気持ち良さが優っていると感じられる.それは,この🧻が純粋にスクロールを楽しむために提供されているからであろう.ウェブページ📜は純粋にスクロールするのではなく,テキストを読んだり,画像を見ながらスクロールするものである.ローゼンダールの🧻はウェブページ📜とは異なり,スクロールに摩擦がない特別なモノとしての「🧻」として画面にある.ウェブページにも摩擦がないが,端がカールするなどのモノとしての「📜」として画面にあるのではなく,あくまで画面上の平面としてディスプレイにあると考えられる.

ローゼンダールの🧻を全て巻き取ってしまうと,このように真っ黒な画面が現れる.この状態がウェブページ📜のデフォルトだろう.ローゼンダールの🧻はウェブページ📜の上にあった「スクロールに摩擦がない特別なモノ」だったといえる.

しかし,この状態のウェブページ📜がモノとしての「📜」とはないとは言い切れない.ローゼンダールと同じオランダのアーティストで,「スクロールバー」を実体化した作品《Scrollbar》(2002)で有名なJan Robert Leegteは,《Repositions (Black)》(2018)という作品を作成している.

鑑賞者はこの作品を開くと,ブラウザが真っ黒な画面を表示しているのを見ることになる.この真っ黒の画面はスクロールすることはできない.鑑賞者はスクロールできないただ真っ黒なウェブページ📜を見せられる.しばらくすると,黒いウェブページ📜が動き出し,ブラウザのウィンドウのフレームとのあいだにズレが生じてくる.黒いウェブページ📜は突如,その下のグレーのウェブページに影を落としながら動くモノのような「📜」となる.そのとき,鑑賞者はブラウザ内の画面が平面ではなく,重なりを示す立体的な空間を持つことに気づかされるのである.

ブラウザのフレーム内は平面から空間へと変化し,先ほどまで平面的で黒いウェブページ📜は立体的なモノのような「📜」として,フレーム内にこれまではなかった空間性を与える存在となるのである.


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