見出し画像

100:「写真」をレイヤー接合の場として考えてみる

「レイヤーの重なり」というけれど,その重なりは「密着」しているのか,それとも「隙間」を持つものなのか.私は以前,重なりには「隙間」があるものだと考えていた.その「隙間」を「透き間」として考えていたところもあった.

デスクトップ以後の二次元平面に生じてきているリアリティは,一枚の大きなXYグリッドをパイ生地のように折り重ねて,両眼👀で少なくとも二つの層を見透すことが前提となっている.デスクトップ的コラージュは,二次元平面が折り重なって,そこにフィクションとしての透き間を生みだす.そして,重ね合わされた二次元平面のあいだにできた透き間に三次元空間のようなものを見るようになる.

しかし,レイヤーのあいだに「透き間」があると考えることは,単にレイヤーを増やすことなのではないかと思い始めてきた.デスクトップのウィンドウの重なりが示す「フィクションとしての透き間」があるとしても,それらは操作しない状態では「密着」しているように見える.レイヤーが接合されて密着した状態と透き間を持って動かすことができる状態を行き来していると考えてもいいのかもしれないけれど,それはヒトとコンピュータとのインターフェイスという操作可能な平面の話であって,写真について考えたときにはレイヤーが接合されて密着した状態を考えないといけないのではないだろうか.インターフェイスというレイヤーのあいだに透き間が挿入されて操作可能な場が現れてきたからこそ,レイヤーの接合の可能性を考える場として写真を考える必要があるのではないだろうか.

インターフェイスで操作した画像をインクジェットプリンタで高精細に出力した作品を「写真」と呼ぶときに,「写真」をレイヤー接合の場として考えてみると,ポストインターネット以後の写真のあり方を興味深く読み解けるのではないだろうか.インターフェイスで透き間を持ちディスプレイの厚みのなかで仮想的な「厚み」を増してきた画像・映像が,その「厚み」を保持したまま印画紙に定着されていく.レイヤーが接合された厚みを持った存在として,写真を考えてみること.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?