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048:映像のズレが示す身体とまわりくどい感じで結びついた「断層」

小鷹研理の《公認候補》には,至る所にスマートフォンを握った手が映っている.左上のあたりに,スマートフォンと手とが上下にズレているものがある.手のズレはあまり気にならないが,スマートフォンのフチがスパッと上下にズレている.このズレているスマートフォンと手とは物理的にズレているわけではなく,映像として右から2/3のところで上下にズレている.映像のサーフェイスが右から2/3のところで上下にズレている.このズレはディスプレイとタブレットの映像を跨いで起こっている.そのため,ディスプレイとタブレットとのあいだには物理的な高さのちがいがある.しかし,ディスプレイとタブレットとに表示されている映像が合わさるように重ね合わされているので,スマートフォンと指とは真ん中あたりでのズレを抱えながらも,高さのちがいは吸収されてひとつのサーフェイスに集約されて,「スマートフォンを握る手」というひとつの映像を構成しているように見える.

映像のズレと物理的な高さのちがいでは,映像のズレの方が「断層」として明確に現れているような感じがある.それは,ディスプレイからの光,つまり「スマートフォンと手の映像」がタブレットの影を消し去り,タブレットの光である「スマートフォンと手の映像」と重なり合っているからであろう.重なり合うというよりは,ディスプレイとタブレットの光が合流して,ひとつの映像となっていると言った方がいいのかもしれない.だから,「スマートフォンと手の映像」内にあるズレが,ディスプレイとタブレットとの物理的な断絶=高さのちがいよりも明確な「断層」として示されていると考えられる.映像の光が高さを無効化し,映像のズレが「断層」としてあたかも物理的な現象のように見えているのである,

さらには,映像としての指が映像としてのスマートフォンを鈍く下に押しやっているように見えてくる.それは,小鷹のもうひとつの作品《ボディジェクト指向》が示したような身体のモノ化のように,映像内のスマートフォンをあたかもモノのように指が押し下げているように見える.《ボディジェクト指向》では,モノとしての身体と触れる身体とのひとつの「断層」を映像として明快に示していると考えられる.だから,この作品の鑑賞者は自らの身体の奥底から気持ち悪さを感じるのであろう.対して,《公認候補》では身体に断層を作るのではなく,映像のサーフェイスにひとつの「断層」をつくっている.ディスプレイとタブレットとの物理的な高さのちがいよりも,「スマートフォンを握る手」という映像における「スマートフォン」の方が物理的であり,身体と結びついた感覚と結びついて押し下げられている.そして,押し下げられたスマートフォンは映像であり,スマートフォンというモノ単体だけでなく,映像という同一サーフェイスにある薬指と小指,さらには,手が置かれた面までも押し下げられている.モノではなく,映像というサーフェイスそのものを押し下げるからこそ,ここで生じる「断層」は鮮やかなのだろう.そして,この映像もまた身体に結びついているからこそ,鑑賞者に奇妙な感じを与えるのであろう.しかし,それは《ボディジェクト指向》のように身体と直結したものではなく,一度,映像のサーフェイスというものを介して,身体とつながる少しまわりくどいものになっている.

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