世界でいちばん好きな人

2024年3月3日

大好きな人が、突然結婚を発表した。
予想もしてなかった。予感もなかった。

正直、1月に中丸くんが結婚発表したとき、ついにきたかと思った。YJにもその波が来たのかと。
でも、正直NEWSでは小山さんが最初だと思っていた。小山さんは今年40歳になるし、ずっと、いつかは結婚したい、子供も欲しいって言ってたから。

でも、あなたはそんなこと言ってなかったじゃない。

寧ろ、結婚したくねーなー、とか、結婚願望はない、独身でいいやって思っちゃうとか言ってたじゃない。

でも結婚した。

あとから振り返れば、少し分かるような気もする。
グループの20周年が終わったというタイミング。
2年前にお父様がご病気になられていたこと。
きっと、『なれのはて』を執筆していることで、自分のルーツや家族というものも考えたのだと思う。
結婚願望ないって言ってたけど、加藤さん子供好きだし。
そういう、様々なきっかけがあったんだと思う。


当日は、あまりにの衝撃だったために全く実感が湧かず、
「え、うそ、結婚したの?え、結婚?ほんと?結婚?え、どうしよう。いやどうもできないけど。結婚???」
と、ずっとふわふわとした感覚だった。

でも夜が更けるとともにもやもやとしたものが頭を擡げ始め、夜中に加藤担の方のスペースを聴いては泣き、夜明けとともに悲しく淋しくなった。朝を迎えた頃には、しっかり情緒不安定な人間と化していた。

家にあったチョコレートを見ては泣き(なんならチョコ味という記載だけで泣いた)、カレーを見ては泣き、しまいには流れてきたラッコの動画を見ても泣いた。
去年の年明けに勝地さんと鳥羽水族館にラッコ見に行ってたな、MCでラッコの話してたな、と思い出して泣いていた。流石にこれには自分でも引いた。
なに?元彼との思い出か???
そう自分にツッコんだとき、ああ、ある意味恋だったのかもしれないと気づいた。

自分のことを所謂リアコだとは思ってなかったし、——まあそりゃあ、あんなに聡明で思慮深くて好奇心旺盛で才能に溢れていて、おまけに美人。そんな人と結婚でもできるなら、誰でもしたいと思うだろうが——アイドル業だから流石に20代とかじゃ結婚はできないと思うけど、それでも、もし自分の人生において結婚したいと思うのであればしてほしい、したいけどアイドルだからその選択をできないと諦めてほしくないと思っていた。だから、ある日その報せが届いても、ショックは受けるだろうし、淋しく悲しくもなるだろうけど、でも祝福できるだろうと踏んでいた。

だが実際にはそうではなかった。
結局あの日からずっと泣いている。

おめでとう、末永くお幸せに、という気持ちに嘘はないのに、それ以上にそれだけではない何かが確実にあって、私の中はそれはもうぐっちゃぐっちゃだった。正直今もまだ揺れている。

私はNEWSの他にも応援している人たちやグループがいて、なんならNEWSが私の人生におけるファン歴は一番短い。これまでだって応援している人の結婚はあった。それも複数回。その度に、それなりにショックを受け、淋しくなり、悲しんだ。
だけどここまで私を掻き乱し、ぐっちゃぐっちゃにする人はいなかった。

自分があまりにも掻き乱されている様を見て、まさに「自担」と呼べる人は加藤さんだけだったのだと思い知った。

NEWSのファンを勿論大切にしているけれど、自分のファンが一番大切で、どんなときも特別扱いしてくれて、20周年に『月蝕心中』と『人情心中』というラブレターまでくれるような人。いつでもまっすぐ愛情を届けようとしてくれる人。

すごくすごく大切にされているな、愛してくれているなっていつも感じてた。

報告の仕方がこれまた完璧で。
対外向けとFC向けでわざわざコメント変えてきて、余計なことは一切書かず、FC宛ではファンの心配までしてくれた。
「そのお気持ちを想像すると大変に申し訳なく、晴れやかな気持ちばかりではございません。」なんて書かなくていいんだよ。こんな時までファンのこと心配しなくていいんだよ。
でもそんなところが好きで、そんな加藤さんだから好きだった。
匂わせも週刊誌もなかった。突然すぎた。突然あまりにも綺麗に、見事にやってのけた。

