見出し画像

099:誰もが少しでも自由に発信できる世界が「世界」を滅ぼしたから

あいちトリエンナーレで展示されていた「表現の不自由展・その後」が中止になった.私は初日に「表現の不自由展・その後」を見ていた.その時には,すでにTwitterで展示に関して多くのツイートがされていた.それほど広くない展示空間に多くの作品と人がいた.他の作品空間に比べると,緊張感があったように思う.

展示を見終わったあとに,「アート・プレイグラウンド はなす TALK」会場があって,そこのスタッフと話した.「アート・プレイグラウンド はなす TALK」については,あいちトリエンナーレのHPには次のような説明があった.

アート・プレイグラウンドは、あいちトリエンナーレ2019で初めて設置された、来場者の創造性を発揮できるスペースです。「あそぶ」「はなす」「つくる」「もてなす」「しらせる」という5つのテーマで、5箇所の展覧会場に設置されています。芸術祭や展覧会で、作品からインスピレーションを受けた鑑賞者が、自然な形でものづくりや表現、議論、発信といった反応ができる場所を用意しました。
ここ「はなす」は、作品について考えたことを互いに議論する場所です。「てつがくカフェ」という手法を参照し、テーマに沿って健やかに対話することで、作品をより深く、多角的に楽しむことを目指します。

「表現の不自由展・その後」がTwitterで話題になっていたことについて,スタッフと話した.スタッフによると「表現の不自由展・その後」について話していく人が多く,建設的なお話をする人,頭ごなしにあれはダメだという人,様々な人がいるけれど,アート・プレイグラウンドで一度,自分の考えを話してもらいたいということだった.アート・プレイグラウンドでは,ただ鑑賞者とスタッフとが話すだけではなく,飲み物のためのコップが用意されていて,そのコップの形が6種類くらいあって,コップの形が同じ人と引き合わせて,話し合ってもらうという仕掛けもあった.「話し合う」ためのきっかけづくりがされていて,この場が機能すると,アートに対する対話が様々なかたちで行われていいなと思っていた.そこではもちろん「表現の不自由展・その後」についての対話も行われていって,それぞれの立場が別の立場の人とのことを知れる,理解できたかもしれなかった.

けれど,「表現の不自由展・その後」は中止になってしまった.でも,トリエンナーレ自体は続くので,「アート・プレイグラウンド はなす TALK」で多く人が自分のお気に入りの作品について,アートについて,もちろん「表現の不自由展・その後」についての対話がされていくといいなと思っている.

あいちトリエンナーレを見終えた次の日に,大学でレクチャーを行なった.そこでは宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」では,一度産業文明が滅んだ後で,飛行機という高度な技術は復活しているが,情報・通信技術は復活していないという話をした.私たちの社会は,何があっても情報・通信技術を維持しようとしているにもかかわらず,ナウシカの世界では情報・通信技術が復活されていない.

そのレクチャーの受講者からのコメントで,次のようなものがあった.

インターネット→直接知らない人とつながることは中・高くらいまでは考えたことがなかった.自由に発言できる環境ができたことで世界がひろがった.

誰もが少しでも自由に? 発信できる世界が「世界」を滅ぼすかもれない.情報によってこんなに毎日が不安になると思っていなかった!

このコメントを読んだときに,宮崎監督がナウシカの世界では情報・通信技術を復活させなかった理由の一つに「誰もが少しでも自由に発信できる世界が「世界」を滅ぼしたから」ということがあるのかもしれない,と考えた.

私たちの多くはインターネットで自由に情報を発信している.そのことが「自由」と呼ばれてきた.しかし,その自由はあくまでも「善」に向けてのものであった.しかし,実際は,「善」も「悪」もどちらも自由に発信できる.そして,「善」と「悪」も立場の違いであって,状況によって変わってしまう.異なる立場の人たちがただ発信し続けて,感情を煽っていく.そこには「アート・プレイグラウンド はなす TALK」で行われていくだろう「対話」がない.私たちは「対話」することなく「発信」し続けて,不安になっている.

あいちトリエンナーレに出品しているエキソニモの千房けん輔さんがツイートしているように,「人類がインターネットに間に合ってなかった」のかもしれない.その結果,自由な発信が人類がこれまで築いてきたものを崩壊させていくのかもしれない.私も以前,学生に「インターネット」の理念を考えてもらうために所属学科の教科書で次のように書いた.

フェイクニュースは単に「悪いもの」ではなく,インターネットの性質からすると,いつでもどこでも起こりうることだと考える必要があります.私たちは,インターネットという誰もが自由に情報や知識を交換できる場をつくり出しましたが,そこで何をしていくべきなのかは,まだよくわかっていない手探りな状態です.「インターネット」という自らがつくり出した自由に情報や知識を共有できる場で,私たちはどのように振る舞うべきなのかが試されているのかもしれません.

千房さんが書く「第三次世界大戦」のような惨劇が起こる前に,システムを更新できるとすれば,何が必要なのか.それこそ,あいちトリエンナーレのテーマである「情の時代」を認識し,その先にポジティブに進むためには何が必要なのか,それを私は大学という場で考えていかなければならない.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?