関係者向けにはヴィトゲンシュタインの引用にチョコレート。
ヴィトゲンシュタインってEXPOツアーのときバンドメンバーさんたちと話題になったって言ってた人だね。甘いものそんなに得意じゃないのに、チョコレートは好きだよね。
箔押しの箱に空押しの封筒。
それらがどれだけコストがかかるか、あなたを見てきたから知ってるよ。
どれもこれも、今まで見てきた好きが詰まってた。
ケチなんて、ひとつも付けられなかった。ひとつくらいケチ付けさせてほしかった、悪態をつかせてほしかった。

いやだ。
こんな発表見てまで好きを更新したくなかった。

こんなのさ、ある意味恋いじゃんね。
私はきっと大恋愛してたんだな。
あーあ。私、こんなに好きだったのか。知らなかったな。
加藤さんが愛してくれたように、私も目一杯愛してたんだな。
世界でいちばん好きだったんだ。
こんなときに気づいてしまうんだな。
「好きになりすぎない」なんて、とっくに無理だったよ。
こんなに愛されちゃったらね、そんなのできるわけないよね。


加藤さんは、時に自分の内臓をかっぴらいてまでこちらに見せてくれるような人で、たかがファンに何でもかんでも見せてくれなくていいんだよ、無防備すぎるよ、と心配されるような人で。だからこそ、何でも教えてもらえてて、何でも知ってるような気になってるところもあったのかもしれない。実際には、肝心な部分は何一つ教えてもらえてなかった。でもそれがファンを守ることであり、誠意や愛情でもあり、アイドルというものへの責任だということも理解できる。
守られてたんだな、私たち。同時に、加藤さんの大事な人も守ってたんだな。
私、加藤さんのこと何も分かってなかった。しっかりとしたプロのアイドルだった。
なんでも明け透けに話してくれると思ってたけど、そんなことなかった。
徹底的に隠していた部分があって、きっとこれからも見せてもらえることのない部分。
私たちの知らない加藤さん。

例えばこの先、もうあの書斎からインスタライブしてくれないのかな、あの書斎大好きだったんだけどな。

分かってる。
ほんの僅かな欠片を見つけては、勝手に淋しくなって泣いてしまうだけだって。

結婚という形を選ばなくても幸せになれるこの時代に、あえてこの形を選択し発表したこと。
それがどれほどの覚悟なのか。分かってる。
そして、分かっていたい。

他の方のブログに、
「加藤さんが生涯を共に歩いていきたい人として選んだけど、加藤さんもまたお相手から選ばれた」と書いてあった。
ああ、顔も見えない知らない誰かに選ばれちゃったんだな。
何が悔しいって、加藤さんはこれをきっかけに絶対またかっこいい大人になるってこと。

思えば、私が加藤さんを見つけたときは、既に「シゲアキ」さんになっていた。
「公的な文書でしか『成亮』は使わなくなったなー」と言っているのを聞いて、なんかそれすごくいいな、と呑気に思ったことだってあったのに。私は一度も成亮さんには会えなかったし、この先も会えることはないと突きつけられた気もした。なんだかそれはものすごく淋しいことに思えた。


世界でいちばん好きだから。
世界でいちばん幸せになってほしいんだよ。


あなたが「俺の夢は、みんなの夢でいつづけること」と言ってくれたの嬉しかったな。
光り輝くステージに紙吹雪が舞っている光景、あれはまさに夢だと思う。絶え間なく努力して、自分の手で夢を叶えて、「唯一無二」と周りから言われる今の位置をもぎ取った姿も。
あなたは、いつでも私の夢で、希望で、光だった。
こうして書くと大袈裟すぎる表現のようにも思われそうだけど、でも本当に、夢で希望で、光だった。

緑だって、もともと好きな色だったけれど、あなたの色だっていうから、もっと好きになったし、手に取る回数が増えたんだよ。

あなたが「また必ず生きて会おう」と言うから、私もいつまでも泣いてないでちゃんと生きなきゃと思って、1週間程前から漠然と食べたいなと思っていた春雨サラダとビビンバ擬きを作った。作りながら、そういえばシゲ部に送りたいメールあったんだよな、加藤さんは料理するとき調味料の分量をきちんと量るのか聞いてみたいと思ってた、私の予想では目分量って答えそう、でも初めて作るレシピならしっかり量ることもあるって答えそう、加藤さんの料理話好きだけど、今聞いたら余計な想像してしまいそうで聞けないな、と思ったらまた泣いていた。
作ったもの、このままだと冷蔵庫の肥やしになってしまう。どうしよう。でも実際のところ、食欲もあまりない。

こんなふうに、なにかにつけては泣いてしまっているけれど、「悲しみは愛の対価」ということでどうか許してください。これを書きながらまた泣いています。
こんなときでも思い出すのは、あなたが教えてくれた言葉なんだから、笑っちゃうよね。
本当にずっと泣いているけど、でも、それだけ愛せた自分は良かったなって心から思います。
よく、「出会わなければ良かった」と言う人もいるけど、私は出会わなかった人生の方が嫌だ。
出会えて良かった。見つけられて良かった。
あなたがアイドルだったから、輝いていてくれたから、見つけられた。

今、自分はこんなに泣ける人間だったのかと驚きつつも、結局加藤さんのファンをやめることはできないんだなと痛感しています。
いつか必ず来るであろう直木賞を獲るところも、今やっている脚本?も、他にもいつもポケットをパンパンにして隠し持ってる様々なお仕事を、全部ぜんぶこの目で見たい。

でもさ、正直、ひなまつりに発表したことだけはちょっと恨んじゃうかも。
今後、様々な形でひなまつりに出会う度、あの日のことを思い出してしまいそう。
あの日の衝撃も、こんなに泣いていることも、いつかは笑い話にできる日が来るんだろうか。

3月6日のNEWSRINGは加藤さんが当番で、一体何を書くのか戦々恐々としていた。
発表時も一切の情報を出さず、それ以降も何も触れない加藤さんのことだから、きっと何も書かないだろうけど、それも複雑だな。触れられたら確実に泣くけど。
恐る恐る開いてみたら、全くいつも通り、通常運転だった。でも行間からこちらを心配してくれていることが感じられた。
「身体も心も温めて。」
この一文にすべてが詰まっている気がした。
いや、そんなことないかもしれない。文字通り、寒いから温かくしてねというだけかもしれないのに。加藤さんの心配や優しさを行間から読み取れてしまう気がするのは、今までそれだけの愛をくれたからなんだよね。
加藤さんはいつも体調を気遣ってくれるよね。
そもそも、忘れ物が多いって話だけど、それもいつもより自分を下げて見せて、笑わせてくれてるんだよね。ファンには笑っていてほしいとザコシメガネかけちゃうような人なんだから。


あの報告文にも、こちらを慮って「申し訳ない」なんて書かせてごめんね。
ファンが傷ついている姿を見て自分も傷ついてしまうような人だから、こうして泣いていたらまた悲しんでしまうって分かっているけれど、それでも涙が零れてしまう瞬間があります。
身勝手なのは承知ですが、どうか今だけは、お願いだから、見つけても見て見ぬふりをしてほしいです。
また、必ず笑顔で会いに行くから。この先も自分の手で夢を叶えていく姿を追っていきたいと思うから。
だからどうか今だけは。


この数日、他の方のブログもいくつか拝読させていただいた。
そのどれにも共感し、自分の心の中も言語化してもらえたように感じ、また泣いた。でもそうすることで、少しずつ整理がつけられていく感覚もあった。
けれど、こんな経験はきっともうないのだから、ならば私は私の記録として、自分と向き合い、そして自分の言葉で記しておかねばならぬように思えた。だから書いた。
そういえば、加藤さんが、たとえ苦しく悲しいできごとがあっても、それは必ず小説の糧となるから、だからその場面を記憶しておきたい仰っていたことがあったな。
はー、これが担タレってやつですか。
こうして作ってしまったこのnoteも今後どう扱っていくのか、何も考えてない。
そもそも、こんなの一体誰が読むんだろうね?自分だって読み返さない可能性あるのに。いや、これ、真夜中に書いたラブレターみたいなもでは?そんなもの恥ずかしくて、とてもとても読み返せません。

でも、ひとまず今は、こうして記した思いを、そのままインターネットという大海の底に沈めておくことにします。


ここまで、行きつ戻りつしながら書いた割には支離滅裂で纏まっていない自覚はある。
でもこうして書いてみて、また少し気持ちが整理されたような気がします。やっぱり言語化って大事なんだな。
私は、自分のことを内省し言語化することが苦手だと認識していますが、これからは少しずつでも言語化できるように訓練していこうと思う。
普段三点リーダーに頼りがちな自分だけれど、三点リーダーに頼らず、そこを言葉で表現するべし、と教わっているので。


今なら、心の底から言えそうな気がする。


加藤さん

こんなにもたくさんの人の心を掻き乱したのだから、ちゃんと幸せになってくれないと、世界でいちばん幸せなのは僕だと笑って見せてくれないと、こちらが報われません。
そして、あなたのこれからの人生も幸多からんことを、陰ながら祈っています。
願わくば、まだもう少しの間、ファンとして愛していただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

今まで本当にありがとう。
どうか、どうか、幸せになってね。

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